第33話 少年、真名と万年筆
深い暗闇から目を覚ました僕が真先に見たのは、三人の死神の背中だった。
ベンジャミン氏も、シャーロット嬢も、エヴァン師もボロボロのなりで、特に師は二人よりも汚れていた。虹色の破片を身体中に刺されている。僕を庇ったから……。
あの虹色の閃光のとき、僕を抱きしめて先生と二人崩れる工房の下敷きになった。もし先生が庇ってくれなかったら今頃僕はどうなっていたのだろう。
「いたい……っ」
足が全然動かせない。右足は痛いのに対して、左足は麻痺しているのか感覚がなかった。ぼんやりと足を見てみたら左足は重たい瓦礫に飛び込められ、右足はビフレフト鉱石の破片に貫かれている。あの時虹色の閃光はこれだったのかもしれない。
起き上がれない僕に背を向けた三人はどこか別の場所を見つめていた。視線を追った先を見て全身が鳥肌まみれになった。薄く開いていた目蓋がいっきに大きく開いた。
ドラクルの体がみるみる化け物に変貌していく。間違いなく、吸血鬼化しているようだった。つまりドラクルは自殺したというのか。どうして。
最悪なことに、僕とドラクルの視線が交差する。
背筋がゾッとした。怖くて師を呼ぼうにも歯がガチガチと震えて言葉にならない。
──吸血鬼は生きた人間を本能的に喰らう。
吸血鬼の特徴を思い出して尚更恐怖は膨れ上がった。
「くそっ。魔術師の吸血鬼化は本当に厄介だぞ」
エヴァン師がそう言ったと思う。僕はドラクルだった吸血鬼から目が離せなかった。瞬きをしたらそれこそあの鋭い鉤爪で切り裂かれてしまう妄想が何度も僕の脳裏に繰り返される。
ああ、最悪だ。足は自由に動く訳じゃないし、身体中が痛い。
とうとう吸血鬼は僕目掛けて突進してきた。
鋭い鉤爪で空気を裂き、素早く地面を蹴り上げる。犬のような身のこなしをエヴァン師たちは食い止めようと大鎌を振るった。それを見て僕は脱出しようともがいた。けれど体がうまく動いてくれず、緩慢で、そして力が思ったように出ない。
このままだと危ない。
冷や汗が垂れて流れる。
吸血鬼の鳴き声はすぐそこで轟いた。
獣臭い吐息も間近で、僕は慌てて横を向いた。
「っ──!」
呼吸が刹那に止まる。すぐ一歩近くに吸血鬼がいた。
シャーロット嬢とベンジャミン氏、エヴァン師の攻撃を軽々と避けて僕の元に来たのだ!
「止めろっ!」
背後からエヴァン師が大鎌を振り下ろそうとするが、呆気なく師は掴まれて僕の真上を放射線状に飛ばされた。学び舎に植えてあった落葉樹の幹にぶつかった。
「体が再生してる状態で突っ込むからよ、馬鹿!」悲鳴じみたシャーロット嬢の声が響いた。
僕の襟首がその間に掴まれる。
「うっ……」
引きずり出されるように掴み上げられたことで、瓦礫で足を擦られてしまった。呆気なく皮膚が破れて血が流れていく。
あまりの痛さに腕でドラクルを叩こうと腕を動かすも、それは空を掠めるだけで、そして緩慢だった。
小さく暴れたことでも、何かしらの変化はあった。服のポケットから万年筆と紙切れが落ちる。ドラクルの過去を見たあとに万年筆で走り書きした紙切れは蝶々のように舞って奇跡的に僕はそれを掴んだ。エヴァン師から貰った万年筆がカラカラと音を立てて落ちる。
ドラクルが音を立てる万年筆に顔を向けた。音が目障りだったのだろうか、万年筆をゆっくりと追い、踏み潰そうと足を上げる。
そのとき、僕は紙切れを見た。そしてたくさん出来るだけ空気を吸い上げて書いてある文字を叫んだ。
その紙切れにはこう書いてある。
「ヒューゴ!!」
吸血鬼の足が動かなくなった。
「ヒューゴ止めろ!」
──お願い誰でもいい。
「ヒューゴを止めて!!」
叫んだ瞬間紙切れから文字が浮かんだ。漆黒のアルファベットが紙切れから離れ、吸血鬼に飛びついて、そして纏わりついた。僕の体は手から逃れ、地面に叩かれながらも踏まれる寸前だった万年筆を掴み、抱きしめる。
ヒューゴ。
ただその名前だけを紙切れに書いておいた。それなのに、今、僕の文字がヒューゴをしっかりと抱きしめて拘束している。
唖然と僕は拘束を解こうとするヒューゴを見上げた。なんとか立ち上がったエヴァン師に引きずるように立たされ、ベンジャミン氏に支えられる。
僕たちの視線はヒューゴに真っ直ぐだ。
獣の輪郭が少しずつ、人の形を思い出している。ゆっくりと確実に、僕は人へと戻る過程を見守ろうと思った。
「ゾォオオオオ──イッ!!」
ゾーイの名前を呼ぶ獣の声が人に還る。
「ゾーイ! わた、し、ノ……!」
愛する人。
口元が確かに愛してる、と呟いた。
ホッとしたとき、一つの閃がヒューゴの胸を穿った。
「え?」
ヒューゴを縛り付けていた文字が割れて溶けて、消える。穿ったことでヒューゴの体がゆっくりと軋み、地面に傾く。
「馬鹿な……何故、
砂塵が舞い、僕の隣にヒューゴが倒れる。人の姿になった彼の胸は、ガラスのひび割れのようなものが心臓の部分にできていた。
慌ててヒューゴを見下ろすも、彼は虚空を見つめて譫言ばかりを口にする。
どうしたらいいのか分からないでいるとエヴァン師に突き飛ばされた。ベンジャミン氏が慌てて僕の肩を持つ。師は僕を一瞥しないままヒューゴの顔を両手で持ち上げた。
「ヨアンはどこにいる?! モーリスの魂は、私の右腕は、どこだ?! 答えろ、ヒューゴ!!」
エヴァン師の苦々しく響く声音にもヒューゴは答えなかった。
「女帝騎士が……そんな馬鹿な、マーリンさま…………わたしは、いら……ぬ、と…………?」
心臓を中心にしたひび割れは広がり、とうとう全身にまで音を立てた。
ぴしり。
まるで飴細工が簡単に壊れるように。
指先。
髪の毛の先端。
足先。
全ての末端から先に崩れていく。
とうとう顔も、エヴァン師の手から滑り落ちて欠片となった。心臓も残ることなくただの濁った欠片へ。
あまりの悲しい結末に目眩が襲って、僕はその場で気絶した。
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