第334話 得手・不得手


「エルグレドさんたち……遅いですね……」


 篤樹は目の前の焚火に足し木を挿し入れ、川辺に顔を向けた。ユーラ川に沿う街道を挟み、いくつかの野営テントと小隊それぞれの焚火が見える。


 食事を終えたエルグレドとウラージ、そしてミスラが「中央宿営」に行ってすでに2時間ほどが経っていた。


「まあ、いよいよ明日からは『船旅』だしな。ほとんどが船も初めて、ユフ大陸も初めてって大所帯を背負うんだ。大将も見た目以上に緊張してんだろうさ」


 焚火で沸かした鉄缶のお湯を使い、スレヤーが器用に飲み物を作りながら応じる。


「あ、ありがとうございます。ミスラさん……大丈夫かなぁ……」


 スレヤーから手渡された湯気の立つカップを受け取り、篤樹が心配そうにつぶやいた。


「まあ、とにかく……」


 川岸に設けた「中央宿営」に再び視線を向ける篤樹にスレヤーが声をかける。


「ミスラちゃんからのユフの情報は馬車ん中で一度聞いた内容だからよ、ウラージさんでも『通訳』は可能ってこったな。大将も一緒なんだし、アッキーが気にしなくっても大丈夫さ」


「それは、まあ……そうですけど……」


 篤樹は歯切れ悪く応じる。


おさ……おじいさまが『通訳は大丈夫だ!』って言い張ったのだから、あなたが責任を感じなくても良くてよ、アッキー」


 レイラが優しく声をかけた。そのレイラにスレヤーがカップを渡す。


「ありがとう、スレイ。あら? 珍しい香りの茶葉ね?」


「お! さすがレイラさんだ! これはヒーズイット大将んところからいただいてきた上物なんすよ!」


 素直に破顔の喜び声でスレヤーは応えた。


「なんでも、スヒリトの親父がグラディー山脈麓の村で仕入れて来たそうで、あっちの山にしか育たない茶樹らしいす」


 スレヤーは嬉しそうに語りながら、エシャーにもカップを渡す。


「あ……紅茶の匂いだ……」


 レイラとスレヤーの会話につられるように、篤樹はカップを鼻に近付け香りを確かめた。こちらの世界に来てから何度も「お茶」を飲む機会は有ったが、いずれもウーロン茶を薄めたようなものだったため、特に気にせずに飲んでいた。しかし、今夜手にした飲み物は、元の世界でも飲んでいた「紅茶」の香りがする。それも、記憶の中にあるどの紅茶よりもハッキリと「紅茶」を感じさせる香りだった。


「コウチャ? アッキー、知ってるお茶なの?」


 エシャーはスレヤーの手からカップを受け取り「ありがと」とひと声かけ、すぐに篤樹に尋ねる。


「え、あ……うん……向こうだと『紅茶』って呼んでる飲み物と同じ香りなんだ……」


 篤樹はカップを口に運び、ひと口すすってみる。味も確かに「紅茶」だ。


「うん! 紅茶だよ、これ!……えっと……向こうだと砂糖を入れて飲んでたんだけど……」


 味も香りも紅茶であると確認すると、篤樹としてはかえって「甘くない紅茶」への抵抗を感じてしまう。


「まあ、アッキーったら! お茶に砂糖を入れるなんて、味覚がおかしいんじゃなくて?」


 レイラが呆れ声で口を挟む。確かに、こっちの世界で飲む「お茶」やコーヒーのような「ピピ」に砂糖を入れている人は見たことが無い。でも……ここは譲りたく無かった!


「美味しいんですって! 甘いほうが! アイスティーでもミルクティーでも、紅茶に砂糖は必需品です!」


 力説する篤樹に、スレヤーが笑いながら砂糖の入った木筒を手渡す。


「まあ、別に『入れるな』とは言わ無ぇよ、アッキー。ほれ」


 渡された木筒を受け取り、篤樹はスプーン山盛り1杯ほどの砂糖をカップに入れた。


「『甘いお茶』って、美味しいの?」


 エシャーが興味深く篤樹のカップを覗き込む。手近に有った小枝でカップ内を混ぜ、篤樹はひと口味を確かめる。


「うん! これこれ! 紅茶はやっぱり甘いのが良い! 飲んでみなよ!」


 横に腰掛けたエシャーに、篤樹は自分のカップを差し出す。エシャーは自分のカップを篤樹に預け、渡された「甘いお茶」を口に含んだ。


「ね? 美味しいだろ?」


 得意気な表情を見せる篤樹に対し、エシャーは無言でカップを返す。


「う……ん……私は……甘くないお茶のほうが好きかも!」


 篤樹に持たせていた自分のカップを受け取り、エシャーは微妙な笑みを浮かべ応じる。


「えー? 何だよ、その反応……」


「まあまあ、好みは人それぞれってこった! ほら、ピュートも飲めや!」


 不貞腐れた篤樹の背後をまわり、スレヤーがピュートにカップを渡す。ピュートは無言でそれを受け取ると、確認するように口を付ける。


「……」


 ピュートはカップを口元から離し、ジッと篤樹に目を向けた。その仕草に気付いたスレヤーが声をかける。


「お? どうしたよ?」


「……カガワのも飲んでみたい」


 思いがけないリクエストに、篤樹は口元に運んでいたカップを離す。


「は? え……ああ、ほら……」


 篤樹は立ち上がるとピュートに近寄り、自分のカップを渡した。ピュートは自分のカップを左手に持ち替え、右手で篤樹のカップを受け取ると、すぐにひとくちを含む。


「な? 甘いほうが美味しいだろ?」


 賛同者を増やしたい篤樹は、笑みを浮かべピュートに尋ねる。しかしピュートは無表情のままで篤樹にカップを差し返した。


「甘くしたお茶の味だとは分かる。『美味しいか?』と言われても分からない」


 ジト目で見つめる篤樹を気にする素振りも見せず、ピュートは自分のカップに視線を落とす。スレヤーとエシャーが笑いを堪える中、レイラは冷ややかな視線をピュートに向けていた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 王都を発ってからの2日間、エルグレドは「基本的な全ての情報」を共有するため、このメンバーを同じ馬車に乗せることにした。その「情報」には、当然、エルグレド自身の秘密も含まれている。


 ユフ大陸のミスラは別として、ピュートにまで「秘密」を明らかにすることに、レイラは呆れて抗議をしたが、エルグレドは「大丈夫ですよ。ね?」とピュートに笑みを向けただけだった。


 そして……ミスラから語られるユフ大陸の状況を、一行は詳しく知る事となる。


 ユフ大陸には、ミスラが属する「カミュキ族」の他は、人間種の部族は極少人数の2つだけしか存在しない。そのカミュキ族も総勢で5千人ほどであり、エグラシス大陸と比べ人間種の文明は発展していない。数百人ずつの集落に分かれ、わずかな面積の農耕と狩猟とで暮らしている。


 人間種以外には小人族や獣人族も居るが、エルフ族には遭遇したことも無いそうだ。異種族間での交流は持たず、それぞれが互いの領域を侵さないように過ごしている。


 大陸の大部分は森林地帯となっており、数万の大小様々なサーガの他、どう猛な獣も数多く徘徊している土地だと言う。そして、何よりも……


「エルが正気を失うぐらいに怖がる『怪物』かぁ……」


 エシャーが小枝を焚火に投げ込む。その声にレイラが応えた。


「驚きよねぇ……。図々しいくらいの戦闘力を持つエルが、その『怪物』相手に取り乱してユフの港を破壊しちゃっただなんて……」


 2人の会話に篤樹は複雑な笑みを浮かべ、小枝を火に投げ込む。


 馬車の中で情報共有する会話の中、初代エグデン王の建国以来、数百年に渡って続いていた「ユフとの交易」がなぜ途絶えたのか……エルグレドはウラージから問い詰められた。篤樹たちも交易途絶の原因がエルグレドに在ることは聞いていたが、一体彼がその時「何をした」ためにそうなったのかは聞かされていなかった。


「……王都を脱出後、交易船でユフの港に渡り、私は荷積みの隙を見て小さな小屋に身を隠したんです。そこは、ユフの農産物などを保管している倉庫でした」


 当時の情景を思い浮かべるようにエルグレドは軽く目を閉じ、これまで見たことも無い嫌悪に満ちた表情を見せる。


「船員らが寝静まってからの移動をと考え、息を殺してタイミングを計っていました。その時……今まで感じたことの無い気配を感じたんです。何かが居る……いや、小屋の中に集まって来ている……気付いた時には、私はヤツラに囲まれていました」


「ヤツラ? サーガですかい?」


 スレヤーからの問いに、エルグレドは首を横に振った。


「いえ……見たことも無い小型の生物です。小屋の隙間から射し込む月明かりで、ヤツラの姿を見た時……全身の毛が逆立つ恐怖を覚えました」


「どんな生物でしたの?」


「まさに『怪物』です」


 レイラから尋ねられ、すぐにエルグレドは応じる。


「わずかな月明かりを反射する、油膜を張ったような厚みの無い黒い身体……せわしなく動く2本の触角……無数のトゲを持つ6本の脚……」


 その生物の姿が脳裏にまざまざと映し出されたのか、エルグレドは文字通りに身を震わせ自分の両腕を強くさすり、嫌悪感を表わす。


「体長は10センチほどの小型生物ですが……緩慢な動きかと思えば、ゴブリンのように機敏に攻めて来る……しかも1体2体ではなく、数十……いえ、数百は居ました。飛翔機能も合わせ持つヤツラは、全方向から攻めて来たんです。完全に我を見失った私は……コントロールする余裕も無く攻撃魔法を放ちました。小屋も港も浜辺も消滅し……以来、ユフの民はエグラシスの人間種との交易を打ち切ってしまいました」


「そりゃ……とんでも無ぇヤツラですねぇ……」


 恐怖に怯えるエルグレドの姿に、スレヤーがゴクリと唾を飲み込み応えた。他の面々も声を失ったように押し黙り、エルグレドを見つめる。しかし、ミスラに通訳をしていた篤樹だけは、エルグレドの語る「怪物」に思い当たる生き物をイメージし首をかしげた。


 その後、篤樹の知る「生き物」とエルグレドが語る「怪物」は同じ生物では無いかとの話でしばらく車内は盛り上がった。しかし結局、ミスラからもその生物はユフの民も恐れるユフ大陸特有の「怪物」だと聞き、篤樹の知る生物とは別種のモノでは無いかという結論に落ち着いた。


 でも、篤樹はどうにも腑に落ちない。詳しく聞けば聞くほど、その生き物は「ゴキブリ」にしか思えなかったのだから。


 エルグレドさん……正気を失うくらい、ゴキブリが苦手なのかぁ……


 ユフ大陸の「黒き怪物の群れ」の話に盛り上がるエシャーとレイラを見つめながら、篤樹はゴキブリに怯えるエルグレドを想像し苦笑いを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る