第336話 境界
「ピュートくん……」
船尾で航跡を眺めるピュートを見つけ、エルグレドは声をかけながら近づいた。北上する船の左舷側から西日が射し、後部甲板をオレンジ色に照らす。一瞬だけ顔を向け反応したピュートは、すぐに視線を航跡に戻した。
「アツキくんは落ち着きましたか?」
「ルエル……エシャーが付いてる」
背後からのエルグレドの問いかけに、ピュートは視線を向けず答える。その右横にエルグレドは並び立った。
「エシャーさんのお名前、ようやく覚えましたか?」
「・・・」
微笑むエルグレドを、ピュートは無感情な瞳で見る。
「名前は初めから知ってる。『父』の隊の中で呼び慣れたコードのほうが楽だから『ルエルフ』と呼んでただけだ。……この隊の中では本名で呼ぶほうが都合良さそうだから、変更した」
「そうですか」
乗船して間もなく、エシャーから「いい加減に名前で呼んでよね!」と詰め寄られていたピュートの姿と、それをなだめていた篤樹の姿を思い浮かべ、エルグレドは満面の笑みでピュートの言葉にうなずいた。
部隊指揮に追われ、乗船後に3人とはゆっくり話す暇も無かったエルグレドだったが、篤樹が激しい船酔いに遭っているとの報告を受け、船内個室の使用許可を出したのが出航から1時間後。夕刻を迎えようやく指揮もひと段落し、甲板に出て来たところだった。
「ここで、一人で何をしていたんですか?」
エルグレドは船尾枠板に両手をつき、後方から追走する帆船を見ながらピュートに尋ねる。
「別に……何も。波の動きを見ていただけだ」
ピュートは手持無沙汰なのか、外套の中に手を入れ何かを触っている。
「……ユフにはいつ着くんだ?」
「今の季節なら、順調に行けば1週間……遅くても10日以内と船長さんは言ってましたよ」
エルグレドは質問に優しく答え、視線をピュートの外套に向けた。
「……それ、例の薬ですか?」
ピュートが外套の中で握っているモノを予想し、エルグレドが問いかける。ピュートは動きを止め、視線をエルグレドに向けた。
「あと、何日分残ってるんですか?」
優しい口調とは裏腹に、逆らい難い視線を向けられたピュートは、薬箱を握った右手を外套から出しエルグレドに見せる。
「ひと月はもたないくらいだ」
「そうですか……では、王都に戻るまではもちますね?」
ボルガイルにより生み出された人造人間ピュート……その誕生にはガザルの細胞が用いられている。エルグレドに匹敵する魔法術力と驚異的な治癒力、そして、常人を大幅に超える身体能力を有する強化人間―――しかしその代償は、ガザル細胞と人体細胞の拒絶反応による「短命体」であることが、ボルガイルの研究日誌から明らかになっていた。
拒絶反応を抑えるための特別な薬の製造方法は、ボルガイルの研究データにも残っていない。そのため、見本としてピュートの薬を数錠ユーゴ魔法院評議会に託し、早急に複製するように指示が出された。ヴェディスは数週間での製造を自信タップリに約束してはいたが……
1ヶ月……ですか……
再び航跡に視線を移したピュートの横顔を、エルグレドは笑みを浮かべたままジッと見つめる。
討伐本隊とは1週間遅れで合流予定……予定通りにガザルを滅することが叶い、王都へ帰還することが出来ても早くて20日強……ギリギリですね……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ミルベの港で篤樹たちを見送って3日目の昼―――レイラとスレヤーはタグアの町の武器屋に居た。タグアの町での合流をミッツバンから提案されたため、篤樹が「
「ちゃんと約束通りにミッツバンも来ますかねぇ……」
「さあ? 商才のある方ですし、自己保身能力も高い方ですから。余程のお馬鹿さんでなければ、私との約束を守って下さるのではなくて?」
店は本通りから2本奥まった裏通りに在る。装備品を扱う店が数軒並ぶ通りには、それほど多くの人は行き交っていない。レイラとスレヤーは予定通り早朝にタグアの町に入り、巡監隊詰所に自分たちが乗って来た馬車を置いて来た。ミッツバンに指示を出した集合時間はわずかに過ぎている。
「アッキーの剣は、この店に転がってたんですよねぇ……。俺用の『特別な武器』も無いすかねぇ……」
店主が接客にも出て来ない静かな店内を、スレヤーは端から物色している。レイラも退屈そうに、雑然と置かれている棚上の装備品を眺めていた。
「お連れの方がお出でになられたようですよ」
カウンターの中に突然姿を現わした店主が、やわらかな声を2人にかける。
「うおっ……居たのかよ!」
陳列されていた剣を片手にもったまま思わず声を上げたスレヤーとは対照的に、レイラはゆっくりカウンターへ振り返り、店主に笑みを向ける。
「連れ? 私たちより、店主さんのほうが親しい御友人なのではなくて?」
レイラからの問い掛けに、店主はニッコリ微笑んだ。直後、その首元にスレヤーが抜き身の剣を突き付ける。上げかけていた店主の指先がピタッと止まった。
「冗談のつもりかよ、おっさん? かなりマジな殺気ってのは、相手を選んで発しなよ?」
「ふふふ……お客さん……売り物で遊ばないでいただけますかな?」
笑みを浮かべたまま、店主は動じることなくスレヤーに語りかける。そのまま、首元に突き付けられた剣先へ右手を伸ばし、軽く押し返す。スレヤーはおとなしく剣を引き下げた。
「スレイに特別な武器は不要でしてよ。あなた自身が特別な使い手ですもの」
レイラからの言葉に照れ笑いを浮かべつつ剣を下げながらも、スレヤーは全身から臨戦態勢の気を放ち店主を牽制し続ける。
「今日はあの『みみっちい』隊長さんは御一緒では無いのですか?」
スレヤーからの牽制にも細い笑みを浮かべ、店主がレイラに尋ねた。エルグレドの「価格交渉」を思い出し、レイラは笑みを浮かべ首を傾げる。
「彼は別の仕事に向かっていますわ。そんなことくらい、良く御存知なのでは無くて? ミゾベさんのお仲間なんでしょ?」
「ミゾ……」
微笑むレイラからの問いに店主は一瞬首をかしげるが、すぐに笑みを取り戻す。
「さあ? 何のことやら……という御返答ではダメですか? ドュエテ・ビ・レイラ・シャルドレッド次期高老大使」
「そういうこってすか……」
2人のやり取りにスレヤーは納得顔でうなずくと、剣を元の陳列棚に戻しながら言葉を続ける。
「装備屋なら、あちこちで情報収集もしやすいわなぁ。偏光魔法で身を隠しての店番ってことは、法術士か……。バスリムんとこの面子が店主の店なら、俺らが長居してても怪しまれねぇってことで?」
店主はスレヤーの言葉にニッコリと微笑む。そのタイミングで、一般旅装をしたバスリムが店内に入って来た。
「ああ! レイラさん、スレヤー伍長。お待たせしてしまいましたか? 申し訳ない! 馬車はそこの公園に停めて来たから、すぐに出発出来ます」
「あら? ミゾベさん。今日はいつもの御者服ではございませんのね?」
バズリムに笑顔を向けてレイラが尋ねる。
「ええ。今回は
レイラに向かい少し急かすような説明をしていたバスリムは、自分を見つめる3人の表情に気付き言葉を切った。
「あの……」
確認するようにバスリムは3人に視線を流す。
「『お客さん方』にはもうバレてるよ、バズ」
「え?」
店主の言葉にバスリムは驚きの声を漏らし、視線をレイラに固定した。
「タグアの町での合流をミッツバンに提案されたのはあなたでしょ? ミゾベさん。『お仲間』から何かの情報をいただくのかと思って、こちらのお店を選ばせていただきましたのよ」
「なん……で……え?」
当然のように語るレイラにバスリムは呆然とするが、すぐに笑みを取り戻す。
「さすがですね。分かった上でこちらを選ばれてたんですか……。レイラさんには是非とも今後、我々の組織に加わっていただきたいものです」
「ご遠慮しますわ。で、何を受け取りに?」
レイラが視線を店主に向ける。店主の手には布袋がすでに持たれていた。
「ほらよ、バズ。依頼の品だ」
店主はバスリムに向かい袋を投げ渡す。
「ミッツが言ってる『潰された洞窟』ってのは、サラハ村西の監視所から山側の森ん中だ。公務なら正式に許可をもらって入れば良い」
言葉の後半で店主の視線を受けたレイラとスレヤーは、軽くうなずいて見せる。
「大陸内のどこでも、自由に捜索する権限をゼブルン王よりいただいていますわ」
レイラの返答に店主は片方の口端を上げた。
「そんじゃ『こっち側』は安全だな」
「こっち側? なんだよ、その言い様」
店主の言葉尻を、スレヤーが不審げに問い詰める。袋の口を開きかけたバスリムが続けて店主に問いかけた。
「何か問題が?」
「抑留地の連中には話が通って無いって事だよ」
店主は「当然顔」で3人の顔をサッと見る。
「抑留地との指定境界線を侵せば、グラディーの連中が有無を言わさず襲いかかって来るってことだ。これまでにも、境界警備の連中が何人かやられてる。指定境界線だけは絶対に超えるなよ。あっち側の情報は……さすがに手に入って無いからな」
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