其の八「も、申しわけごぜぇませんでしたぁ!」

「なな、ななっ、なんで手前が東京に!? 手前は薩摩にいるはずじゃぁ……」

「おはんも寄る年波には勝てんか?」

 口角泡を飛ばしてわめく宗我兵衛に、半次郎はそれだけいって間合いを詰めた。

 宗我兵衛はあとずさりしながら、やはり河畑を呪った! ことここに至って、宗我兵衛は半次郎こそ、河畑のいう「奴」だと知ったのだ。

 だが、真に宗我兵衛をして河畑を呪わしめたのは「人斬り半次郎」の通り名ではない。確かに半次郎は恐るべき剣客だ。他のふたりのように出しぬくのは至難の業……しかしながら、それよりも――

 ――あの糞餓鬼、よもやお上に 手向てむかいやがるとは!

 それよりも恐れるべきは、半次郎が実質明治政府の人間だという事実にほかならぬ! 彼を敵に回せば、明治政府が敵に回る。小悪党にすぎない宗我兵衛にとって、河畑がこともあろうに大口顧客たる明治政府に真っ向から手向かうなど、想像の 範疇はんちゅうを超えていた。

「桐野どん!」

「め、面目なか始末にごわす……」

 そうこうしているうちに明村と時正がやってきて、果然、宗我兵衛は三方を薩摩のぼっけもん――豪傑に囲まれた。もはや、河畑を呪っている暇はない。手妻のかぎりを尽くして、逃れなければ……

「まんまとしてやられたの。じゃが、是非もなか。こやつは、 蝙蝠こうもりの宗我兵衛――かつて東は江戸、西は京を騒がせた盗賊にして間者じゃ。火付け 強盗たたきはいわずと知れて、犯しておらん悪事なし。そいが何度となく 入牢じゅろうしては破牢し、維新を越えてなお死にぞこなっておるのは、先の手妻ゆえよ。のう?」

「……」

「今日は、袖になにを隠しておる? 頭巾にも、合羽の裏にも隠しちょるな」

「……」

「草鞋はどうじゃ? なんぞ仕込んどるじゃろ」

「……い、いやぁ。俺が隠してんなァ、魔羅くれぇのもんで……」

 誰も笑わなかった。それどころか、半次郎の種あかしのおかげで、いまや時正も明村も油断のない目を宗我兵衛に向けている。もはや逃げるすべはないように思われた。

「も、申しわけごぜぇませんでしたぁ! 参った! 参りやした!」

 だから宗我兵衛は、額を地面に擦りつけながら謝った。

「で?」

 半次郎は取りあわず、促した。先の時正の問いへの答えを。

 宗我兵衛は――

「へぇっ! 方々の仰せのとおり、あっしぁ河畑深左衛門めに頼まれて、左右吉ってぇ町人を探してやした。左右吉ってなァ、広沢真臣閣下の庸人だった男でさぁ」

 宗我兵衛は、売った! 河畑を!

「何故じゃ?」

「へへぇっ! 誰ぞの暗殺を依頼させてぇそうで……」

 叩き売った! 売れば斬られると知りながら!?

「……中村の旦那ほどの御方がお出ましになるってこたぁ、もしかしなくても、広沢真臣閣下ですかい?」

 上目遣いで、余計なことまでいった。

 自分でいっておいて、宗我兵衛は不思議に思った。彼の情報網は、参議たる薩人、大久保利通が鹿児島藩へ帰郷していること、同じく参議たる長人、木戸孝允が長州藩あらため山口藩にやはり帰郷していることを掴んでいる。つまり、広沢はふたりの参議の留守を預かっている形だ。それは両参議からの信頼の証であろう……そのような人物を、何故薩人の半次郎が?

 対して、宗我兵衛を見おろす半次郎の目は、細められて二刀のごとし、 さげすみを隠そうともしない。宗我兵衛が思わず目をそらすと、半次郎は、

「……きゃつの考えそうなこつじゃ」

 と吐きすててから、

「きゃつは何故、そこまでする?」

 と問うた。

「はぁ……なんでも、人が押っ死ぬときに吐く科白が好きだとか……」

「……なんで?」

 これには半次郎も呆気にとられた。

「お気になりなさりますかえ? なら、しばしお耳を拝借……」

 宗我兵衛は、いつしか蝿みたいに揉み手をはじめながら、 訥々とつとつと語りはじめる。月はにわかに雲の簾を分けて出て、切り絵みたいな路傍の木々が、身を乗りだすよう影伸ばす……

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