第338話 霧の中の襲撃者

「あちらにかすんで見えるのが『ユフ大陸』です」


 エルグレドは上甲板に設けられている操舵室から身を乗り出し、船首近くに集まっている篤樹たちへ声をかけた。その声を受け篤樹とエシャー、ピュートは進路前方に顔を向ける。


「予定より、早く着きそうなんですか?」


 篤樹はユフの島影を水平線上に確認し、エルグレドに尋ねた。


「いえ、海峡を渡る前に本隊の停泊拠点をもう1ヶ所整えますので……ユフへの上陸日程は、今のところ予定通りですよ」


 ミルベの港を出て5日目―――ガザル追撃先遣隊が分乗する3隻の船団は、エグラシス大陸東沿岸を北上し、北部の半島に向かっていた。

 エグデン王国保有の「大型帆船」とは言え、大海を横断して他大陸を目指すほどの造船技術も海洋進出史も無い。そのため、沿岸部を航海しながら2~3日間隔で停泊し、帆や船体の保全確認、水・食料の補給を行う必要があった。出航から3日目に大陸北東部に在る既存の停泊拠点を整備していたので、エルグレドの語る「もう1ヶ所」の停泊拠点整備にかかる時間も篤樹は感覚的に理解する。


「そうですか……」


 篤樹はエルグレドの返答に応え、視線を左舷奥に見える陸地へ向けた。エグラシス大陸北部に突き出す半島……あそこに「タクヤの塔」は在るんだよな……


「どうした? カガワ」


「何か見えるのぉ?」


 ピュートとエシャーが篤樹の視線に気付き声をかけて来た。


 この2人……なんか、ますます似て来たよなぁ……


 不思議そうに半島を見つめる2人の表情に苦笑いを浮かべ、篤樹は口を開く。


「いやさ……俺……先生から『タクヤの塔』を目指せって最初に言われてたんだよね。そこに行けば『全て』が分かるからって……」


 こんなに近くまで来たのに……


 篤樹の心の声が聞こえたかのように、エルグレドが応じる。


「分かってますよ、アツキくん。ガザルの件が片付いたら、次こそはタクヤの塔にお連れしますから。何より、タクヤの塔を目指せる上陸ルートはこの海岸線には無いんですよ」


「えっ!……そうなんですか?」


「陸路しか無いな」


 驚く篤樹の声に被せ、ピュートが説明する。


「半島の全周は、どこも100メートル近い断崖絶壁だ。エグラシスとユフは昔、1つの大陸だったらしい。創世神時代の大きな変動で2つに割れたが、その大地の裂け目があの半島の断崖だ。半島内への移動は、エグラシス側内陸の砂漠地帯と森林地帯を北上して行くルートしか無い。あとは……」


 ピュートは視線をエルグレドに向けた。


「飛んで行くとか……だな」


 その視線と言葉に、エルグレドは失笑する。


「私はフィリーとは違いますよ、ピュートくん。飛翔イメージを法術で発現出来るようなセンスはありません」


「そっか! フィリーだったら飛べるんだもんね!」


 エルグレドの「過去の話」を思い出し、エシャーも笑みを向けて口を開いた。エルグレドは首を横に振る。


「とにかく、今回の移動で『ついでに』立ち寄れるような場所では無いということです。ガザルを倒した後……引き続き、皆で一緒にタクヤの塔を目指して旅をしましょう!」


「だねッ!」


 エシャーは「この先」も旅が続く約束を語ったエルグレドに共感し、満面の笑みで応じる。そのまま篤樹の左腕とピュートの右腕を、それぞれ自分の左右の腕で引き寄せ2人の間に収まった。


「レイラとスレイも戻って来て、ガザルをやっつけたら、6人そろってタクヤの塔まで旅をしようね!」


「あ……う、うん。そうだね!」


「エシャーはイチイチ人を引っ張るのをやめるべきだ……」


 困惑気味に応える篤樹と、静かに苦情を告げるピュートを、エルグレドはにこやかに見守る。


 6人全員で……ですか……


 一瞬向けられた陰りあるエルグレドの視線を、ピュートは真っ直ぐ受け止めた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 グラディー山脈東端の峰近く、深い霧に包まれた森の中をレイラたちは進んでいた。


「この辺りにしちゃ、えらくまとまって降りやしたねぇ……」


「この時期にあれだけ降るなんて、私も30数年で初めて知りましたよ。まあ、私が子どもの頃の西部地方なら……」


 スレヤーのウンザリとした声にバスリムが応じる言葉を、レイラは右手を上げて制止した。一行の足が止まる。


 ハァ……ハァ……


 息も潜めた3人とは違い、何の訓練経験も無いミッツバンの荒い呼吸が森の静寂の中に響く。バスリムは静かにミッツバンに近寄ると、露除けに被っていた外套のフードを脱がせた。そのまま右手をミッツバンの口に近付け、薄青い法力光の伴う呼吸補助魔法を施す。

 レイラとスレヤーはそれぞれのフードを両手で広げ、周囲の音にしばらく集中していた。


「……また『熊』ですかねぇ?」


 周囲からの敵対気配が特に感じられないことを確認し、スレヤーが口を開く。ミッツバンを連れての登山は予想通りに歩が進められず、3日目を迎えている。その間、森に住むどう猛な獣からの襲撃を2回受けたが、いずれも一行の「食料」となった。


「熊肉はあまり好みではないわ。出て来るなら、タヌキのほうが嬉しくてよ」


 レイラも安全を確信したのか、穏やかな声でスレヤーに応じる。


「ミゾベさん……『道』は間違い無くって?」


 ミッツバンの回復を助けているバスリムにレイラは尋ねた。バスリムはミッツバンへの介助を中断し、外套の中から地図を取り出す。


「昨夜の大雨で崩落した斜面を迂回しましたから……目印の『枯れた沢』がここで……標高から考えて……とにかく、この霧がなぁ……」


 地図を指で辿りながら、バスリムはしばらくブツブツ呟く。


「んだよ。使え無ぇ情報屋だなぁ!」


 スレヤーが茶化す言葉に、バスリムは地図から顔を上げた。


「伍長! キミの嗅覚だって当てにならないじゃないか! 私はさっきの岩場から左に向かうべきだと言ったのに!」


「んだよ! テメぇだって了解したじゃ無ぇかよ! 今さら責任、痛テテテ……」


 スレヤーのフードの中にレイラは手を伸ばし入れ、彼の左耳を思い切り引っ張って言い争いを止めさせる。


「じゃれ合いはそこまでよ、スレイ……」


 ピュン! ピュン!……


 レイラが言葉を終える前に、甲高く空気を切り裂く音が幾重も霧の中に響いた。


「うわっ!」


 一瞬遅れて身を屈めたミッツバンの背後にバスリムは立ち、2人を包むように防御魔法を張っている。レイラはスレヤーと背中合わせに立ち、自分の前面に防御魔法を張っていた。


「へっ! あ、ら、よ……っと!」


 スレヤーは霧の中を真っ直ぐ飛んで来る「矢」を、瞬時に抜いた剣で立て続けに何本もはらい落とす。


「文化交流を長い間ご無沙汰していると、口下手になられるのかしら?」


 矢音が止むと、レイラは自身の防御魔法前に落ちている十本以上の矢を一瞥し、霧の向こうに居る「射手」に聞こえるように声をかけた。


 ギリ……


 周囲十数メートル先の霧の中から、それぞれ新たに矢をつがえる弦音が聞こえる。


「グラディーの連中だろ?! こっちはお前らとやり合う気は無ぇよ!」


 スレヤーがウンザリした表情で宣言した。緊張した空気がしばらく辺りを支配する。数秒の後、霧の中から男の声が聞こえた。


「指定境界線を越える者には死を……。この意味は分かるな?」


「あら? まあ……越えてしまっていたのですの?」


 間を置かず、レイラがワザとらしく驚きの声で応じる。周囲の警戒心が強まった空気に、スレヤーは苦笑いを浮かべた。


「エグデンの犬どもが……」


 カチャリ……カチャ……


 霧の奥で金属が触れ合う音が鳴る。中・遠距離の攻撃は防がれることを悟った襲撃者たちは、近接戦での攻撃に移るため剣を抜き、槍を構えた。その気配を、レイラとスレヤーも感じ取る。

 周囲の間合いが狭められて来た。白い壁のような霧の中に薄っすらと人影が動く姿を確認すると、スレヤーは背後のレイラに小声で語りかける。


「……ザッとで20です。奥に弓手も残ってますねぇ……。どうします?」


「4人の内、1人は残してやる。伝令用にな。3人は殺す。禁を破ってグラディーを汚した報いだ」


 スレヤーの言葉の終わりに重なるように、5メートルほど先にまで迫っている声が聞こえた。


「グラディーの怨龍が暴れ出して、困ってますの。何とかして下さらない?」


 レイラは周囲の殺意に臆することなく、まるで、隣家の騒音へ苦情を訴えるように語りかけた。周囲の気配が一気に困惑へ変わったのをバスリムは読み取り、驚きの表情をレイラに向ける。


 一体……何を……


「あ? え? 何だって?」


 不意に投げかけられた「苦情」に、霧の中の男も言葉に詰まった。


「3週間ほど前に『グラディーの怨龍』が王都に現れましたのよ。怨龍は都の3分の1を破壊し飛び去って行きましたけど、いつまた戻って来るやも知れませんから、あなた方に何とかしていただきたいんですの」


 レイラの芝居がかったセリフにバスリムは唖然として口を開き、スレヤーは必死に笑いを噛み殺す。


「ふ、ふざけた事を言うな! なんだぁ、そりゃ?」


「お、女だからって、つまんねぇデタラメ話をしてりゃ、テメェを殺すぞ!」


 霧の中から次々に男たちの罵声が投げかけられる。


「エグデンの人間種どもが! 構わ無ぇ! ジジイだけ残して皆殺しだ!」


 他の声とは異なる特徴的な発声音の言葉が響く。その声に触発されたように、周りを囲む襲撃者たちが叫び声を上げ、跳びかかろうとした。


「「「うォ黙りーッ!!」」」


 レイラは法力光を放つ両手を、自分の前面で強く打ち合わせる。その打音は言葉へと変換され、まるで、それぞれの耳の真横で叫ばれたような大声量となって辺りに響き渡った。その音振は周囲の霧をも晴らしてしまう。


 霧が晴れた周囲数メートルに、耳を押さえて頭を下げる10数人の姿が現われる。その内の数人は一目で「半獣人種」と分かる外見だ。


「な、なんだ……テメェは……」


 特徴的な発音の声で、両耳を押さえレイラを睨んだ男は、狼と同じ頭部を持ち、赤茶色の立派な毛並みの両腕を袖から露出する二足直立の半獣人種だった。


「私?」


 レイラは露除けに被っていた外套のフードを脱ぐ。エルフ族特有の尖った耳があらわになると、周囲にどよめきが起こる。


「北の……エルフ族か?」


 別の男が声を漏らす。レイラは長く真っ直ぐな黒い髪を右手でサッと かすと、微笑を浮かべ周囲に顔を向けた。


「グラディー族長にお目にかかれますかしら?」


「族長に、だと?」


 半獣人のグラディー戦士が問い直す。


「ええ……エルフの『ヴェザ様』は御健在かしら? 『御友人のエグザルレイ』から御伝言がございますの」


 レイラの言葉を受け、周囲に集まっていた襲撃者……グラディー戦士達は呆気にとられ、言葉を失ってしまった。

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