第17話  洗脳

「何も深刻に考える必要はないんですよ。怖いことなんて何もないですから。礼一君の嵌めている指輪の効能をちょっと使うだけですよ。昨日から嵌めてきて変なことなんて何もなかったでしょう。ね、害なんてこれっぽちもないんですよ。大丈夫なんですよ」

 怖い怖い怖い。やっぱこの人頭おかしい系のマッドな人だったんだ。話す言葉の全てが胡散臭い。やべえ人に雇われちゃったよ。

「そ、そんな訳ないじゃないですか。お、俺知ってますよ。こいつは〈魔力同調の指輪〉っていって洗脳の効果があるんでしょ。ヤバいやつじゃないですか。ヤバいやつじゃないですかっ」

「おや、知っていましたか。まあでもいいでしょう。昨日夜中に廊下を歩いていましたら偶然礼一君が甲板で喋っているのが聞こえてきたんですよ。何でも手取りナニ取り教えて貰う方が性に合ってるとか。うん、実に素晴らしいです。先生素直な子は嫌いじゃないですよっ」

 通報、通報、お巡りさんここに変態がいます。お助けをー。

「冗談はさておいて、その指輪を利用して礼一君を催眠状態に落とし込み、私の意思をダイレクトに伝えて君の身体を操り、身体強化の感覚を掴んでもらおうという訳です。ちょっとふざけてないでちゃんと話を聞いてください」

 扉まで後ずさって腰を抜かしている礼一に対して、ホアン船長は先程とは一転して真顔でそう告げる。もう一体どれが本当の船長の顔なのかわからない。多重人格者ではないだろうか。

「いやー、ちょっとやっぱ止めと「あれ、さっきどなたかが男に二言はないとか言っていたような気が」き、、、」

 やっぱりこの人性格悪いよ。分かりましたよ、やりゃいいんでしょ。もう後は煮るなり焼くなり好きにしてください。礼一はもはやここまでと観念する。

「では、この椅子に腰かけてください」

 ホアン船長は部屋の入り口近くに置かれている椅子を手で示す。礼一は言われるがままに椅子に座る。

「はい。ではリラックスして。目を瞑って腕は肘掛けに置いてしまって下さい。私が合図をしたら大きく深呼吸をして。3,2,1、はいっ、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー、etc、、、、はい。大丈夫です。今度は息を吐く時に身体が小さくなるようなイメージで、息を吸う時には満天の星空を見上げる気分で、合図したら深呼吸してください。3,2,1、はいっ、吸って―、吐いてー、etc、、、そのまま深呼吸をしながら私の声を聴いて下さい。息を吐くと身体が重くなります。息を吸うと身体が軽くなります。そうやって呼吸をしていると意識がどんどん自分の奥深いところに向かっていきます。もう世界にはあなた一人しか見えません。もっともっと意識を自分の奥へ向けてください。聞こえるのは私の声だけです。こうして声を聴いていると段々心地よい気分になってきます。何だか安心して幼い頃の無邪気な自分に戻ったようです。自分で考えるのが億劫になってきます。自分で考えるのはとても大変です。私の声の通りに動いているととても楽です。もう考える必要はありません。私の言うことだけを聞いていれば良いのです」

 ホアン船長の声を聞いている内に礼一は段々と意識が暗闇へと誘われ、丁度眠りにつく直前のような朦朧とした状態で、とても気持ちが良く、このまま一生何も考えないでこうしていたいと感じる。ふと気が付くともう身体は自分の意思では動かせず、ボーっとなって聞こえてくる声に身を委ねている。

 かろうじて身体の感覚だけは残っている。暫くすると右足に魔力を染み渡っていくのが分かる。魔力は骨から体表へ向かって染みていき、徐々にその密度を増しているように感じられる。

 最初は血液のようにさらさらと通っていたものが、ねっとりとした感触に変わって足の隅々まで行き渡り、やがて体表から大気へと抜けていく。

 そうこうしているうちに、意識を保つのが更に難しくなり、感覚も消えていき、完全に真っ黒い闇の中に沈み込む。

「、、ん、、、、ちくん、、、、いちくん、れいいちくん、礼一君っ」

 誰かに呼ばれていると思っていると急に意識が覚醒する。と目の前にはホアン船長がニコニコと微笑みながら立っている。

「どうやら上手くいったようですね。疲れたでしょうから今日はそのまま休んでしまって下さい。どうもお疲れ様でした。おやすみなさい」

 礼一は何が何だかわからないフラフラした頭のまま、兎に角廊下に出て自分の部屋へと足を進める。脳味噌の一部が異物にすり替わった感じがしてまともに思考することが出来ない。


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 何だかとっても気怠くて、ものを考えることすら面倒である。そう言えば昨日は船長の部屋から帰ってきた後にそのまま寝てしまったのか。寝汗がシャツにじっとりと染みていて気持ちが悪い。

 誰かが体を揺すっている。勘弁してくれ。ただでさえ起きるのが怠いのだから、無理に起こそうとしないで欲しい。放っておいてくれたらその内起きますから。

「起きろっ」

 突然目の前で火花が散って、礼一は慌てて飛び起きる。目を開くと洋が怖い顔をして、拳を握りしめている。その姿を見て礼一は殴り起こされたのだと知る。

「何するんだよ。ほら、起きてるだろ」

 礼一は再度殴られるのは敵わないので一応起き上がって見せるが、起きていることを示すとすぐにまた寝転がる。

「船長から洗脳受けたろ」

「ああ」

「いいか、自分は洗脳なんかされる人間じゃないと強く思え。そうすれば勝手に洗脳は解ける。洗脳されたと自分で認めてしまっていることが一番洗脳を解く障害になるんだ」

 珍しく長台詞で真剣に礼一に語りかけたと思うと、洋はそのまま部屋を出て行ってしまう。

 脳内に異物が詰まっているような感覚は未だにあり気持ちが悪い。ただそれを意識して何とかしようとしてもその感覚は治らない。寧ろ意識することで余計にその感覚が強くなっていく。

 仕方がないので、洋の言っていたことを試す。思い込みを試みること数分。意外なことに効果はしっかり現れた。自分が洗脳なんか受ける人間ではないという思いが確信に変わる頃には、自然に気持ちの悪さも治る。

 洗脳やら催眠は、一種意識の弱い部分を突くことで成立するものなので、思い込みでも良いから自己をしっかりと再確立する事で消せるのかもしれない。そもそも我々の思考は夫々の勝手な思い込みに過ぎないのだから、そこに真偽や正しさなんて概念はない。一般的に重視されるのは大多数の人々と同じ思い込みが出来ているかという事であろう。

 礼一は深いんだか浅いんだかよく分からないことを考えながら、心配してアドバイスをくれた洋に心の中で感謝を述べる。

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