第8話 注意事項

「おはよぉアッキー! 起きてるぅ?」


  篤樹あつきの部屋のとびらが突然開き、エシャーが け込んできた。


「あ、おはよう……」


「起きてたぁ! 早いねぇ。まだ寝てるかと思っ……ん?」

 

  窓際まどぎわに立つ篤樹の顔を見たエシャーがニヤッと む。


「また泣いてたんでしょ?」


「は?」


「泣いてた目をしてる!」


  唐突とうとつな「泣き虫認定」に、篤樹は ずかしさと腹立はらだたしさで顔が赤くなる。


「泣いてない!  欠伸あくびしただけだよ!」


 自分でも苦しい言いわけだと思いつつ、 反論はんろんせずにはいられなかった。


「ふぅん……とにかく下りておいで! 朝ごはん準備出来てるから」


 エシャーはなんだか うれしそうに見える。こっちは 最悪さいあく状況じょうきょうなのに良い気なもんだ。まあ、同じ としの「子ども」が現れ、転校生でも来たような気持ちなのかも知れない。

 反論を続けることをやめ、篤樹は言われるままエシャーに続いて 階下かいかへ下りていく。


「おはようございます……」


 階段を下りるとエシャーはさっさとテーブルについた。つられて篤樹も席に座ろうとする。


「先に顔を洗っといでよ」


 エシャーがニヤニヤしながら、指で なみだぬぐ真似まねをする。クソッ! 文句の一つでも言いたかったが、かぶせられたエーミーの声で言葉を切った。


「あら、おはようアッキー。お顔はこっちで洗えますからね」

 

 流し台の そばにいたエーミーはエプロンで手を くと、たなから手拭てぬぐいを出し、流し台の横にある木の たるを示した。


「あ、はい……」

 

 樽の中には何も無い。底に穴が空いている。エーミーが 手桶ておけに水をみ流し台の横に置いてくれた。だが、どういう作法か分からず、篤樹は 戸惑とまどいを見せる。


「あら?  勝手かってちがったかしら? この水を手ですくって、その たるの上で顔を洗うのよ。出来る?」


 エーミーが心配そうに篤樹を見た。なんだか馬鹿にされてる気分だ。顔ぐらい毎日洗面所でキチンと洗ってるのに……篤樹は「大丈夫です」と つぶやくと、さっさと顔を洗い、用意されていた手拭で顔を ぬぐう。


「さあ、どうぞ召し上がれ」


 テーブルには2人分の朝食が準備されていた。


「お父さんたちは食べないの?」


 篤樹は少し声を落としエシャーに尋ねる。


「私たちはもう食べ終わりましたよ」


 返事をしたのはエーミーだった。


「お父さんとお母さんは早起きなのよ。お父さんはもうりょうに行ってる……んだよねぇ?」


「ええ、もう出かけましたよ」


「ほらね?」


 なぜかエシャーが 自慢気じまんげに答えた。

 

 朝食は篤樹の世界でも 見慣みなれた形のものばかりだった。バターロールのようなパンとグリーンサラダ、ベーコンに目玉焼き、湯気の立つコーンスープ。

 それぞれの名前や材料は 若干違じゃっかんちがうらしいが、味はれたものばかりだ。とは言え、いかにも「家庭で作った味」という感じだ。

 パンは、篤樹が普段食べてる 既製品きせいひんの袋入りパンと比べると重たく、 かたい。否定的な意味で無く、むしろ美味しいのだが……こんな「重みのあるパン」を篤樹は食べた事がなかった。 めば噛むほどバターの風味と甘みを感じ、口の中いっぱいに「焼きたてのパン屋さん」の香りが広がる。

 ベーコンも、母がスーパーで買ってくるものとは全く別物に感じる。食べても口の中に変な「 あぶらっこさ」が残らない。優しい塩味で、一口目は「 味薄あじうすッ!」と思ったが、こちらも2~3み頃には 燻製くんせいの香りと、塩気が口から鼻に けて ふくらんでいく。その香りと塩気が、マヨネーズもドレッシングもかかっていないグリーンサラダの味を最高に引き立てている。

 目玉焼きも( にわとりみたいな家畜鳥かちくどりもいるらしい)塩が軽く振ってあるだけだったが、とにかく 黄身きみの味がくて おどろいてしまう。半熟はんじゅくの黄身にパンをつけて食べると、 濃厚のうこうなシチューのような味わいで、白身も普段食べる目玉焼きのような「白身の におい」を全く感じない。


 篤樹は見慣れた 形状けいじょうの食事に安心し、その味に驚き、ほぼ無言でバクバク食べ続ける。いつもの朝食は「とにかく決まりだから腹に入れる、お腹が空いてるから腹を満たす」という感覚でしか最近は食べていなかった。朝食を「美味しいから食べる」という感覚は、ホントに久し振りな気がする。


「足りる?」


 まだ一口、二口しか食べていないエシャーが あきれたような声で聞いてきた。


「あら? やっぱり男の子は朝からよく食べるわねぇ。パンとスープはまだありますよ。おかわりはいかが?」


 エーミーの すすめに「あ、お願いします!」と篤樹は 即答そくとうした。ホントに美味しいや!


 朝食の終わりに、木のコップに入った白い飲み物(たぶん牛乳か羊乳のたぐい)をエーミーは出してくれた。篤樹の家だと飲み物は料理と一緒に出て来るが、この家(この世界?)では飲み物は食事の後に出て来るんだな、なんて「勝手の違い」を感じながら恐る恐る一口飲んでみる。甘い! そして……


「おいしい!」


 それは数年前に家族で食事をしたネパールカレー専門店で飲んだ「ラッシー」の味と ていた。甘酸あまずっぱく、すこし「とろみ」を感じる口当たり。カレー屋のラッシーが美味しかったので、自分でも手作りラッシーを作ってみたが、市販の紙パック入り牛乳の 独特どくとくの匂いと粘度ねんどの低さがどうしても好きになれず、何回か作って以来すっかり作らなくなった……でも、こんなに美味しいのが自分の家でも作れるんだ!

 篤樹は一気に飲み終わったコップをテーブルに置く。


「これ、美味しいですねぇ!」


「あら、好きだった? お代わりありますよ」


 エーミーが うれしそうに答える。


「あたしも!」


 エシャーが急いで自分のコップを口に運ぶ。


「あら?  めずらしい。あと一杯いっぱいずつはあるからゆっくりお飲みなさい」



―――・―――・―――・―――

 


「ただいま」


 ルロエが朝の りょうを終えて帰って来た。


「お帰りなさーい」


「あ、おはようございます」


 篤樹とエシャーは食卓に座ったまま続けていた会話を中断し、ルロエを 出迎でむかえる。


「はい、ただいま。おはようアツキくん。よく眠れたかい?」


「あ、はい。大丈夫です」


 ルロエは狩りの獲物である かものような水鳥をエーミーに渡しながら話しを続けた。


湖神様こしんさまにおうかがいをたてに行く前に、もうしばらくしたら父…… おさが話に来るそうだ。食事は済んだかい?」


「あ、はい。いただきました。ありがとうございます」


「エシャーったら、アツキくんにつられてお代わりまでしたんですよ」


 エーミーはルロエから受け取った 獲物えものを流し台に置き、振り向いてルロエに報告する。


「そうか、それは良かった。やはり歳の近い友人が居るというのは色んな刺激になるんだろう」


 流しの横にある手洗い場に立ち、ルロエが応じた。すでに篤樹とエシャーは談笑を再開していた。


「あら、噂をすれば……お父様がいらしたみたいよ」


 窓の外にシャルロを見つけたエーミーの声に反応し、全員の視線が出入口に向く。数秒もせずに扉が開き、村の長シャルロが家の中に入ってきた。


「おはようございます」


「おじいさま、おはよー!」


「おお、おはようエシャー。アッキーよ、夕べはよく休めたかな?」


 シャルロは笑顔で篤樹に語りかける。篤樹が軽く 相槌あいづちを打つような 挨拶あいさつを返すと、シャルロは うれしそうに微笑み うなずきながらテーブルの はしの椅子を引いた。


「よっこらしょっと! いやいや、相変わらずここの椅子は高いのぉ。座り にくいったりゃありゃしない」


 椅子によじ登るように座ったシャルロはしかめっ面を見せる。

 篤樹の視界だとまるでテーブルの上に「小人のしゃべる生首」が置いてあるように見えた。


「まあまあ、お父様ったら。我が家にお出で下さるのは本当にお久し振りですね」


 エーミーは湯気の立つコップを運んでシャルロの前に置き、奥の長椅子へ移動して自分も座った。篤樹の学生服を つくろってくれているようだ。


「我が家ほど 快適かいてきな家はないからなぁ。他所よその家にはなかなか出向きたくはないんじゃよ。我が家に勝る城は無し、じゃ。さて……」

 

 シャルロはテーブルを囲み座っている1人1人に視線を向ける。


「客人アツキよ。『別の世界』というのは勝手も違って色々 不便ふべんもあるじゃろう。じゃが、まあ……来てしまったものは仕方がない。ここでどのように立ち振る舞うかはそなたの心一つじゃ。とにかくまずは改めて歓迎しようぞ」


 篤樹は思わず深々と頭を下げた。シャルロは「長」というだけあって、ある 瞬間しゅんかんには物凄ものすご威厳いげんを感じる。チラッと横を見るとエシャーも両親も胸に手を当ててかしこまって見える。シャルロは続けた。


「そなたの 事情じじょうはとても 複雑ふくざつじゃ。いや、複雑かどうかさえも はかりかねる。そこで、昨日伝えたように、そなたにはこの村の守り神様である『湖神様』へのお伺いを許可することとした。湖神様については……」


 シャルロはルロエをチラッと見た。


「昨夜、少々お話ししました。 くわしくはまだ……」


「そうかそうか。ではこれからお伺いに向かう前に、もう少しお話しをしておかねばならぬな」


 そう言うとシャルロは篤樹に目を向ける。真面目な話なんだろうけど、あの顔の位置じゃなぁ……と篤樹はふと考えていた。すると、その思いを見抜いたかのように、シャルロが尋ねる。


「さて、今そなたは『聞くべき話以外』に心を向けたであろう?」


「えっ?」


 篤樹はドキッとした。いや、別に話を聞く気持ちが無かったわけではなく、ただ長の顔の位置が低すぎるから「生首」に見えて……


「ふーむ……心配じゃなぁ……」


「あの、何がですか? 僕……ちゃんと話しを聞いてますよ!」


 篤樹は あせって答えた。


「それも良くない!」


 シャルロはテーブルの はしを右手でバンッ! と たたく。


「湖神様は人の口から出る言葉ではなく、その『思い』を聞かれるお方じゃ。心の中と口から出す言葉が 相違そういしておれば『相応ふさわしからぬ者』と見られる。すると湖神様はその者の『心』を見られ、次々に様々なことを問うてこられる。やがてその者の いつわりの言葉、誤魔化ごまかし、 虚言きょげん矛盾むじゅんの全てが、その者の精神を 破壊はかいし……時に死に至らしめられるのじゃ。じゃから絶対に湖神様の前では『他のこと』を考えてはならぬ。お伺いを立てたい事、ただその一点にのみ心を向けるのじゃ。よいか?」


「あ、はい……」


「……それと湖神様に『決まった姿は無い』ことも忘れてはならぬ」


「え?」


「湖神様は特定の姿をもってはおらぬ。ある者には力強い男性の姿で、ある者には優しく美しい女性の姿で、ある者には恐ろしい けものの姿でお会いになられるのじゃ」


「そう……なんですか?」


 篤樹はチラッとルロエを見た。昨夜話した時にはそんな話は聞かなかった。ルロエは腕をギュッと組んで目を閉じている。


「せがれは……ルロエは納得いかんかも知らぬが、そうなのじゃ。ワシがお会いした湖神様とルロエがお会いした湖神様は姿形が違っておったらしい。他の者たちも皆、その 都度つど違う姿の湖神様とお会いして来たのじゃ。湖神様は伺い人が心の中で欲する姿、あるいは けたい姿となって現れるのじゃ。 心得こころえておかれよ」


「……はい」


「思いがけぬ姿で目の前に現れた湖神様に おどろけば、平静へいせいを失い、心が 動揺どうようし『伺うべきこと』を忘れ、逆に様々な質問を受けることになる。とにかく、言い分けや誤魔化し、 うそや取りつくろいだけは絶対にしてはならぬのじゃ。よいな?」


 なるほど……ね。 ようはびびったら負けってことか……



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 2年生の秋季大会校内選考で、 めずらしく好成績こうせいせきを出して代表選手に選ばれた時、篤樹は地区決勝で「将来の日本代表」と呼ばれる選手と ることになった。部活の顧問、保体の岡部からはいつも以上に げきを飛ばされる。


「篤樹! いいか? びびったら負けだぞ! びびんなよ!」


 はいはい、分かってますよ。びびってませんって! 


 心の中で舌を出しながらも「はい!」と返事をしてトラックに向かう。アップをしている奴の足……あれで同じ中2かよ! 篤樹はスタンドを見た。たかが中学陸上の地区大会決勝とは思えない観客。報道関係者も多数入ってるって聞いたけど、なんだよあのカメラの数……俺らは奴の引き立て役か……

 篤樹は少しムッと来た。ここで奴を負かせば自分があのカメラを通してニュースの主役になるのかな……じゃあ、ちょいと本気で走ってみても……


 アップをしている同走の他選手に目を向ける。アレ? アイツも良い足してるなぁ……こいつも海外選手みたいな体つきだし……あれ? あれ?


 篤樹は秋空の広いトラックの中で立ちすくんでしまった。あれ? なんか俺以外の選手って……みんな優勝狙えるレベルの奴なんじゃないの?


 8人同走の100m決勝戦。篤樹は自分以外の7選手と会場の 雰囲気ふんいきに完全にビビッてしまっていた……



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「よいな? アツキ。ぼちぼち行くぞ」


 篤樹はシャルロの呼びかけに応じ、席から立ち上がった。


「……はい」


 心臓がドキドキ 脈打みゃくうつ。高鳴たかな鼓動こどうに喉の渇きも急に感じる。これは…… 緊張きんちょうや期待の高まりではないと篤樹は自覚し始めた。


 ああ、俺……やっぱりびびってるや……

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