第3話  怪物

 日が暮れた。

 日中は聞こえなかった鳴き声が方々から聞こえ、人間のテリトリーが縮小する。

 一文字に線を引かれた額は未だに熱を持ち、軽い風邪にかかったような気分である。

「夜どうする?見張りとか」

「ああ」

 洋は前方の暗闇を見渡し、シバシバと瞬きをする。

 あちらこちらで物音がして落ち着かない。

「気味が悪い。何の生き物だ」

 二人は小人が残した槍を手元に引き寄せる。現状頼りになる武器はこれしかない。武器の扱い方なんてさっぱりだが、何も無いよりマシである。

 実の所小人達にとって普通サイズの槍は、2人にとって少々短い。大体身長と同じぐらいの長さなのだが、出来る限り対象との間合いを確保したい二人にとってそれっぽっちだと些か心許ない。

 不安な気持ちを抑えるように片手をポケットに突っ込むと、指先が硬いものに触れる。引っ張り出すとスマホが出て来る。これで明かりが確保出来ると期待するが、生憎と岩場でこけた際に散々下敷きにした上、海水に漬け込みまくったため完全に壊れていた。洋のものも同様で全く使い物にならない。

 深く溜息をつき、二人はなるべく洞窟の中へと身体を押し込み、顔だけ出して外の様子を伺う。これが現状最も安全な体勢だろう。幸い奥行きは人二人分の身長程たっぷりとある。

 動物の鳴き声が益々盛んになる。洞窟のすぐ側でも何かが動き、葉が擦れて音を立てる。

「あの小人達は何がしたいんだよ。ったくもっと愛想が良ければ親戚の子供風に見えなくもないのに、いやそれだと親戚の子供の顔やばいな、「来たっ」何だ?」

 ぼやく礼一の声を遮って洋が警戒を促す。

 その数秒後地面を揺らす大きな着地音と衝撃が二人を襲う。

 音がした方へ目を向けると控え目に言っても大袈裟に言ってもコアラとしか言い様のない外見の生物が立っているのが見える。

 一瞬人畜無害なコアラのイメージが頭に浮かぶが、星明かりに照らされた洞窟前の空間に、悠々と足を踏み入れる姿を見て考えを改める。あまりに異質だ。四つ脚を地面についた状態で成人男性の身長を軽く越す体躯を有し、爪は鋭く尖り、口中には牙が見える。

「ふざけんじゃねぇ」

 あまりの理不尽さに毒づきながら、洋を引っ張って洞窟の最奥へと移動し、身を屈める。

 途端、地の底から響くような唸り声がしたかと思うと、ずんぐりとした腕が洞窟に突っ込まれる。

 腕はガサゴソと二人の行方を探して洞窟の壁を引っ掻き回す。幸いギリギリ長さが足りず二人には届かない。

 礼一と洋は必死になって槍で腕を突きまくる。大した手応えはないが、化け物は突かれる度に腕を一旦は引っ込めるので多少の効果はあるのだろう。

 それからどれほど時間が経ったのか。激しい攻防の末、化け物は攻撃を中止し、その気配も消える。

 洞窟の壁にもたれかかり荒い息を吐きながら、二人はお互いがまだ生きていることを確認する。

「マジダーウィンもびっくりだろ。コアラなら大人しく葉っぱ食ってろよ」

 地球では絶対お目にかかることのないであろう巨大生物に礼一は悪態をつき、外の様子を確認しようと洞窟の入り口へと向かう。

 洋はすっかり疲れ果てたようで未だ壁にもたれたまま沈黙している。

 用心しながら入り口から顔を覗かせると、先程までの騒ぎが嘘のように穏やかな風が吹いている。

「はー良かった良かった」

 安心してしみじみ呟いた次の瞬間

グッ

 と首根っこを横から捕まれ、洞窟から引き摺り出された。化け物は執念深く影に潜んで待ち構えていたのだ。

 大きな手が万力のような力で礼一の身体を締め付け、各所の骨が軋む音が聞こえる。助けを呼ぼうにも肺からすっかり空気が抜けてしまい声が出ない。

 巨大コアラの顎を涎が伝い、身体に反して小さな目が意地悪く光るのが見える。苦労して手に入れた成果物を愛でるかのように、すぐには礼一を殺さずに、地面を転がしてみたりして嬲り続ける。一瞬手が離れた隙に逃げようとしても、それを見越したようにもう一方の手に行く先を遮られる。

 手に持っていた槍は、引き摺り出された時に取り落としてしまい、洞窟の入り口に使い手不在で転がっている。要はまたしても絶望的な状況ということである。

 二日間の内に幾度も危機に晒されたおかげで、初めは焦っているばかりだった礼一も多少の冷静さを取り戻し始めるが、如何せん体格差を埋めることは叶わない。再度捕まりコアラに顔を舐められてグチャグチャにされてしまう。そうして遂に嫌悪感と恐怖でぶるぶる震えた挙句に、これ以上現実に耐えられないとばかりに小便を漏らしながら気絶してしまった。

 取り合えず下半身が社会的に非業の死を遂げた彼の名誉のために弁解をすると、現代社会でぬくぬくと過ごしている読者諸君もこんな状況であれば気を失ってしまうのが当然なのであり、むしろ小便を漏らすまで耐えた彼の健闘を称えても良いくらいであろう。

 世の中には色んな人がいる。少々蛇口の締まりが悪いからといって、愛すべき彼の人間性が揺らぐことはあるまい。


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 母親の胎内とはこういうことを言うのであろうか。温かい羊水のような感覚に包まれて微睡みながら礼一は独りごちる。

 海底から浮かび上がるように意識が覚醒する。顔の近くから土の匂いを感じ自分が地面の上にうつ伏せで倒れていることに気づく。ぼやけた頭で何故こんな場所にいるのかを考えたところで、昨日の意識を失う寸前の映像がよぎり、ビクっとして慌てて周りを確認する。

「起きたか」

 すぐ側で屈んでいた洋が、礼一の様子に気づき声をかける。

「俺はどうなってた、あの化け物はどこ行った?」

「化け物?」

 洋から聞いた話を総合すると、彼はあのまま洞窟の壁にもたれて寝てしまったらしい。あの状況で寝られるなんてどんだけ神経図太いんだよ。朝になって起きてから礼一が側にいないことに気づき、洞窟の外を見るとうつ伏せで寝ているのを発見したらしい。

「怖い思いしたの俺だけかよ。不公平だろ、うひゃいっ」

 起き上がろうとしたところで全身から痛みを感じ、目から火が出る。

 全身を負傷しているのがわかりすぎる程にわかり、下手に動かないようにしようと体の力を抜く。

 それにしてもどうやって助かったのだろう。昨日のあの状況で逃れられるとは思えないし、あのデカ過ぎパンダがそう簡単に獲物を手放すとは思えない。

 カンッカンッカンッ

 昨夜小人共の去った方向から何かを叩いているような音が聞こえてくる。小気味良く刻まれる響きは、森全体に新たな一日の到来を知らしめすかのようである。

 ひとしきり演奏したかと思うと音が止む。特にすることもないのでボケっとしていると木々の間から小人達が続々と姿を現した。小人達は礼一と洋を囲んで輪を作る。

 居並ぶ彼らを見るに、顔に模様が見えないことからどうやら昨夕の長老連中ではないのだろう。顔立ちも幼いものが目立つ。昨夜の出来事と合わせて考えれば自然到達する結論は一つに絞られる。即ち彼らの顔の模様の個数はイコール小便をちびった回数ということであろう。何らかの試練のようなものを生き抜くことで顔の模様が増えていくということだ。

 小人達の顔には昨日島で見せたような険しい色はなく、どこか尊敬するようにキラキラとした瞳をこちらに向けている。

「どういう風の吹き回しだ?」

 礼一と洋は首を傾げる。

 小人達は二人の訝し気な様子などお構いなく、口々に何か同じような言葉を言いながら二人の身体をペタペタと叩く。しかし、

「痛いッ、いたいいたいいたい」

 こちとら怪我をしているのだ。勘弁して欲しいにも程がある。

 ギャーギャー叫ぶ礼一の様子を見て小人達は少し離れて話し合ったと思ったら、わらわらと集まり彼を担ぎ上げて運びだした。洋も残りの小人達に引っ張られて一緒に移動する。

 行き着いたのは、森の中にある彼らの集落のような場所だった。集落といっても周囲に柵が巡らせてある訳でもなく、木で作った骨組みに草を結わえただけの掘立小屋の集合といった感じである。二人はその中の一つに案内される。

 小屋に入ると昨日と同じように果物の入った袋が手渡される。腹は減っていたし、身体に悪影響がないことは立証済みなので兎に角食べる。

 残念ながら礼一は腕を伸ばすのも一苦労なので、洋に介護されて果物を食べる羽目になった。身も心もボロボロとはこのことである。

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