第35話 転機

篤樹あつきは手先が器用だから、技術職とか向いてるんじゃないの?」

 

 母からの言葉に、篤樹はただ「あ」とだけ答えた。


「工業系も良いけど、高校は普通科で大学とかで専門に進んだほうがいいんじゃないか?」


 父からの問いかけには答える気もない。


「陸上部で頑張ってるし、北校なら部活も楽しんで過ごせるかもよ」


「北校はランク外だろ? あまりギリギリで入るよりも余裕を持って入ったほうが後が楽なんじゃないか? それに……」


 仕事から帰り、1人で遅めの夕食を食べている父と、台所で洗い物をしている母の会話を「遠く」に聞きながら、篤樹はウンザリとタメ息をついた。


 また俺の進路で勝手に夫婦の対話かよ。人の人生を勝手に設計するんじゃねぇよ! まだ中学生だぜ? もっとゆっくりじっくり楽しく過ごしたいのに……他に夫婦の共通話題ネタとか無いの?


 篤樹はリビングのソファーに座ってテレビを観ていた。絶対に観たい番組というわけではない。夕食の後、妹の 文香ふみかけたままにしていたアニメ番組が流れている。自宅Wi-Fi専用の自分のタブレットでネットゲームをダラダラやりながら、食後のリラックスタイムを過ごす。


 親と約束したゲーム時間はとっくに過ぎてるが、まあ、あとちょっとだけ……これが終わったら課題プリントをやって、時間割り済ませて、風呂に入って……でもあとちょっと。このイベントをクリアしたら……


「篤樹! いい加減にテレビを消して! ゲームもやめる!」


 台所から洗い物をしている母の声が「大きく」聞こえてきた。うるさいなぁ……篤樹は黙ってタブレットに触れ続ける。


「ほら、篤樹。テレビとゲーム。時間だろ?」


 父も母のアシストをしてきた。イラつくなぁ……篤樹はクリア出来ずにいるイベントのリトライをタップしようとしていた。


「おい! 篤樹。返事くらいちゃんとしなさい!」


 父が少し怒ったような声になっている。メンドくせーなぁ……やるよ、やりますよ! しかし、すぐに動きだすことで、まるで親の言いなりになったと思われるのもしゃくで、とりあえず動こうとしなかった。

 

 台所で母が「まったくぅ……」と大きな声で呟くのが聞こえる。蛇口を閉め、水の音が止んだ。


「ちょっと、篤樹ィ!」


 母が近づいて来た頃合を見計らい、篤樹は立ち上がる。「母が来る前に動き出した」という既成事実きせいじじつ作りだ。はい、ちゃんと動いたよ! これで文句を言われる筋合いは無いからね! タブレットからは目を離さず、そのまま自分の部屋に向かい始める。


「篤樹! タブレットは置いていきなさい!」


 今度は父が声をかけてきた。その間に母がテレビを消す。


「あ」

 

 とりあえず返事というより反応だけを示し、タブレットをスリープにするとソファー上にポイと投げ出した。


「いい加減にしな! なんだお前、その 態度たいどは!」


 父親が怒鳴りだす。ああ、うっとうしいなぁ……メンドくせー! 篤樹はイライラしてきた。最近……1年生の終わりくらいからこの「イライラ」が時々起こる。

 別に、父さんも母さんも嫌いじゃない。でも「あれをしろ」だの「これをしろ」だの「約束」だのと、とにかく うるさい。ウザい、五月蝿うるさいい、ウルサイ!


「大体お前は……」


 出た! ダイタイオヤジが! なんだよ「ダイタイ」って。知らねぇよ、そんなオトナの基準なんか!


 篤樹の耳には、母の言葉も父の 叱責しっせきもただただ「うるさい・うっとおしい 雑音ざつおん」にしか感じられなかった。


「……そんなんじゃ高校もちゃんと行けないぞ! やりたい事あるなら、やるべき事をまずちゃんとやれ!」


 篤樹はもう黙ってられずに抗議の声を上げる。


「だから、やろうとしてるのに『やれ! やれ!』言うからやる気が無くなるんじゃんかよ!」


 そうさ。自分でちゃんと分かってるんだ! 計画も立てて取り組んでるんだ! それなのに……勝手に時間配分やらなんやらまで親の都合で決めるから悪いんだ! 別にテレビを何時間観たって、ゲームを何時間やったって、俺はちゃんと自分で計画を立てて勉強もやるつもりなのに、勝手に人の時間を支配するな!


……結局その日の夜も、篤樹は両親との怒鳴り合いを終え、不愉快な気分のまま風呂にも入らずにベッドに もぐり込む事になってしまった。最近、ずっとこの調子だ!


 部屋の外から姉と妹の会話が聞こえてくる。


「ねぇ、綾ちゃん、ちゅうにびょうって何?」


「今の篤樹よ」


「ウルセー!」


 扉に向かって投げたのは「一応」壁に傷をつけない程度の硬さのものだった……



◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 いやだ……いやだ!


 当事者の意見を何も聞かないまま、「大人たち」が勝手に計画を立てる声を聞きながら、篤樹はイライラしてきた。


 何だよ、それ! なんで俺が「 探索隊たんさくたい」なんかにならなきゃいけないんだよ! ヤダよ……戻れるかどうかも分からないルエルフ村を探すとか、盾を取りに行くとか……そんなの……俺、別にそんなのしたくないし、何で? どうして勝手に話を進めるんだ!


「……という事で、エルグレドとアツキくんはすぐに準備に取り掛かってくれ……ん? どうしたんだね? アツキくん」


 ビデルが、篤樹の かたくなな表情に気付き怪訝けげんそうに声をかける。


「……やです……」


「ん? 何だね? ハッキリ言いたまえ」


「イヤです! 僕は行きたくありません! それ……別に僕の仕事じゃないでしょ! 僕はいやです! 行きません!」


 段々と声を荒げ、篤樹は立ち上がり叫んだ。


 ああ、マズイ!「おじさんたち」が怒ってる! エシャーは? ああ、変なヤツを見る目になってる! ヤバイ! マズイ!


 篤樹は冷静に自分の「感情の爆発」を観察したが、それでも……もう止まらない!


「僕は……僕は被害者なんですよ! こんな所に……こんな世界に……なんでいるんですか?! 帰りたいんです! 家に帰りたいんです! みんなに会いたいんです! 探索なんかやってる ひまは無いんです! そんな事より、僕は家に帰る方法を早く知りたいんです! どうしたら良いんですか? 教えて下さいよ!」

 

 あ、あ、あー……こりゃあれだ。また泣き叫ぶんだ、俺……完全にパニくっちゃてるし、ダメだぁ……


 バチンッ!


 突然エシャーからの 強烈きょうれつな平手打ちを喰らい、篤樹は吹き飛んだ。パニックになって叫んでいたせいで、立ち方のバランスが悪かったのかも知れないが……文字通り「吹き飛ん」で床に倒されてしまった。

 エシャーは すごい目で篤樹をにらみつける。綺麗な緑色の大きな目に涙を一杯に めて……


「バカー!!」


 エシャーはそう叫ぶと、倒れている篤樹に馬乗りになって来た。


「バカー! バカー! バカーッ! アッキーの……バカー!」

 

 かなり激しい両手往復ビンタを数発喰らいながら、篤樹はただ驚いた表情でエシャーを見つめる。


 あ……馬鹿って発音……ホントは違うんだ……? 口の動きと、聞こえる声がずれてるや……


  客観的きゃっかんてきな思考が働いたのは、防衛本能からの『現実逃避とうひ』だったのかも知れない。


「エシャー……もうやめなさい」


 篤樹にまたがったまま、さめざめと泣くエシャーの肩にルロエが手を置く。その手を握りエシャーは立ち上がると、ルロエの胸に顔を うずめ引き続き泣いている。


「なんだ? こいつは……」


 カミーラが あきれ声でそうつぶやくのを篤樹は聞いた。


「……さあ、アツキくんも……」


 ルロエが手を差し出すが、エシャーを抱きしめたままの立ち姿勢なので、手を貸してもらうことは出来ない。エルグレドは……一瞬席を立とうとしたが、何かを思い直したように立つのをやめた。


「……いや、これは…… 興醒きょうざめ……だな」


 倒れた篤樹を、ビデルも 呆然ぼうぜんと見下ろす。


 誰も……助け起こしてくれない……誰も……


 篤樹は法廷の天井に目を向けた。天窓から見える空は、深い あおと薄い青のグラデーションで、日の出がすぐ間近に迫っている事を知る。


  宵暁しょうきょうの時は去り……か……


 篤樹は、あの演技がかった裁判長の姿を思い出した。


 あ、そうだ……裁判が終わったら……大笑いするんだったっけ……


 篤樹は笑おうとした。


 ゲホッ! ゲホッ!


 しかし、鼻血が のどに落ち込み、激しくむせ返ってしまう。


 俺……何やってんだろう……こんな所で……


「ビデルよ。先ほどの話だが……私には大いなる疑念が いたぞ」


 カミーラが呆れ声でビデルに語りかける。


「……いや、大使……これは……私も想定外というか……『未熟』以前の問題かと……」


 へっ! おっさんたちが見下してるよ。俺の事……


 篤樹は くやしかった。親となら……一晩寝て起きれば、次の朝にはまた元の関係に戻っている。学校でも、何かあれば誰かが助けてくれるのに……ここでは「少年の主張」はただ呆れて見下されて……見捨てられるだけなんだ……。「ここ」では?


 天窓を見上げたまま、篤樹はボンヤリと考える。感情を爆発させたおかげか、少し頭の中が整理されていた。


 「向こう」では大人や周り、社会がいつも助けてくれる……それは自分が「保護を受ける立場」だったから。……でも「保護を受ける立場」でなくなったら? 「子ども」だからと、大目に見てもらっていたワガママだってあった。守ってくれる「社会の制度』」があったから……。でも……それが無ければ『向こう』でも『ここ』でも同じ……


 俺って……呆れられて、興醒めされて……見捨てられる程度の「馬鹿」でしか無いってことなのか……情け無いなぁ…… 格好悪かっこわるいなぁ……


「『 成者しげるものの儀』を終えていないとはいえ、あの 背格好せかっこうで、あんな無責任な発言を 稚児ちごのように叫ぶとは……私は彼に『チガセ』の 欠片かけらも感じられない。稚児でも、もっと自信をもって自己の責任を果たすものだ」


「……計画を練り直す必要がありますね。『アレ』じゃ使えない」


 カミーラとビデルの会話が耳に入ってくる。


 ヘッ……赤ちゃん以下の「使えないアレ」呼ばわりか……もう、どうだっていいや……


 突然法廷の扉が開く音が聞こえた。皆が扉の方を向く。篤樹も床に倒れたまま、顔を向けた。


「失礼します……あ……今……よろしかったでしょうか?」


  巡監隊じゅんかんたいの制服を着た男……篤樹の取調べを担当していた、あの巡監隊員だ。両手に袋と棒弓銃を抱えている。


「なんだね? 君は」


 ビデルが声をかける。


「は! いえ、詰所に……そちらのお2人が私物を置かれたままでしたので……」


「おお! それは……」


 ルロエの声が応じた。あ、あの棒弓銃はルロエさんの……ルロエとエシャーが入口に近づいていく。篤樹は2人に置き去りにされるような気持ちで、その 後姿うしろすがたを見つめた。


「あ……お母さんの……」


 袋の中を確認したエシャーは、中から母エーミーの「残された服」を取り出し、握り締める。ルロエも渡された袋と自分の棒弓銃を握り受けた。


輪番明りんばんあけの帰宅でして……ちょうど近くを通る私が預かりました。急な移送でしたので渡しそびれてしまったと、担当の者が詫びておりました」


 巡監隊員は不手際を び、少し、しどろもどろな説明をする。


「あの……彼は?」


 床に倒れている篤樹の様子が気になり、巡監隊員は尋ねた。


「用が済んだのなら、早く立ち去りたまえ」


 ビデルが命令口調で指示を出す。


「あ、はい! 失礼しました。では、私はこれで!」


 一礼をしたあと篤樹に目を合わせ、身体で隠すように右手で拳を握り「頑張れ!」とでもいうようなジェスチャーを示し、部屋から出て行った。閉まる扉を、篤樹はジッと見つめる。


 エシャーが握り締めているエーミーさんの服……一晩だけだったけど……お世話になって……美味しい食事をごちそうになって……学生服の汚れを落として破れを つくろってもらって……


 篤樹は数日前の恐怖も思い出した。ガザルから受けた暴行の痛み……得体の知れない「サーガ」と呼ばれるバケモノの群れ……悪夢のような時間と、温かな楽しい時間……


 天窓を見上げ横になったまま、篤樹は大きく深呼吸をした。


 今までの自分……「向こうの世界」で生まれ、育ち……いつの間にか、世の中の全てを知っているように 勘違かんちがいをしていた。……親や大人たちよりも、自分のほうが「正しい」と思うようになって……保護されている事にも気付いていない……支えられ、守られている「子ども」の自分……


 もう一度深呼吸……


 今は、向こうの世界の保護も助けも……何も無い状態の自分。この世界に「今 る」という現実……真っ白な画用紙を渡され、でもそれが自分の 一筆ひとふでで台無しになるような不安……いや……書き始める責任さえ誰かに押し付けようとして……誰もその責任を負ってはくれないのに……。自分で描き始めなきゃ……何の未来も えがく事なんか出来やしない。


 3回目……篤樹は大きく息を吸い込み…… き出すタイミングで上半身を起こした。


 何やってんだろう、俺! 馬鹿だ! カスだ! 情けねぇ! 動き出さなきゃ前に進めないってぇの! 誰かがおんぶして運んでくれるのを待ってたって、他人任せじゃ一歩も進めやしない! 下手な絵でも良いから、描き始めなきゃ……


 篤樹が起き上がった姿、その表情を見て、今度はすぐにエルグレドは席を立ち近寄り、上着のポケットからハンカチを取り出し差しだす。


「大丈夫ですか?」


 エルグレドからハンカチを受け取り、篤樹は鼻に当てた。


「スビバセン……」


「使って下さい。差し上げます。そのまま押さえてて……」


 エルグレドはそう言うと、左手を篤樹の顔の前にかざした。ほんわりと温かさを感じる。「さぁ…」と言ってエルグレドは篤樹の左腕を支えるように立ち上がらせてくれた。一同の目が篤樹に注がれる。


 エシャーは……申し訳なさそうに……でも 不機嫌ふきげんそうに顔をそむけ、エーミーの服で口元を押さえている。


「あの……」


 篤樹はバツの悪さを感じつつ、口を開いた。


「あの、皆さん……その……すみませんでした……」


「坊やは寝ていれば良い」


 カミーラが、いかにも意地の悪い口調で答える。しかし篤樹はめげなかった。だって……あんな情け無い 駄々だだをこねたんだから、見下げられて当然だ! でも……


「もう……大丈夫です。すみませんでした! 僕……ちょっと……急な話で混乱しちゃって……」


「混乱ねぇ……」


 ビデルも呆れたような声で答える。クソッ!……でも、仕方ないよなぁ……

 篤樹は鼻を押さえていたハンカチを握り締めて腕を下ろす。エルグレドの 治癒魔法ちゆまほうで、鼻血も痛みも治まっている。


「あの、さっきの話……探索隊の仕事、僕にやらせて下さい! お願いします!」


 やるべき事はある! やらなきゃいけないんだ! でも、やらされるんじゃない! 自分で選んでやるんだ! やるだけやって……当たって突き抜けてやる!


 篤樹の目から「無責任な受益者」の色が消えているのを、側に立つエルグレドは確認し、静かに微笑んだ。

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