第二話 クールダウン
僕は彼女に嘘をついた。彼女もきっと、それに気付いた上で素知らぬふりをしてくれているのだろう。
高校生にもなって百円玉一枚しか持っていないというのは、さすがに苦しい言い訳だ。というかそれではあまりにも侘しいし、駄菓子買ってる場合じゃない。バイトによる貯金もそれなりにあるのだ。今だって一万円ぐらいは財布に入れている。
僕の頭は、ここに来てようやく冷静さを取り戻し始めていた。肝心な時にそうなってくれないのがもどかしいが、お陰で今現在、注視すべき点が見えてきた。同時に、改めて先程の失態を反芻し、身悶えしそうになる。
一つ、咳払いをすると、とりあえず、努めて商品棚の方を見ながら訊ねる。
「ところで……店主の爺さんは? いないのか?」
この子は十中八九店主の身内だろう。自らが商品になるなんて行動からして、いかにも彼の血縁者という感じがする。
しかし、いくらあの店主でも、傍にいたなら例え子供の悪ふざけのようなものであれ、ともすれば身売りとさえ取れるような行為を許すはずがない。
「祖父は不在です」
少女の口から出たのは、予想通りの言葉。僕は問いを重ねる。
「不在、というのは買い出しか何かか?」
少女は首を横に振った。釣られて長い黒髪が小さく波打つ。
「いえ……」
そこで軽く言葉に詰まった。心なしかその頬はほんのりと赤い。
「その、私がこちらに来た時、祖父はとてもはしゃいだもので……その際に腰を……」
「……あー」
それで入院していると。孫に恥をかかせるんじゃねぇ。
僕が頭を抱え、一頻り唸ったところで少女は再び口を開く。
「まあ、丁度良かったのかもしれません。祖父はもう少し食生活に気を使うべきです」
「確かにそうだなぁ。うまい棒ばっか食ってるし」
「そうなんですよ……入院する直前なんてうまい棒をおかずにご飯食べてましたよ。もう信じられません。因みにめんたい味でした」
「マジか」
居間でもうまい棒食ってやがった。死ぬぞご老体。つーかもう本物の明太子食えよ。
いや、この際そんなことはどうでもいい。目下の問題はこの子が今一人でいるにも関わらず、店が開いているということだ。
僕はまた少女に問いかける。
「爺さんは、君に店番をしろって言ったのか?」
「いえ……」
少女はそこで言葉を濁し、俯く。何かに迷っているのか、続く言葉を探しているのか、それは分からない。僕は聞き方が悪かったのかと思い、質問を変えた。
「そもそも、鍵は君が開けておいたのか? それとも間違いか? 間違いだったら、勝手に入ったことは謝る」
「あ、謝る必要はありません!」
頭を下げた僕を、少女が慌てて制した。意図せず大きな声が出てしまったのか、彼女は小さな肩を竦める。
「鍵は私がわざと開けていたんです。あなたは悪くありません。……それと、これは私が勝手にやっていることなんです。祖父もこのことを知りません。むしろ、店は閉めておけと言われています」
「そうか。まあ詳しいことは訊かないし、そもそも訊ける立場じゃないけど……」
しかし、このまま放っておいていいものか。世の中、先程の僕よりも変な奴はごまんといる。はっきり言って心配だ。どうしたものか。
「…………連絡先教えとくから、なんかあったら電話してくれ。僕の家、この近所なんだ」
言いながら、僕はスマートフォンに電話番号を表示して見せる。これが、たっぷり間を持って出した精一杯の答えだった。
「っと、そうだ」
電話番号まで教えたのに自己紹介がまだだ。
「僕は
僕が名前と年齢を言うと、少女もまたそれに続いた。
「私は、
へぇ、小学生だと思ってた。なんて、本人の前でそんな愚にも付かない発言はしない。丁度、小学生にしては敬語がしっかりしていると思っていたところだ。これで疑問が解決した。敬語以外の部分に関しては……まあ、うん。
それよりも、僕はその甘ったるい名前が気になった。お菓子を扱う店の子だといっても、せめてもう少し捻れないものか。
その日はうまい棒チーズ味を九本買って帰った。昔、一本十円のうまい棒が何故レジに持っていくと十一円になるのか、なんて店主に聞いたことを思い出しつつ。
背後からの視線が「お前もか」と、言っている気がした。
だってうまい棒、美味しいじゃん。
* * *
昨日は都合上、一万円以上持っているにも拘らず百円縛りが発生したため、百円分しか駄菓子を買えなかった。
九本あったうまい棒はと言うと、あっという間になくなった。あれは見た目の割りに量が少ない。
と、まあそういった事情で。僕は再び駄菓子を求め、陽炎揺らめくアスファルトの道を今日も歩いている訳だ。
昨日だけが特別なんてことはやはりなく、照り付ける日差しは僕から水分を、気力を、正常な思考を、容赦なく奪っていく。
やがて、駄菓子屋に到着した。
営業時間を確認し、立て付けの悪い引き戸を開け、
「ごめんくださーい」
誰にともなく声を掛け、商品を物色し、そして――
――税込百八円の少女を見つけた。
時間が逆行していることを疑いスマートフォンで日付を確認するも、異常はなし。
「なあ、君は何なの? 暇なの? 寂しいの?」
深く溜息をつき、吐き捨てるように言う。
なんでまたそこに入ってしまったのか。マイブームですかそれ。
状況は昨日とさほど変わらない。違っているのは互いの服装と、僕の気持ちと、あとは彼女の表情。それくらいのものだ。具体的に言うと、彼女は吹っ切れたとばかりに平然と箱に納まっているのだ。まるで動じていないのだ。そして、その顔のまま言ったのだ。
「両方です」
と。
「……え、それで君はそんな所に?」
「はいっ」
返事は食い気味に、力強い首肯と共に。
しかし、釈然としない気持ちは続く言葉で覆った。
「そうはいっても、まさかいきなり百八円で自分を売ろうなんて思いませんよ? ……でも、どうやって気を紛らわせようかと悩んでいるうちに頭が熱くなって、ぼんやりして……」
そこから先の内容は聞く前から想像できた。何故なら僕は、似たような話を知っているから。
「あの時の私はどうにかしていました。自分が何をやっているか分かって、すぐにここから出ようとしました」
「で、丁度そこに僕が来てしまったと」
「はい」
どうも、昨日暑さにやられていたのは、夢を見ていたのは、僕だけではなかったらしい。太陽に文句を言ってやりたいが、生憎と僕の声は届きもしない。
「なんか、色々とごめんな……昨日は僕もどうかしてた」
「いえ、あの時はびっくりしましたし、正直怖かったんですけど、退屈ではありませんでした。あんな形でも、人と話す機会ができて嬉しかったんです。それで、この段ボールに入っていれば、誰かが面白い反応を返してくれて、またあんな風にお話できるんじゃないかと思ったんですけど……」
彼女は自嘲気味に、なおかつ寂しげに笑う。
「これじゃあ、祖父よりも変ですね私」
「それはまあ、遺伝だろ。文句言っていいと思うぞ」
本当、吉備家は一体どうなってるんだ。変人の遺伝子強すぎだろ。
「でも、もうその方法はやめてくれよ? お兄さん心配だから」
「すみませんでした……」
糖子は思い出したようにはにかみながら、謝罪の言葉を口にした。
「それに――」
しかし、別の方法というのも考えてみれば難しい。学校からも家族からも隔離された環境でいきなり友達を作るなんて、ハードルが高いにもほどがある。ならばこうして既に関っている僕がここにいてやるしかあるまい。
「――暇潰しなら、僕が付き合うぞ」
何、爺さんが退院するまでの短い間だ。カウチポテトはその後にいくらでもすればいい。
右手を差し出すと、彼女はそれを掴んで立ち上がる。思えば、段ボールに納まっていない状態の彼女を見るのはこれが初めてだ。
背中まで伸びた黒髪やスカートがふわりと舞い、ほっそりと伸びた手足は日光を受けて白く輝く。
「じゃあ、これはもう要りませんね」
そう言って僕に笑いかける彼女の顔は、クールビューティーなんてものではなく、とても優しく暖かみを帯びている。
非常にありきたりかつ痛々しい表現だが、今この瞬間だけはこの言葉で彼女を表してもいい。
――――「まるで、天使のようだ」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます