第328話 ガザルとエレナ

「……ルエルフの おさより10年以上前に、ガザルはこっちに来たと調査書に有った。だが、あんたの話が本当ならガザルに狂暴性は感じられない。……外界の100年間で、ヤツの身に何が起きた?」


 ピュートは、直子が語るガザルの旅立ちの姿を思いながら尋ねた。


「『私たち』はそれぞれの場所に居るから、それぞれの場所で起きている情報は、更新しないと共有出来ないの……」


 直子の返答にピュートは首をかしげる。直子はすぐに言葉を続けた。


「ここからの話は『私』が直接見た情報では無く、外の『私』が収集した情報……そばに居れば、彼を助けられたのに……」


 悔しそうに唇を噛みしめ、直子は語り始めた。



―――・―――・―――・―――



 ミミが村に戻った後、王都では新しい王の治世が始まっていました。魔法院評議会は王都周辺の開発を推し進め、その開発の手は壁外東部地帯……小人族の森にまで及んでいました。ガザルが外界で見たのはミミの夫であるシャンたちが住む小人族の森ではなく、切り拓かれた平野に所狭しと建つ人間種の町だったのです。向こうの「結びの泉」へ出たガザルは、洞窟を通り地上に出ました。


『おい、お前! そこで何をしている!』


 そこで初めて人間に出会ったのです。そして不幸にもその出会いが、ガザルが狂気へ走る第一歩となってしまいました。


 開発現場で働く男は誰もが思うように、ガザルの外見から「エルフ」と勘違いをしました。しかし、当時すでに王政府との協力関係にあったエルフ族協議会に属する者たちとは違う「はぐれエルフ」だと認識されたのです。


 当時の人間種の中にもエルフ族協議会をこころよく思わない者たちがいました。ガザルが初めて出会った人間も……まさにそうだったのです。


 家族や村人らの保護の中で育ったガザルは、魔法術をほとんど理解出来ていませんでした。外見上は一部の人間が嫌悪するエルフの姿、しかし、魔法術を使えず、手足も萎えた「弱者」の姿であったガザルは……悪意に満ちた人間たちにとって、格好の餌食となってしまったのです。


 数ヶ月の間、ガザルは壁外東部地区の「みせもの小屋」で精神的・肉体的・性的な虐待を受け続けました。エルフ族ほどでは無いにせよ、ルエルフの自己治癒能力も人間の数十倍です。人間たちはその治癒能力の高さに合わせ、人に行う数十倍の苦痛と恥辱をガザルに与え「エルフを支配する快楽」に酔いしれました。


 当然ながら、肉体の傷は速やかに癒えてもガザルが心に負った傷は治癒することはありません。彼の心はズタズタに切り裂かれ、踏みにじられ、辱めに染まり……病んでいきました。


 そんなガザルの前に、ある日1人の少女が連れて来られました。少女の名はエレナ……北のエルフ族出身の、まだ幼い少女でした。エルフ族での20歳は、外見上は人間の11~12歳です。川岸で意識を失っているところを「捕獲」され、人買いの手に売られ、ガザルと同じく「見世物」として連れて来られたのです。彼女もまたガザル同様に……人間種の欲望に満ちた暴力と恥辱をその身と心に刻まれました。


 何ヵ月もの恥辱と苦痛で心を病んでいたガザルですが、生気を失い、自分と同じように心を病んでしまっている幼い少女を前に、新しい感情が芽生えました。


 しかし人間たちは、そんなガザルの新しい感情さえも踏みにじろうとしたのです。自分たちがガザルに与えた恥辱行為を、少女に対し行うようにと強要したのです。


 欲望に満ちた蔑みの視線と笑いの渦の中、ガザルはその行為を頑なに拒絶しました。強制的にでも事を行わせようとする男たちに反抗したガザルは、右目を奪われ、死ぬ寸前までの苦痛を何度も何度も加えられました。それでもガザルは男たちが強要する「見世物としてのエレナとの行為」を拒み続けたのです。


 エレナは自分と同じ「エルフ」の若い男性が、「自分」を守ろうとしている姿を前にし、閉ざしていた心の目を開きました。


 2人とも、人間たちの欲望と快楽のためにあらゆるものを奪われ続けていましたが、互いの内に芽生えた「新しい感情」を支えに、苦しみと恥辱に耐えて生きていました。



―――・―――・―――・―――



「なるほどな……」


 ピュートは胸の奥から得体の知れない震えを感じつつ、直子の話にうなずいた。


「大丈夫?」


「言っただろ?『俺は俺』だ。ガザルの細胞になど喰われはしない……が、そうだな……この感情が『怒り』や『憎しみ』なのかも知れないな。こんなに気分が悪いのは……初めてだ」


 直子はピュートの目をジッと見つめる。これ以上を語るべきかどうか、判断に迷う直子にピュートは言葉を続けた。


「とりあえず、あんたは……『外のあんた』も含め、役立たずだったってことか」


「……そうね。……ホントにそうよ……あなたの言う通り。シャルロとルロエが村に戻って来て、初めて外の情報を更新した時……私は自分の無力さを また・・呪ったわ……」


 責め立てるようなピュートからの視線を受け止めきれず、直子はうつむく。


「内調で、色んな人間を見て来た……」


 言葉が過ぎたと感じたのか、ピュートは口調を改め直子に語り出す。


「善や悪の基準は人それぞれだ。どうでも良い。俺たちの仕事は『自分たちの基準』で、国の政治に従わない者を調べ粛清するだけだ。中にはガザルが出会った人間のような奴もいた。何を『 よろこび』に感じて、そんなくだらない 搾取さくしゅをするのか分からないが……そいつらは善でも悪でもなく、ただの『害』だ。……なぜそんな奴らが生まれる?」


「なぜって……」


 ピュートからの思わぬ問いに、直子は一瞬言葉を詰まらせる。そして、ゆっくり首を横に振りながら静かに語り出す。


「分からない……本当のところは……。でも、ガザルが出会った壁外東部の男たちの中には、元『観察協力体』に使われていた者も居たわ。あなたなら分かるでしょ? 彼らがどんな『実験』に『協力』させられていたか……」


 直子の返答に、ピュートは小さくうなずいた。


「魔法院評議会の人体実験動物として、あらゆる苦痛と恥辱を試される『観察協力体』……拷問や刑罰の実験体としても使われる『尊厳の欠片も無い人型の生命体』として、彼らが何をされるか……あなたも知ってるでしょう?」


「その時代なら……今よりも酷い扱いだっただろうな」


 ピュートの言葉に直子は目を閉じ、何かを飲み込むように顔を上げた。


「そうね……。苦しみを受けた人間の中には、同じ苦しみを後世に つなげないためにそれを嫌悪し、排除することで克服を目指す者と……それを増大させて『次に繋げる』ことで自身を守ろうとする者が居るわ……。今よりも酷い扱いを受けた元『観察協力体』の男は後者……自分が受けた暴力と恥辱を……今度は他者へ与える者になっていた。周囲の者は男を恐れ、従い、男のように支配側に立ちたいと願い、彼の真似をするようになった。自分が暴力や恥辱を受けないために……暴力と恥辱で他者を支配する……それを『悦び』と感じていたのかも知れないわ」


「……その害悪共の『餌』にされたのがガザル……そしてエルフの女……ということか……」


 一時の間を置き、直子は話を続けた。


「ガザルとエレナは、狂気に支配された人間たちの快楽と欲望の被害者だった……治癒力の高い彼らは、『何度壊しても元に戻る玩具』として扱われていたわ……『アイツ』が現れるまでは……」



―――・―――・―――・―――



『あいつらを……生きたまま……死ぬまで細切れにしてやる……』


 ガザルは繰り返される暴力と凌辱の中で、ただただ見世物小屋に出入する人間たちへの報復を夢見て日々を過ごしていました。でもそれは同時に自分の「無力」を覚える空しい日々でもあったのです。


『力が欲しい……やつらを縛り、その身を引きちぎる力が……俺とエレナを縛る、この縄を引きちぎる力が……動かないこの手と足を……動かせるようになる力が……』


『これを食べてごらん?』


 ある日、ガザルの前に現れたのは「白く輝く小さな影」でした。差し出されたのは「サーガの実」……死と滅びへ誘う力の源……ガザルは「アイツ」が差し出したその実を、ためらいなく口に入れました。


 見世物小屋の男たちは、力を得たガザルの前にあまりにも無力でした。その日、ガザルは数年間思い描いていた通りに、男たちを 蹂躙じゅうりんしたのです。唯一の誤算は、エルフやルエルフと違い人間に苦痛を与えられる時間は短かったこと……ガザルは尚も満たされない狂気を、男たちの肉塊にぶつけ続けました。


『ガザル……一緒に、ここを離れよう……』


 我を見失いかかっていたガザルを引き戻したのは、エレナの存在でした。2人は壁外西部街区へ行く馬車に身を隠し、王都を通り抜けました。


『人間種は……皆殺しにしなければ……』


 見世物小屋で出会った人間たちが、ガザルにとっての「悪」でした。それは同時に、全ての人間種を「悪」と判断する彼の基準となりました。ガザルは人間種に対する圧倒的な憎悪と報復の殺戮欲に、いつ飲み尽くされてもおかしく無い状態でした。しかし、エレナの存在がガザルの「完全なサーガ化」を抑止していたのです。


 2人は人間と接触せずに済むよう、エレナの発案で大陸中央の森の中に隠れ住みました。そこで幸いな出会いが起こります。


 王都東部の森を追われたシャンたちの一族も、その森に移住していたのです。

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