第265話 魔法の部屋

「ソリヤ兵長! すぐに王政府島へ行くぞっ! そこの防護柵を、有るだけ荷台に載せさせろっ!」


 王政府島?……よしっ!


 植込みの暗がりの中から基地内の様子を窺っていたルロエは、目的地までの移動手段が見つかり笑みを浮かべた。


 ビデルたちの前から逃亡し、軍施設と研究所を隔てる森に身を隠し移動しながら、騒ぎに紛れて馬か馬車を手に入れるつもりでいた。しかし、正直言ってどちらの扱いにも長けていないルロエにとって、耳に飛び込んで来た情報は渡りに船だった。


 数人の兵士がほろ付き輸送車の荷台に木製防護柵を積み込む姿を見ながら、ルロエは潜り込むタイミングを窺う。8台の柵を載せ終え、兵員らは散開していった。


「兵長! 手綱を頼む!」


 先ほどの男の声が聞こえ、ほろの後部布を下ろし終わった兵長の姿も視界から消える。


 今だ……


 ルロエは警戒しつつ植え込みを飛び出すと、兵長が下したばかりの後部布をめくり上げ荷台に転がり込んだ。防護柵が詰め込まれた荷台の隙間をすり抜け、前方へ移動する。


 コツン……


 御者台に注意を払い移動していたルロエのつま先が何かに当たった。身を屈めそれを確認する。


 これは……ちょうど良かった!


 手に触れた「障害物」は棒弓銃だった。愛用の武器を研究所前で落として来たルロエは、その棒弓銃の持ち手を握り感触を確かめ安堵の笑みを浮かべた。攻撃魔法も治癒魔法も、それほど得手ではないルロエにとって、やはり己の得意な棒弓銃の感触は嬉しい。そればかりでなく……


 ほう……法力増幅材が使われてるのか……。矢は……


 注意深く足元を調べると、隅に携行用の矢袋も見つける。中には10本の矢が収められていた。3本を取り出すと、1本を装填し、2本を次矢ホルダーにはめる。


 少し小さいな……ま、その分以上を法力で強化するってことか……


 ルロエは新しい玩具を与えられた幼い少年のように目を輝かせ、手触りを楽しむ。その間に馬車は軍部基地検問所を出て、一般街路に走り出ていた。


「……兵長。何があっても走らせ続けておけ」


 御者台との仕切り布の向こうから、先ほどの男の声が聞こえた。ルロエは直感的に戦闘体勢をとり、防護柵の隙間から棒弓銃を構える。ほぼ同時に仕切り布が大きく揺れ、御者台から人影が荷台に転がり込んで来た。その訓練された俊敏な動きだけでなく、むやみに戦闘を始めるべきでは無いと判断したルロエは、引き金から指を外したままその人影を棒弓銃で追う。


「この馬車ぁ、軍用なんですよ。スミマセンが、一般市民の方は降りていただいてもよろしいですかぁ?」


 ふざけた調子の問い掛けだが、敵と認めれば即座に倒しにかかって来る……ルロエは声の主から、そんな緊張感を感じ取った。


 ならば……


「そうでしたか! すみません。どうやら乗り場を間違えたようですね。湖水島までの馬車を探していたんですが……」


 調子を合わせて応えると同時に、棒弓銃の先端を下げて無抵抗の意思を示し、ルロエは真っ直ぐに立った。相手の男も手にしていた短剣を下ろし真っ直ぐに立つ。薄暗いほろ馬車内で、ようやく互いの姿をしっかり認識しあうことが出来る。


「一般市民……では無いようですね」


 ルロエの姿を確認しその「耳」に目を向けると、男の声に動揺の色が浮かんだ。


「ルエルフ族のルロエと申します。諸事情あり、急ぎ湖水島に居る仲間のもとへ向かいたいのですが……このまま、同乗させてはいただけませんか?」


「ルエルフ……?」


 ルロエの紹介が始まると、すぐに男は思考の整理を始めるように視線を下げ呟いた。すぐに笑顔で顔を上げる。


「もしかして……エシャーさんの……お父さまですか?!」


 その返答に、今度はルロエが驚き、目を見開く。


「な……なぜ、あなたがあの子を……」


「初めまして! 私はエシャーさん方と行動を共にする『同志』、ベイラー大尉であります! 御者兵も『同志』であるソリヤ兵長です! そうでしたか……彼女の……どうぞ、御安心下さい!」


 手放しで喜びの表情を浮かべて握手を求めて来たベイラーに、ルロエは困惑の苦笑いを浮かべつつ応じる。


 行動を共にする……「同志」? エシャー……お前……何をやってんだ……


 愛娘の交友関係に不審感を抱く父の顔……となっているルロエの思いを察することもなく、ベイラーは「新たな同志」との出会いを心から喜んでいた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 王城2階にある特別警衛隊取調室にエルグレドは連れられて来た。警衛隊隊長マロイの他、4人の兵士が付いている。


「率直に聞くが、補佐官。あなたがウィルバル・スレヤー伍長たちにミラ従王妃の拉致を指示した……ということは無いでしょうね?」


 年齢的には20歳近く年下であるエルグレドに対しても、マロイは置換階級に基づく礼をもって接して来る。職務に対して真面目なこの男を、エルグレドは嫌いでは無かった。


「ええ……もちろん。ただ……」


 エルグレドの含み有る語尾に、マロイの眉がピクリと反応した。


「端的に申し上げると、マロイ隊長。今はこんな無駄な時間つぶしをやっている暇は無いのではないでしょうか?」


 出した質問と違う返答に、マロイは明らかに不快な表情を浮かべる。


「あなたがたもお気付きでしょう?」


 マロイが次の言葉を整え口に出す前に、エルグレドはマロイと警衛兵らに問いかけた。


「例の法撃発生地周辺から漏れ出でているあの法力波……それに、王都壁外から伝わってくる大量のサーガの気配……選りすぐりの法術兵団であるあなた方なら、一刻も早く、事態の確認と対応に当たるべき『時』だと分かっておられるのでは?」


 エルグレドの問い掛けに、マロイの視線が鋭くなる。警衛兵4人は不安そうに互いの顔を見回した。


「……ここは特殊な封魔法コーティングが施されている。にもかかわらず、補佐官は今も外の法力を感知出来ているのですかな?」


「ええ……まあ、少しは感度も落ちてるでしょうが……かなり切迫している状況だと判断しています」


 しばらくエルグレドを睨むように視線を合わせていたマロイは、フッと視線を外し深い溜息をついた。


「今……この国に何が起きようとしているのか……見当もつかない……。君は何かを知っているのか?」


 肩の力を抜いたマロイが、珍しく階級にこだわらない口調で尋ねた。エルグレドは微笑を浮かべ目を閉じ、小さく首を横に振った。


「分かりません……何が起きるのかまでは……。でも、大きな変化が起きようとしているのだろうと感じています。変化の痛みを乗り越えて成長するのか……耐え切れずに滅びるのかまでは分かりません」


「そうか……」


 エルグレドの返答にマロイはしばらくの間を置く。


「私は……『変化』を望まない人間だ。定められた秩序がいつまでも保たれることを願い、そのために身を捧げている。君は変わることを願っているようだが、私はそれを防ぐことが自分の仕事だと自負している」


 マロイの視線に迷いは無い。エルグレドは笑みを浮かべたままうなずいた。


「人の思いを超える時代の濁流というものは、望むと望まざるとにかかわらず襲って来るものですよ、マロイ隊長。ただ、もう1度言います。濁流が押し寄せている今、こんな小部屋に留まっている『時』では無いのでは?」


 しばらく2人は沈黙し、互いの視線を受け止め合う。


「わかりました……」


 先に口を開いたのはマロイだった。


「ミラ従王妃らの拉致に関し、あなたからの指示は無かった……というのなら、ウィルバル・スレヤー伍長らがなぜそのような犯行に及んだのか、心当たりはありませんか?」


 マロイによる最終尋問に、エルグレドは視線をそらさず答える。


「時代の濁流にこの国が打ち勝ち成長するため、彼らなりの最善を尽くしているものだと考えます。スレイは……鼻が利く男ですから」



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「こちらから王政広間に入れます……」


 篤樹達を先導して来たバズ曹長は、秘密階段を下りてすぐ目の前の壁を指さした。


「このフロアは強力な封魔法コーティングが施されていますので……このまま行きます」


 バズは後ろから続く一行にそう告げ、指さした壁に向かい真っ直ぐ突き進む。篤樹はタグアの町の裁判所で、所長が通過した「制限魔法の壁」を思い出した。


「あっ……」


 同行して来たリュウとリメイは驚きの声を上げたが、ミラをはじめとする他の者達にとっては初見の不思議さも無かったのだろう。バズが壁と同化するように姿を消しても、誰も動じなかった。


「封魔法フロアなのに制限魔法ってなぁ……どういうこったい?」


 スレヤーが呟いた声に、ガイアが後ろから応じる。


「何代も前の法術士によってかけられた魔法は固定されている。このフロアには他にも制限魔法が施されている場所があるが……まだ全てが発見されているワケでもない」


「へぇ……」


 感心したようにスレヤーは声を洩らした。


「……んじゃ、ま、行くべか」


 順番を入れ替え、スレヤーがバズの後に続いて「壁」に入る。その後にチロル、ミラの順に入り、リュウとリメイが続いた。


 篤樹はリメイの後を追って「壁」に手をつくように前進する。やはり、何の感触も無いまま手は壁の中へ溶け込んでいく。そのまま、腕、足、顔の順に壁を通り抜けた。篤樹の肩に手を添えて進んだアイリも一緒に「壁」の向こう側へ移動する。目の前には王政広間が広がっていた。


 壁にかけられているランプのいくつかに火が灯されているおかげで、部屋全体を見渡す事が出来る。体育館の半分ほどの広さがあり、ホテルの宴会場のようなテーブルが並べられていた。ルメロフとミラのために設けられたとみられる「ひな壇」が正面奥にある。


うたげは中止ね」


 先に室内に入っていたミラが、宣言するように言い放つ声が聞こえた。


「御馳走食い損ねちまったなぁ……」


 正面奥のひな壇に向かって進みながら、スレヤーが冗談めかして口に出す。その声に、そばを歩くチロルが応えた。


「全てが終われば、心から祝える宴が催されますよ、スレヤー様」


「……行くぞ……アツキ」


 広間の雰囲気に圧倒され、足を止めていた篤樹の背後から、フロカが声をかけて通り過ぎミラの背後に付く。すぐにガイアも現れた。その視線は「ひな壇」に真っすぐ向けられている。アイリが篤樹の肩を押した。


「なにボーっとしてんだよ……」


「あ……いや……何か急に『魔法の世界』に居るんだなって実感して……」


 篤樹は、随分前に家族で観た魔法物語の映画を思い出していた。薄暗く広いホールをオレンジ色の灯りが照らし、白いクロスがかけられたテーブルに、突然、豪華な食事が現れるシーン……


「だからぁ……ここは封魔法コーティングされてるって言ってるだろ? オレの法力も全然ダメだ。ここじゃ、魔法は使えないって!」


 アイリは何かの法術を発現させようと、右手を開いたり閉じたりして見せる。篤樹は苦笑した。


 魔法が使えないこの部屋の中のほうが、魔法の世界っぽく感じるってのも……変な話だよな……


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