第二部第一話Part10『嗚咽甲子園』


長畑:溝の口駅周辺 夜  


長畑だ。 

牧野さんの路上ライブを観に来ている。 

10人ぐらい、人が立ち止まって聴いている。 

牧野さん、人気出てきたな。   

通りすがりに彼女のことを写真に撮っていく輩がいた。  

でも、牧野さんはずっと浮かない表情をしている。 

何かあったんだろうか? 


牧野(回想):ライブハウス ヘルズゲート内控え室(夜)  


牧野です。 

お兄ちゃんがバンドを辞めるって聞いて、 

その場では、私は不思議と涙が出ませんでした。 

ただ、ひたすらに疑問が噴出してきました。


「辞めるって、新しいバンドを始めるってこと」

「違う。音楽で飯を食う道を諦める。バンドも解散させるつもりだ」

「どういうこと?」

「今日の客、見ただろ? あれが俺の現実だ。 

もう、俺たちの音楽は必要とされていないんだ」

「音楽のこと、嫌いになったの」

「いや、好きだ。だからこそ、辞め時を見失いたくない」

「何、それ・・・この間、魚雅、私に言ったよね? 

ミュージシャンは死ぬまでやれる職業だ! 諦めようなんて、思うんじゃねーぞって。 あの言葉は何だったの? ねえ、魚雅!」


「実家の寿司屋を継ぐことにした。」

「なんでっ! やりながらだって続けられるでしょ!!」


「男はな、実体のない物を、死ぬまで追い続けるわけにはいかないんだ。 

どんなに強く願っても、届かない思いがあるんだよ」


「(絶句した後、苦悶の表情で頭を押え)」


私は部屋を飛び出しました。力いっぱいドアを閉めました。


長畑:溝の口駅周辺 夜  



長畑だ。牧野さんの路上ライブが終わり、 

彼女はやってきていた人たちに一礼した。 

そして弦楽器を片付け始めた。観客たちは拍手をして去っていった。 

残ったのは、今日は俺だけだった。 

いや、もしかしたらあの女子高生がどこかから見ているのかもしれないけれど、

とりあえず、二人きりだ。 牧野さんはギターケースを担いで歩き出した。 

俺も後を追うように歩いた。

「お疲れ様、牧野さん。今日も、凄くよかったよ」

「・・・(無言でうなづく)」

明らかに、何かあったな。 

「どうしたの? 元気ないね」

「(小声)・・・私は、元気です」

 元気そうに聞こえないんだけども。


「あの曲。初めてちゃんと聴けたよ。良い曲だね。 

CDにしたら、きっと売れるよ」


「今の時代、CDなんて売れません。」  


俺は苦笑いした。  

俺と牧野さんは近くのベンチに座った。 

無言だった。とてつもない無言。 


重苦しい沈黙を破ったのは、 牧野さんの思いがけない一言だった。


「ねえ長畑さん。」

「何?」

「長畑さんは、元、高校球児だったんですよね?」


「ああ、そうだよ」

「プロを目指してたんですか?」

「うん。まあね。諦めたけど」

「なんで、諦めたんですか」


「え・・・改めて聞かれると、困るけど、普通に生きて、普通に暮らそうって思ったんだ。肘の調子も悪かったからね」



「だから辞めたんですか?  

肘のために、野球を辞めたんですか」


「・・・ああ、そうだよ」


「お父さんやお母さんは、本当にそれを望んだんですか?」  


牧野さんの問いかけに、俺は、中学生のとき、

マウンドに立つ自分を必死に応援してくれる両親の姿を思い浮かべた。

何故かはわからない。 


「聞くまでもないさ。 俺は一人前の大人にならなきゃいけない。 

それが俺の責任なんだ」

「私には、理解できないです」

「どうして」



「だって、子供の頃から、誰よりも一番に応援してくれたのは、

家族でしょ?長畑さんがプロの選手になることは、長畑さん1人の夢じゃなくて、 

家族の悲願だったんじゃないんですか?  そんな大切な物を、自分の判断で、甲子園で負けたからって放り捨ててとんずらですか?  肘を治すことも考えずに、そんなの絶対におかしいですよ」


「(声を荒げ)どんなに頑張っても、 叶わない夢があるんだよっ」


「叶わないなら、叶うまで努力すればいいだけでしょうがっ!!」  



 牧野さんは俺を焼き尽くすような強い瞳で見つめてきた。 

 そして、直ぐに視線を外した。




「野球だったら、社会人でも出来るじゃないですか。

練習や道具代が負担になるなら、バイトでも何でもして、 

死ぬ気でお金稼いで続ければいいだけじゃないですか。 

何で一度本気になった物を、そんな簡単に捨てられるんですか? 

逃げて東京で抜け殻みたいに日々を過ごすことこそ、 

親に対する一番の裏切りだとは思わないですか?  

私にはそんなこと絶対にできないです。 考えられないです。」


「牧野さんは、まだ、若いから。 もう少し大人になれば分かると」

「年齢なんて関係でしょうがっ。」  


牧野さんがベンチから立ち上がった。



「(立ち上がり)言っておきますけど、

私がミュージシャンになることは、自分だけの夢じゃないんですよ。 

お父さんも、お兄ちゃんも、秋田でお世話になった人たちも、 

私がデビューする日を心待ちにしているんです。 家族や皆の悲願なんです。 

辞めるなんて簡単に言えるもんじゃないし、言うつもりもないですよ。

だからどんなに辛くったって、 絶対に諦めたりしないって、

私は、覚悟して東京に出てきたんです。 それなのに、長畑さんは、

長畑さんはおかしい。 おかしいですよ・・・(兄の背中を思い浮かべ、涙を流しだす)」  



牧野さんが、瞳を潤ませ、涙を流し始めた。 

一体どうしたんだろう。 いつもの牧野さんとは、様子が違う。


「牧野さん・・・、一体どうしたの?」

「なんでもないです。御免なさい。今日は帰ります」  


牧野さんはギターケースを肩にかけ、 

キャリーバックを引いてベンチからどんどん離れていった。 


途中で転んだ。俺は声をかけたが、彼女が静止した。

牧野さんの後ろ姿は、まるで赤子のように小さく、ひ弱そうだった。

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