第238話 偽の情報
殺気も敵意も感じられないが、自分をこの屋敷へ「計画的に」引き入れた者達をエシャーは警戒する。チロルに従い
「遅かったな? あと30分位しかもたないぞ」
「お坊ちゃまが興奮されてたので……さ、彼について行って下さい」
1階に降り立ったチロルは振り返り、最後の1段を降りたエシャーに告げる。
「……分かった」
コートラスが少し早足で廊下を進み出す。エシャーはその後に付いて行った。ダイニングの扉の前には2人のメイドが立っている。通り過ぎるタイミングでコートラスはメイドの1人に声をかけた。
「戻るまで引き延ばせよ」
「寄宿舎改築の話を始めました。もうしばらくはもちます」
エシャーはコートラス達の口調で確信した。
自分をこの屋敷へと誘い入れた者……「情報」を巧みに用いる雰囲気……
「この部屋だ」
最奥の扉の前でコートラスは立ち止まり、特徴的な間隔で扉を叩いた。内側から開錠する音が聞こえ、すぐに扉が開かれる。
「来たぞ」
コートラスが扉を完全に開くと、印象的な黒い顎髭を揃えた男が目の前に立ち笑顔で出迎える。
「よう! いらっしゃい。ルエルフのお嬢ちゃん」
「やっぱりね……お化けのおじさんたちか……。ねえ? ミゾベもいるの? 今は……バスリムだったっけ?」
エシャーはズンズン室内に入り、中を見回す。
「やっぱり……って、なんだよ! せっかく驚かせようと思ったのによ!」
オスリムが口を尖らせ苦情を申し立てる。室内にいたのは「もう一人のお化けのおじさん」……
「さすがだね、エシャーさん」
奥の壁に据え付けられている暖炉前に、ナフタリ・エベダを名乗るゼブルンが立ったまま出迎えた。
―・―・―・―・―・―・―
「分かった……嘘は
エシャーは、自分の目の前に顔を寄せているゼブルンとオスリムを交互に見つめ、納得してうなずいた。
「だぁからぁ、言っただろ? おじさんは嘘をつかねぇよ」
「これで分かってもらえただろ? 是非、君の力を借りたいんだ!」
ゼブルンからの要請に、エシャーは無言のまま視線を逸らす。
みんな……ホントに……私だけをのけ者にしてたんだ……
「さあ、こっちの手の内は全部見せたんだぜ? 」
私だけ……何にも知らされないまま……学生の真似事を……
「もちろん、多少の危険はあるかも知れないが……しかし、この国を変えるための重大な作戦なんだ! どうか……」
「やる!」
エシャーの真剣な表情を、ゼブルンもオスリムも作戦に対する不安な表情だと思っていた。しかしエシャーが抱えていた気持ちは……
「あったま来た!! お父さんもレイラも戻って来てるのに……エルの裁判だって予定より早く終わったのに、誰も迎えにも来ないし、そのことを誰も教えにも来なかったんだよ! 私だけのけ者にして……従王妃やおじさん達と……。行こっ! お城に! 今から!」
「いやいやいや! ちょ……ちょ待てよ! 話しただろ? 決行は明後日の夜だって……」
エシャーの勢いに気圧されて、オスリムが慌てて答える。エシャーはすぐにでも飛び出して行きそうな雰囲気だ。
「作戦そのものは、彼らだって今日初めて……ちょうど今時分にミラから聞いてる頃なんだから……別に君をのけ者にってことでは無いんだよ」
ゼブルンが、エシャーを落ち着かせようと説明する。
「この作戦は連携とタイミングがカギなんだ。お願いだから、先走った行動だけはしないでくれ。……『島』の内通者達にも、最終計画はこの後で伝える段取りになってるから……」
「そうそう! せっかく熟した機会を無駄には出来ねぇ。な? 落ち着けって!」
悔しそうな、悲しそうな……それらを超えて「怒ってる」ことが一目で分かる紅潮した頬のエシャーを、ゼブルンとオスリムは必死になだめる。
「……分かった」
目に涙を浮かべる仏頂面で、エシャーはようやく冷静を取り戻した。
「ふぅ……ま、気持ちは分かるぜ?『情報』が入ら無ぇって苛立ちはよ。だがこれからは安心しな! 俺は仲間にはキチンと情報を共有するってのがポリシーだからよ」
オスリムが笑顔で同調を示す。
「……私はおじさん達に付いて行く。協力者にはなる。でも『仲間』にはならない!」
しかしオスリムの言葉に、エシャーは仏頂面のままで答える。
「『情報』は『仲間』から聞きたい。アッキー達に会って……絶対に『みんな』の口から情報を聞きたい!」
オスリムとゼブルンは顔を見合わせ、苦笑した。
「やれやれ……『情報通り』に気の強いお嬢さんだったか……。オーケー! それで良い。協力者として必要な情報は全て提供する。んだから、お嬢ちゃんもこっちとの協力関係だけは守ってくれ。な?」
エシャーはオスリムに視線を合わせうなずき、ふと疑問を口にする。
「そういえば、どうして私が今夜来るって分かったの? 学舎にも『内通者』がいるの?」
「んあ? いやいや……学舎内には飛ばせ無かったんだ。まあ、でも、お嬢ちゃんを誘い出す手ぐらいはすぐに思いつくさ」
オスリムは、子どもが覚えたての手品の種明かしをするように語りだした。
「『
へ……え……
一流の情報屋であるオスリムが言うのだから、本当の事なのだろう。しかし、ミリンダのこれまでの言動からはイマイチ想像が出来ず、エシャーはポカンとした表情でオスリムを見つめた。
「とにかく……」
ゼブルンが話を切り上げに入る。
「君が同行してくれると本当に助かる。島内の勢力図は混沌としてるからね。特に衛兵の協力者の中に、魔法院評議会やメルサの手の者がすでに紛れているらしい。城内で偽の情報を持ち込むヤツが来ても、君の『目』があれば、私たちも安心して行動できるからね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……それで、この有様なわけ?」
ベッドに横たわり苦笑しているエルグレドと、ベッド脇で身を縮めているスレヤー、その横で目を泳がせている篤樹……3人の顔を見比べるように一瞥し、レイラは呆れ声で尋ねた。
「まあ……でも、スレイとアツキくんが冷静に判断して下さったおかげで、こうして無事に済んだのですから……」
レイラの気を静めようと口を開いたエルグレドだったが、それはかえって自らを攻撃対象に差し出すひと言となってしまう。
「『何事も無く』済んだ? エル! あなた馬鹿なの? 城内で『死んだ』のよ! 文化法歴省大臣補佐官が、宝物庫を狙った賊に襲われ、左脇腹を吹き飛ばされて死んだのよ! 『無事』なワケ無いでしょう!」
物凄い剣幕でまくし立てるレイラを前に、さすがにマズいと思ったのか、エルグレドは笑みを消した真剣な表情になる。
「すみません……。確かに、大きな不注意でした。取り返しのつかない事態を招いてしまう所でした」
エルグレドの本気の謝罪姿勢を感じ取り、レイラも気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりうなずいた。
「ホントに……あなたが『
「ユノンも……一応は納得してくれたんで……大丈夫だと思います」
篤樹は場の空気が「穏やか」になって来た事を感じ、追加の安心材料を提供した。
―・―・―・―・―・―・―
―――数時間前―――
「生命反応が有りません! 無理です!」
ユノンは涙を流しながら頭を横に振り続けた。
「違うんだよ、ユノン! エルグレドさんはいざという時のために『仮死状態魔法』を身につけてるんだ! だから急いで止血だけしてよ!」
篤樹は必死にユノンの説得に当たる。スレヤーは王城地下に向かって駆けて来る足音に警戒していた。
「仮死状態魔法……? 何ですか? それは……」
篤樹の説明にユノンがキョトンと聞き返す。
「死んだフリの魔法! 死んでる相手には誰も攻撃しないだろ? 敵を
「は……い?」
理解を超えた説明だが、エグラシス大陸最強の魔法術士エルグレドなら、そんな事も有り得るのだろうか? と、不審に思いつつ、ユノンは止血魔法をようやく施し始めた。
「あとはアイリだ……」
石廊に横たわっているアイリには、一見したところ怪我は無い。呼吸も落ち着いているが、どんなに呼び掛けて身体を揺らしても目を開かない。エルグレドが「意識を奪った」と言っていたから、しばらくはこのままなのかも知れない。
「何事だ!」
宝物庫前石廊の端から姿を現した3人の衛兵が駆け寄って来る。スレヤーは篤樹に耳打ちをした。
「……俺が大将を連れて行く。アッキーは説明を考えろ! 何を話したかしっかり覚えながら話せ。でもアイリにやられたとは言うなよ? 賊のせいにしろ!」
「えっ……」
突然の指示を篤樹が飲み込む前にスレヤーが衛兵に叫ぶ。
「宝物庫に賊が入った! エルグレド補佐官が負傷! すぐに処置に向かう! 賊は2名! 1名は逃亡、1名は『扉が』滅殺した! 後の事情はウチのアツキから訊いてくれ!」
「は? え……しかし……」
3人の衛兵はスレヤーの怒声に近い指示に
もうひと押しかよ……
スレヤーはエルグレドの「死体」を左腕で抱きかかえ、耳をエルグレドの顔に寄せた。
「えっ? 何ですか? 分かりました! おい! 文化法歴省大臣補佐官エルグレドさんからの指示だ! 1名は増援要請に走れ! 後の2名は現場保全と事情聴取! 良いな!」
スレヤーからの指示に3人は戸惑い、顔を見合わせる。
「迅速に行動っ! 分かったか!」
「は……はいっ!」
特剣3隊連の長を務めていたスレヤーは、衛兵らにとっても「格上」と記憶に刷り込まれている。しかも指示は「瀕死の大臣補佐官」からの
そ……そんなぁ……
「ア……アツキさま……」
恐怖と不安に怯えて震え始めたユノンが、祈るように両手を組んで篤樹の名を呼ぶ。篤樹がユノンを両腕でギュッと抱きしめると、ユノンは
現場に残った衛兵2人は、その状況を黙って見守る。
ナイス、ユノン! よし、今の内に言い訳を考えないと……
衛兵たちに声をかけられるまで、篤樹は泣きじゃくるユノンをしっかり抱きしめたまま、スレヤーが残して行った「偽の情報」をどう組み合わせれば自然な「証言」が出来上がるか頭の中で必死に組み立て始めた。
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