第248話 背後

「ヒラー……貴様……」


 コートラスは右腕を真っ直ぐヒラーに向けてはいるが、攻撃のタイミングを逸し、法力の集中が解けていた。


「腕を下げてください、コートラスさん。それと、そこのエルフも……早く指示に従ってもらおうか?」


 エシャーはすぐにでも攻撃できるように法力を集中しているが、ベイラーを盾にとっているヒラーの隙を見出せない。仕方なくというように、ゆっくり腕を下ろしながら口を開く。


「……どうして無抵抗のおじさんを殺したの?」


「おじさん? ああ……そいつか?」


 ヒラーは地面に倒れ伏している顎髭の中佐をチラッと見た。


「まさかこちらの隊長さんも『お仲間』とは思って無かったもんでね……共闘しても良いが、階級的に面倒だなと思ったからさ……それなら『こちら』の駒に使おうかな? ってね」


「……駒?」


 エシャーは腕を下ろし静かに尋ねた。同時にコートラスも腕を下ろしながら口を開く。


「我々に中佐殺害の罪を被せる、というつもりか?」


「本当なら、『首謀者』もろとも一網打尽にしたかったんですけどね……。どうですか? そちらの背後関係を今すぐ教えて下さるんなら、3人の身の安全は保証しますよ?」


 ヒラーは努めて冷静な「交渉」に話を切り替えようとする。エシャーから放たれた攻撃魔法の傷の痛みもあるのか、微笑を浮かべつつも額からは玉のような汗が噴き出していた。


「お前は……どこの犬だ?」


 コートラスが苦々し気に尋ねた。


「『どこ』とは?」


「正王妃……いや、ジン・サロンの側か? 魔法院側か? それとも……グラディーか? お前の背後には誰がいる?」


 ヒラーの表情の変化から、エシャーが読み取る。


「魔法院の人……なんだね……」


 エシャーが語り終える瞬間に、ヒラーの指先から細く白い攻撃魔法が放たれた。エシャーの顔の横をかすめ飛んだ攻撃の光は、背後の木の幹に当たる。


「次は手加減無しで貫くぞ? 無駄なおしゃべりは終わりだ。さあ……まずは首謀者の名を言ってもらおうか? ミッツバンでは無いんだろう? 本当の首謀者の名を言え!」


 ヒラーの脅しは「嘘ではない」とエシャーは読み取った。盾とされたベイラーを固定しているヒラーの左腕にも、強力な法力が感じられる。ベイラーが独力で逃れるのは無理だろう。何か有れば、即座にベイラーを殺すつもりだ。それにあの目……刺し違えても構わないという信念を持っている……。

 エシャーはコートラスに視線を向け、判断を確認する。聞き従うことはまず無いだろう。となればベイラーを「捨てて」ヒラーを倒すという選択肢しか無い。


「そうか……。5秒で決めろ!」


 ヒラーは覚悟を決めたように言い放つと、カウントダウンを始めた。


「5……4……」


 何かの影がヒラーの背後で動く。その影にエシャーが気付いた瞬間、ヒラーは口元に微笑を浮かべたまま白目を剥いた。


「あっ……」


 エシャーの口から驚きの声が洩れる。白目を剥いたヒラーは全身の力が抜けたのか、左腕で拘束されていたベイラーがすぐにその腕を振り解き離れる。その反動で、ヒラーは棒立ちの姿勢のまま右側へと倒れていった。ヒラーの背後に立っていた人物が姿を見せる。


「……なんだ。補佐官とエルフは一緒じゃないんだ?」


「あなた……」


「君は……」


 無機質な声で尋ねたピュートは地面に倒れたヒラーを一瞥し、視線をエシャーに戻した。


「ボルガイル隊の……ピュート……だな?」


「……ミッツバンの執事……コートラス……と……軍部の兵士? お前は探索隊から外されたのか?」


 コートラスの問い掛けを無視し、ピュートはエシャーに尋ねる。


「はず……違うもん! 私は探索隊だよ! あなたこそ、こんな所で何やってるのよ!」


「……散歩」


 本気なのか冗談なのかエシャーは一瞬考えたが、ピュートの声も視線も真偽鑑定が難しい。


「えっ……と……こんな所を?」


 とりあえず、鑑定集中を解き普通に会話をする事にした。


「昨日から、そこの研究所に隊長と移動して来た。やることが無いから散歩をしていた。法術戦を感じたから覗いてみたらお前がいた。話しかけるのに邪魔だったからコイツを眠らせた」


「内調が……研究所に? だと……。何をしてるんだ?」


 ピュートの淡々とした説明に、コートラスが関心を示し尋ねる。


「知らない。知っていても誰にも言わない。ましてや民間人になど……いや? 民間人じゃなくて『要注意人物』か……コートラス」


「ねぇ!」


 不穏な空気を感じたエシャーが、少し大きな声で呼びかけた。


「ありがとね! 助かったよ。ちょっと大事な話の途中だったんだ!」


「他の探索隊は? まだ島に居るのか?」


 ピュートの目には、やはりエシャー以外に関心の色は無い。コートラスとベイラーは、何となく自分達の存在を無視されているような気がして面白くないが、とりあえず白目を剥いているヒラーを縛り上げることにした。


「みんなとは、ぼちぼち合流する予定だよ」


 エシャーはピュートに「危険」は無いという事だけは確信し、当たり障りの無い会話を選ぶことにした。


「エルフの盾……ルエルフ村への入口の当ては?」


「うーん……分かんない。多分、エル達もまだ分かんないと思う。ずっと探索はお休みだったから」


「あの男は、本当に『チガセ』なのか?」


「あの男?……って、アッキーのこと?」


 ピュートからの問いに戸惑いながら、エシャーは首を傾げ確認した。その間に、どう答えるのが正解だろうかと考えを巡らす。


「アッキー? カガワアツキか? アツキ……アッキー……。『カガワ』でも良いんじゃないか?」


「えー? ダメダメ! それ、なんか可愛く無い! アッキーはアッキーが1番呼びやすいもん!」


「……どうでも良い。で? どうなんだ? お前の目で視て……」


 ピュートの関心は変わらず、篤樹が「伝説物語のチガセ」であるのかどうかという確認だ。エシャーは少し考え込むように、右手の指で自分の唇を軽く触れて「うーん……」とうなる。


「アッキーが話してくれたことは全部本当のことだったよ。でも……お話に出て来る『チガセ』なのかどうかは分かんないなぁ……。もしかしたら、これから『チガセ』になるのかも!」


 エシャーは満面の笑みでピュートの問いに答えた。その返答にピュートが満足しているのか、不満があるのかも読み取れない。


「補佐官の秘密は? 普通じゃないんだろ?」


「えー? うーん……秘密は秘密だから、何にも教えられないなぁ」


 ピュートは真顔で首を傾げた。同じ向きにエシャーも首を傾げる。


「あのさ……ピュートの秘密って何なの?」


「……俺の秘密?」


「普通の……えっとぉ……他の人間種と違うよね? もしかして、私と同じルエルフ?」


 エシャーから真顔で質問され、ピュートはしばらく首を傾げたまま考える。


「……知らない。俺は俺だ。秘密なんか無い」


 ややしばらく考えたピュートはそう返答すると、上を見上げた。つられてエシャーも上を見る。雑木林の木々の枝が、かすかに揺れているのが見えた。


「おい!」


 コートラスの呼びかけに、エシャーとピュートが反応し視線を向ける。攻撃魔法態勢でピュートに右腕を突き出しているコートラスと、その横でロープの先端を握っているベイラー、ロープの先には地面に転がったまま縛られているヒラーの姿があった。


「内調ボルガイル隊の秘蔵っ子ピュート……悪いが貴様にも同行してもらうぞ!」


「ちょ……コートラス!」


 エシャーは驚いてコートラスを制止する。


「ダメだよ! ピュートは敵じゃ無い! 助けてくれたんだよ?」


「内調は多かれ少なかれ評議会の手先なんだよ! ここを見られたからには……」


「邪魔をするなら……相手をしようか?」


 コートラスの背後に立ち、後頭部に右手の平を軽く当てた体勢のピュートが静かに声をかけた。エシャーは思わず、自分の周りを確認する。


 そんな……今まで横に立ってたのに……


「グ……なんて……速さで……」


「ねぇ! ピュート!」


 右手でコートラスを、左手でベイラーを狙う姿勢のピュートにエシャーが呼びかける。


「やめて……ね?」


 しばらくの間を置き、ピュートは両腕を下げた。


「……任務じゃない。散歩だ。襲われれば相手をする。何もしないなら、素通りするだけだ」


「私達のことも、黙っててくれる?」


「……任務じゃないからな。でも聞かれれば……気が向けば答える。……これまで、散歩中のことを聞かれたことは一度も無い」


 ピュートの返事に、エシャーはホッと笑顔を浮かべた。


「コートラスも法力を解除して。ピュートは大丈夫だから。ね?」


 エシャーの視線を真っ直ぐに受け止め、ピュートは軽くうなずいた。


「もういいか? 帰りが遅いと何か聞かれる可能性が高くなる」


 背後から聞こえたピュートの声に反応し、コートラスはゆっくり右腕を下ろした。隙をついてでも……とは思わない。明らかに自分の力では敵わない相手だと五感が知らせている。背後で一瞬だけ感じたピュートの法力量と法術レベルは、組織内で最高レベルである己の法術さえ足元に及ばないと理解していた。


「……本当に……内調のくせにそれで良いのか……」


 精一杯の強がりをこめてコートラスは尋ねたが、背後からの返事は無かった。ゆっくりと、そして、途中からは勢いよく振り返る。そこに、ピュートの姿はすでに無かった。


「……ゴブリンみたい……」


 あまりの移動速度の早さに、エシャーはポカンと呆れた表情で呟いた。

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