第326話 命のしずく
倉庫の地下4層目には、サーガの姿は無かった。奥まで進んだスレヤーとエシャーに、スヒリトが声をかける。
「……あの扉を開けても、まだ『下』が続いてるようだったら、今日は一旦引き上げる……ってことで良いな?」
スレヤーがエシャーに視線を落とす。エシャーは不安そうに扉を見つめ、ゆっくりとうなずいた。
「さっきも言ったが……」
そのエシャーの様子に気づいたスヒリトが、少し明るめの口調を作って続ける。
「引き上げって言っても、あくまでもお嬢ちゃんの治療と、装備を整えに戻るだけだからな。これで『終わり』ってことでなく。な?」
「……うん。大丈夫……ありがと、ヒリー」
エシャーもスヒリトの気持ちを嬉しく感じとり、顔を上げて微笑みを向けた。
「よし……んじゃ……何が出るやら、出ないやら……。開けてくれや、ヒリー」
4メートル四方ほどの大きな木板扉の左右に、エシャーとスレヤーは別れ立つ。それぞれの手には、剣とクリングが握られている。
扉は「オズマーンの身内」が外から近づくと、自然に左右に分かれて開く「引き戸式」のものだ。だが、内側からの制限はかかっていないため、中から外へは誰でも自由に出て来れる……しかし、2層目ではその「推察」がアダとなった。
内側に「何者かが居れば」扉は開く……扉が閉まっているなら、内側の扉前には「誰も居ない」と無意識に考えていたエシャーは、はやる気持ちから扉の真ん前に立っていた。ところが、スヒリトが扉に近付き開いた途端、隙間から飛び出して来た小人型サーガの槍によって右腕に大きな傷を負ってしまったのだ。
「また、小せえのが飛び出して来たりしてな」
スヒリトが緊張した面持ちで冗談を呟く。エシャーは苦笑いを浮かべ、左手のクリングに法力を注ぎ備えた。スヒリトがさらに扉に近付くと、おもむろに扉板が左右に開かれる。
「ひゃっ!」
中の様子を確認するよりも先に、スヒリトは変な掛け声と共に右側へ飛び退く。逆にスレヤーは即応体勢で剣を構え、開かれた空間に身体を移す。ほぼ同時にエシャーもスレヤーとは反対側から中に飛び込んだ。
「おっ……とぉ……」
内部を素早く確認したスレヤーが声を漏らす。ここまでの扉は、開いた先に、さらに下層へ続く下り坂となっていたが、ここは様子が全く違っている。
「ここ……」
すぐにエシャーも「室内」の様子が特別であることに気付いた。
「……ここが、一番『奥』みたいだな」
外側からのぞき込むスヒリトの声は、安堵に充ちていた。
周囲の石壁や床が法力反応でほのかな光を放つ10メートル四方の室内には、他の階層と違い何も物が置かれていない。
「これ……何?」
エシャーは部屋の中央床に、1辺2メートルほどの石枠で四方を囲まれた「水たまり」が在ることに気付き、そっと近寄って行く。高さ10センチほどの石枠の内側は床を切り抜いた深い穴になっており、枠の縁一杯まで水が満ちている。その表面には薄い「虹色の膜」が浮いていた。
「あっ! スレイ……見て、これ!」
石床に両手と両膝をつき水面を確認したエシャーは、振り返ってスレヤーを呼ぶ。しかしスレヤーは、石枠から2メートルほど離れた場所で苦笑いを浮かべて立ち尽くしていた。
「湖ん中の『膜』と同じみてぇだな。こっから先にゃ、俺らは進め無ぇや」
「なんだ、この『壁』は? 防御壁魔法か?」
スレヤーの横に立つスヒリトも困惑した表情で、パントマイムのように「見えない壁」に手を当てている。
湖神様の結界と同じ……じゃあ……
エシャーの目に涙が浮かび、零れ落ちた。
「……やっぱり……ここ……アッキーたちとつながってるんだ……」
確実な確信に変わった安心感と喜びで、そのまま床にベタ座りとなったエシャーは、笑顔と言うにはあまりにも歪めた表情のまま幼女のように声を上げて泣き出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
50メートルほど洞窟の奥へ進み、ピュートは足を止めた。ドーム状に開けた空間の中央に、小川の源流が湧き出す泉がある。ボンヤリとした法力光を放つ岩肌に照らされた空間をピュートは注意深く観察した。
先にサーガが数体入って来たはずだ……どこに居る?
洞窟に辿り着くまでの森の移動中、何体かのサーガと戦闘を行った。戦闘用魔法具ではない「エルフの守りの小楯」では防戦一方だったが、何体かには手傷を負わせることも出来た。その手傷を負ったサーガがこの洞窟に入って行くのを確認していたため、ピュートは洞窟内でも楯の偏光魔法を続け、身を隠しながら移動していた。
ここで行き止まりになっているな……
ドーム状の空間を細部まで見渡し、どこにも「穴」が無いことを確認する。ピュートはゆっくり屈み、篤樹を地面に下ろした。周囲を警戒しながら、ピュートは篤樹の上着をめくり上げ傷口を診る。
……思った以上に傷が深い。臓器の損傷も……止血さえ追い付かない……
エルフの守りの小楯によって少しは増幅される法術を用い、ピュートは篤樹への治癒魔法に法力を注ぎ出す。しかし、とっくに限界を感じていた。
この状態じゃ……もたないな……。カガワ……死ぬのか?
篤樹の傷口から血が地面に滴り落ちる。ピュートは治癒魔法を中断し、その場に立ち上がると天井に顔を向けた。
「コミヤナオコ! 湖神とやら! ここに居るんだろ? 姿を現わせ!」
表情の無い静かな声色だが、込められた思いが力強く反響する。
「カガワアツキを連れて来た! 怪我をしている。このままじゃ死ぬぞ! 出て来て治せ!」
自分の声の反響が収まるのを待ち、ピュートは意識を空間全域に集中した。
感じる……ここに居るはずだ……なぜ出て来ない?
ポチャン……
水源の泉に天井からの水滴が落ちる。ピュートは水面に広がる波紋に意識を集中した。波紋は泉の縁に当たり、再び中央に向かって集束していく。その波がいくつも現れ、やがて泉の中央に光が浮かび上がった。
「あんたが……湖神……コミヤナオコか?」
ピュートは、泉の中央に姿を現わした薄い発光体の女性に視線を向ける。
「……思っていたより、小さいな?」
水面を移動し近付いて来た「15センチほどの身長」しかない直子の姿に、ピュートは首をかしげて尋ねた。
「……力が弱まってるのよ……この姿の思念体を現すだけで精いっぱい……」
今にも消えそうな薄い発光体で姿を現わした小宮直子は、苦笑いを浮かべピュートの眼前まで浮かび上がって来る。
「ピュートくんね……ありがとう……篤樹を……賀川くんを助けてくれて……」
「連れて来ただけだ。俺には助けられない。あんたが助けろ」
直子の言葉が終わる前に、ピュートは口を挟む。だが直子は悲し気に首を横に振った。
「わかった。それならすぐに『向こう』に俺たちを戻せ。……それか、俺にまとわりついてるこの忌々しい制限を、今すぐ解除しろ。ガザルと俺を間違えるな」
ピュートは右拳を掲げ、すぐに消えてしまう法力光を直子に見せる。しかし、直子はそれに対しても、申し訳なさそうに首を横に振った。
「ごめんなさいね……制限を解除するだけの力も残って無いのよ……。あの子……ガザルが、この領域全体の法術を傷だらけにしちゃったから……ごめんなさい……」
直子の状態を見た瞬間からピュートも予想はついていた。あえてダメ元で求めた対応策が却下されても、特に表情を変えることも無い。
「……だろうな。で、ここはあとどのくらい持つんだ?」
「わからない……だから……あなたたち2人だけは……なんとか向こうに戻して上げたかった……」
目を伏せる直子に、ピュートはジッと視線を固定する。
「戻せないのか?」
「……この泉から……本当なら送り出して上げられるはずだったの。でも……何体ものサーガが先に通り抜けたせいで……もう、力が消えかかってるわ」
ピュートは視線を泉の水面に向けた。王都の湖に浮かんでいた虹色の膜と同じ色彩が、かすかに見え隠れしている。
「あんたの力が完全に消えたら……どうなる?」
直子は伏せていた目を、ゆっくりと上げた。
「消えて無くなるわ。私も……村も……この空間も。あなたたちも……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「で? やっぱり中までは無理そうかい?」
安堵と喜びの涙をひとしきり流したエシャーに、スレヤーが優しく語りかける。
「……ヒック……あ……ヒッ……ごめ……ん……」
エシャーは左腕の袖で顔を拭き、顔をスレヤーに向けた。
「試して……ンッ……みるね……」
溢れ出ていた歓喜を飲み込み気持ちを落ち着けたエシャーは、左手をゆっくり水面の「虹色の膜」へ近付ける。
「あ……」
手が「膜」に触れ、押し下げても弾かれる感触に、エシャーは失望の声を漏らす。
「ダメだぁ……ここも『入れない』みたい……」
「そっか……」
エシャーの声に失望感は有っても、それほど大きな落胆は無さそうだとスレヤーは感じ取り軽く笑みを浮かべる。
「まあ、しゃあ無ぇやね。あちらからの御招待無きゃ入れねぇってんならよ。んでも……これで道は確保されたな?」
スレヤーからの投げかけに、エシャーもそっと笑みを浮かべてうなずいた。
「さて……」
周囲にサーガの気配も無くなり、安心しきった様子のスヒリトが会話に加わる。
「これで正式な報告が出せるな。出没していたサーガどもは、ルエルフ村を襲撃した連中の残党だった……そいつらが、湖神様とやらの結界路を通ってここから這い出て来てやがった、とな」
「ヒリー……治癒法術士を呼んで来てもらえるかい?」
スレヤーはスヒリトに顔を向けた。
「は? いや、お前らも一緒に上に……」
「戻んのも、なんか……もちっとかかりそうだからよ」
エシャーに視線を向けたスレヤーにつられ、スヒリトも視線を移す。エシャーは枠石に両手を載せ、ジッと水面を見ていた。
「サーガの出どころも分かったし、俺とエシャーちゃんでここは見張っておくからよ……治癒法術士を呼んで、あと、ついでに報告書を書き上げて出しといてくれねぇか? お前ぇさんの名前で」
「は? 俺の名前でって……」
軍部の評価点は報告者に付される制度を知るスヒリトは、スレヤーの言わんとする意図が読めず一瞬キョトンとした。しかし、尚、笑みを向けているスレヤーの表情から思いを汲み取る。
「へっ……よし! 分かった。んじゃ、今回の調査は『俺の報告』で上にあげとく。これでガキの頃から今日までの貸し借りはチャラだ! 良いな、スレイ?」
「へえへえ、よござんすよ、大尉殿。だから、早ぇとこ、治癒法者を連れて来てくれや」
光が……弱まってる……?
スレヤーとスヒリトの会話を背後に聞きながら、エシャーは「虹色の膜」と水面の「光」が薄らいでいる現象が気になっていた。
この光が……消えちゃったら……
せっかく見つけた篤樹たちとの接点が、失われてしまうのではないかという不安が頭をよぎる。
村は……湖神様が創った「特別な空間」……原理は……エルが言ってた「ミツキの森」とほとんど同じ……
エルグレドが語ったミツキの森の姿を、エシャーは思い描く。沈まない陽の光、森の木々……古代のエルフたちが、命と思いを注いでミツキの命を守っている空間……エシャーは自分の右腕に目を向けた。
サーガに突かれた上腕は、大きな血管を引き裂いてることが明らかだった。簡易な自己治癒魔法しか施せていない傷跡からは、まだ出血が続いている。血は前腕に伝わり、右手の指先からポトリと1粒のしずくとなって床に落ちた。
命の……血分け……
エシャーの目に、決意の光が灯った。
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