灰色の少女の一生

第35話 灰色の少女

 グウェンドリンは優秀な魔術師だった。香木などを組み合わせたことで発現する幻は誰もが心を酔わせた。


 調香術式──様々な香木、ハーブなどの香りを香水瓶に混ぜ合わせ、空気に揮発させることでできる匂いの魔術だ。効果は主に幻想、そして対する人の心──つまり魂を引き出す。


 だからといってグウェンドリンが調香する匂いが全ていいものというわけではない。

 時には悪臭を作ることもある。自衛と拷問のため。苦痛を与えるのだ。匂いで嫌な記憶を呼び起こし、精神を掻き乱して相手を狂わせる。時には獣の匂いを作り出し、狼を発現させて好きに使役する。特に前者は調香術式の魔術師を大層酔わせた。

 人体の最も敏感な嗅覚を刺激し、魂を自在に操れるのでは。調香術式の祖であり、師であった魔術師はそう考えていた。


 幼すぎたときはちんぷんかんぷんだった。

 若いときは魔術に魅了された。

 匂いは魂を呼び起こす、と聞いたときは頬が赤くなった。


 なんてセクシーな魔術だろう。そう思えば、そう思い込めば、拷問も自衛も楽になれた。



 けれども、だ。



 死は誰が優秀で、誰が優秀でなかろうと、平等にやってくるものだ。だからこそ魔術師は目指してきた。調香術式を担うグウェンドリンもそうだった。


 優秀な魔術師グウェンドリンは一〇代の終わりを目前に、死を迎えた。

 原因は流行り病。調香に使う貴重な材料を自らの足で行った先、小さな集落の小さな村人から感染した。治療法がなかったけれども、医療にかける金はたくさんあった。あとは免疫力と体力があれば、生き延びれたかもしれない。

 しかし、いくら若いとはいえ連日研究に前のめりに没頭していた体はすでに悲鳴をあげていた。



 寝台に閉じこもる日々が続く。

 幼少期で飽きてしまった豪華な寝所。天蓋に施された刺繍の花がいくつあるのかすでに知っている。難しい本は読むな、と怪しげな医者に注意されて女中といけ好かない侍女に没収された。部屋を埋め尽くしていた本棚は空っぽに。作業机を占領していた調香の器具や香水瓶も寝ている間に消えてしまった。代わりに渡されたのは、ペンと日記帳につまらない恋愛小説の音読。

 会う人間といえば先程の医者と使用人。母は病の感染を恐れて実家のあるアイルランド地方へ、一番可愛い妹を引き連れて逃げた。父は娘の危篤よりも魔術にご執心だ。

 見舞いに来るのは調香術式の師と兄ギルバート。

 師との語らいは一番の安らぎだった。喋るだけの調香術式の研究ができた。

 兄ギルバートとはいつも辛い沈黙が一時間。退室する際に「大丈夫だ」と意味不明なことばかり。


「何が大丈夫なの?」


 思わず口にしたのは、死ぬ四日前。それに対して兄は何も言わなかった。



 たくさんの雨が庭に降り注いだ。憂鬱でじめじめしてグウェンドリンの体を蝕む代わりに、庭園のゼフィランサスを生かした。


 白い蕾が膨らんだ。雨露でしっとり体を濡らした花の群れが窓から見えた。


 ゼフィランサスの花が咲いた。

 突然ベッドから出ることが困難になった。窓に広がる輝く白い絨毯に目が眩んで倒れたのをきっかけに。


 呼吸をするたびに胸が痛くなって痛くなって。



──死ぬのね。



 グウェンドリンは自分の死がもうすぐだと勘付いた。

 そろそろだ、というところで兄が看取りに来てこう言った。


「何も心配しなくていい」



──何を言っているの?


 戸惑いと理解不能がグウェンドリンの脳を掻き乱す。

 兄はいつもこうだ。

 無口で、愛想がない。そして大切なことを絶対に言わない。昔から心配だった。きっとこの兄は最近娶った奥方を長年にも渡って泣かせ続けることだろう。


「ゼフィランサスの悲願が、お前を救うはずだ」


 言われた意味を理解する前に、意識は簡単に抜けた。




 こうして、グウェンドリン・ゼフィランサスの肉体は死んだ。

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