孤独な世界は◯◯◯とともに

だるぉ

放課後、僕と委員長


「もう下校時間だから君も帰りなよ」


 ある日の放課後。


 教室の一角にひとり、ポツンと残っている僕に彼女が声をかけてきた。


「こんな時間まで残って何してるのよ。試験も近いことだし勉強かな?」


「な、なんでもないよ……」


 突然声をかけられたもんだから少し上ずった返事をしてしまう──いや、そうでなくともコミュ障な僕は堂々と話すことは出来ないのだけれど。


 灰色の高校生活を送っている僕とは対照的に、彼女は元気溌剌才色兼備、常にクラスメイトの会話の中心にいて人望も厚く、その結果、きっと「委員長」という役職を人類史上の誰よりも全うしている。


「なんでもないってことはないでしょう? そんな反応されたら逆に気になっちゃうよー」


 そう言って彼女もとい委員長は、僕の前の席に腰を下ろした。


「君の好みに合わせて言うならば──わたし、気になります! かな?」


 どこぞの古典部みたいなセリフを委員長は言う。


 今まで接点を特に持っていないはずの僕の趣味が把握されているはずもなく、きっとそれは彼女の勝手な推測なのだろうが、やはりコミュ障だった僕はその推測を訂正することはできなかった。


 つーか恐るべし委員長と言ったところなのか、そもそも彼女のそれはまさに図星だったので訂正する必要がないと言った方が正しいのかもしれない。


 認めよう、僕は面倒な人付き合いから逃げ、一人の世界に没頭する根暗なのだと──中学まではそんなこともなかったけれど。


「……よく知ってるね、こんな僕のことなんて」


「まあね、これでも委員長としてクラスの人のプロフィールはある程度なら把握しているつもりよ。例えばみんなの出生時の体重とかね」


 そこまで行くともはやドン引きなのだが。


 どうやら委員長としての責務を大きく間違ったベクトルに捉えてしまっている彼女に、一抹の気持ち悪さを覚えてしまう。


 もしかしたら彼女は、僕の朝食の献立すら知っているのかもしれない。


「もちろん知ってるわよ。トーストにハムエッグ、それとヨーグルトでしょ?」


 さも知っていて当然という態度で堂々と言われても怖いのけれど。


「余計なお世話かもしれないけれど、その献立は動物性たんぱく質に偏りすぎていてビタミン類が不足しているわね。ちょっとしたサラダとか付け加えるとバランスのとれた食事になるわよ」


 それは本当に余計なお世話だ。


 もしかして彼女は、委員長を親以上の何かと勘違いしているのではないだろうか。

 

「でさ──結局のところ、君はさっき何をしていたのよ。私の委員長フォルダに保存するから教えて欲しいわ」


 なんだそのフォルダは。


 できることならばプライバシー保護のため、是非そんな物騒なものは1秒でも早く削除願いたいところなのだが──きっと委員長として命をかけている彼女は教えるまで諦めそうもなく、早くこの空間から抜け出したかった僕は言いなりになることにした。


「小説だよ、ケータイ小説。僕はそれを読んでいただけさ」


「ケータイ小説? あー、手軽に読めるのが売りで最近流行っているらしいわね。読書といえばもっぱら実際の本派の私にとっては縁遠いものだから、あまり詳しいことはわからないけれど」


「本を持ち歩くのは嵩張るし、荷物になるからね。体力に自信がない僕にとってケータイ小説はうってつけのツールだよ。最近は素人の小説投稿サイトなんかもあって無料で読めるしね」


「へぇ、それは金欠気味な私にとっては耳寄りな情報だわ。いつもはどんなジャンルを読むの?」


「僕は基本的に濫読家だから、特に決まったジャンルなんかはないよ」


 自分の好きなことについての話だったからか、普段よりもついつい饒舌になってしまう。


 勘ぐりすぎかもしれないが、きっと僕がここまで口を開いたのは、既に彼女の術中にはまっていたからなのかもしれない。


「そうは言ってもよく読む系統とかはあるでしょう?」


「まあ、強いて言えばってくらいには……」


「委員長力強化のためにも是非教えて欲しいわ」


 委員長力って。


 あまり自分をオープンにすることを是としない僕にとってはあまりにも気乗りしない懇願だったけれど、やはり教えなければ彼女は諦めそうになかったので、少し考えてから口を開いた。


「ホラーやミステリー……かな」


「あら奇遇ね、実は私もそっち系が好物だったりするわよ」


「本当に?」


 どうせ僕と話を合わせるために適当に言ってるだけじゃないのか──なんて思ったけれども、彼女がそれから語った小説のタイトルや感想は実に僕の趣味とマッチするもので、思いのほか話が弾んだ。


 久しぶりに人と話すのが楽しいと思った瞬間でもあった。


「まさか委員長が僕みたいな人間と同じ感性を持っていたなんて驚きだよ」


「そんなに自分を卑下するもんじゃあないわよ。私は知っているわ、君は素晴らしい人間だって」

 

 そんなことをいきなり言われてドキッとする。


 気立てのいい彼女のことだから何気無しに言ったのだろうが、その手に関して免疫が0の僕にとっては刺激が強い。


「そう言えばこんな話をしていたから思い出したのだけれど、最近ネットで有名な都市伝説って知ってる?」


「ど、どんなやつ?」


 動揺してまたまた声が上ずってしまいつつも、なんとか反応する。


 僕は学校でも家でもケータイを媒体にネットサーフィンをしている人間なので、案外知っているかもしれない。


「現代の人々の心を巣食うモノノ怪の話なのだけれど──」


「モノノ怪?」


「そう、モノノ怪。要は妖怪変化の類のことよ」


 言いながら彼女はおもむろにメモ帳を取り出し、ペンを走らせる。


 開かれたページには三文字の漢字の並び──『壽痲脯』と書かれていた。


「……なんて読むの?」


 見せられたページに首をかしげる。


 どの字もこれまでの人生で目にする機会がなく、不肖僕では読みの検討が皆目見当もつかない。


「さあね。その記事にも振り仮名はなかったし、私にも正確な読みはわからないわ」


「委員長でも読めないなら僕に読めないのも当然だ」


「……さっきも言ったけれど、あまり自分のことを卑下しない方がいいわよ。そうやって君の自分を過小評価するところは嫌いだわ」


 嫌い。


 初めて委員長の口からネガティブな単語が出た気がする。


 そんな風に責められても、やはり僕のような人間にとっては彼女は雲の上のような存在で、太陽が眩しすぎて見上げることも叶わない──直視すれば目が潰れてしまいそう。


 僕がそんな彼女と同じ目線で物を言えなんて土台無理な話だ。


「ところでそのモノノ怪はどんなやつなんだっけ?」


 少し気まずくなって話のハンドルを元に戻す。


「人の可能性を潰し、孤独にするモノノ怪よ」


「人を──孤独に?」


「このモノノ怪に取り憑かれた人は健全な人に見えている世界が見えなくなって、次第に自分だけの世界を形成し、そして最後は孤独になるの」


 そう記事に書かれていたわ、と委員長は付け足す。


「それは恐ろしいモノノ怪だね」


「そうね、とても恐ろしいわ」


 孤独は怖い。


 実際にその状態にある僕は、その恐ろしさをよく知っている。


 人は他者と関わって成長する生き物だ。


 それが孤独となり誰とも関われないとなるとどうなるか──答えは、いつしか生きる気力を失う。


 そうなってしまえばもはや手遅れ、僕のように1日の大半をケータイとにらめっこすることになってしまう。


「でね、このモノノ怪について考察してみて私なりの見解を導き出してみたの」


「それはちょっと興味深いね。よければ聞かせてもらってもいいかな?」


 もちろんいいわよ。


 まるでそのセリフを前もって準備していたかのように言った彼女は、その興味深い見解とやらを話してくれた。


「このモノノ怪に取り憑かれた人間は、今の世の中には結構な数がいると思うわ。自覚している人も中にはいるのだろうけれど、きっと無自覚の人の方が圧倒的に多いわ」


 ふむ、ごく少数ではあるが自覚している人もいるのか。


「ひと昔前までは少なかったけれど、最近になってからこのモノノ怪の勢力はものすごい速さで拡大してる。それも人々の方からその勢力拡大を積極的に手助けし、明確な姿形を持っているの」


 つまり僕らにも見えるってことか?


「ええ、そうよ。しかもこのモノノ怪は段階的に人々に取り憑くの。まずは人との懐に侵入する。そのうち人は常にこのモノノ怪に肌身離さず持つようになり、それは寝ていようが入浴中だろうが関係なしよ」


 持つ?


「そしてこのモノノ怪は人から受ける自身の価値観を操作する能力を持っていて、取り憑かれた人はこのモノノ怪なしには生きられないと錯覚するようになるの。そうなった人はいつしかこのモノノ怪を大事にし、何どきも目を離さなくなるわ」


 あれ、もしかしてそれって──


「勘のいい君ならもうわかったと思うわ。そう、このモノノ怪の読み方は──壽痲脯スマホ


「────!」


「もはや私たち現代人にとっては欠かすことのできない道具となったスマホこそが、このモノノ怪の正体よ」


 目からウロコが落ちるような気がした。


 スマホがモノノ怪──それはあまりにも支離滅裂で突拍子な話だけれど、委員長の見解を聞いてみると妙に納得がいく。


 世間ではスマホ中毒となり、日常生活がままならない人が多くいると言う。


 それこそ歩きスマホで事故に合う人だって、その枠の中にいるのかもしれない。


「とまあ、ここまでが私の見解な訳でここからも私の見解が続くのだけれど──君もそんな壽痲脯スマホに取り憑かれた人のひとりじゃないのかな?」


 え、僕が?


「だってそうでしょう? 君も一日中スマホと向き合って現実世界の方はそっちのけ、完全に中毒の症状で取り憑かれているわよ」


「いや、でも僕がこうなのは人と話すのが苦手なだけで……」


「いいえ、違うわ。私は知っている。君がスマホを持っていなかった中学生の頃はそれなりに友達がいて、ちゃんと人と楽しくおしゃべりをしていたって」


 みんなのことはちゃんと把握しているの、委員長を舐めないで。


 そんな決めゼリフを放つ彼女に、僕は何も言い返すことはできなかった。


「ば、馬鹿らしい。そもそもそんなの都市伝説だろ」


「そう言われては返す言葉もないわ。でも火のないところに煙は立たぬって言うでしょう? あながち全部が作り話ってことでもないかもしれないわ」


 確かに彼女の言っていることはもっともだ。


 例えモノノ怪自体のことはまるっきりの作り話と考えても、その考察及び見解は正鵠を射ていて一考をするだけの価値はある。


 それは信じるに値すると言っても差し支えない。


「じゃあ百歩譲って僕が壽痲脯スマホに取り憑かれているとして、どうしたらいいのさ」


「そんなの簡単よ、そのスマホをしまって──ほら!」


 言って彼女は僕の腕を引っ張った。


「うわ、ちょっ」


「私と楽しくおしゃべりしながら一緒に帰りましょ! スマホを触らせる暇なんてないほど濃い時間にしてあげるわ!」


 半ば強引に連れ出された僕は、ノスタルジックな夕日が窓から差し込む廊下を彼女と駆けた。


 壽痲脯スマホという現代のモノノ怪に取り憑かれていた僕の除霊はそう簡単なものではないと思う。


 しかし時間はかかるかもしれないけれど、きっと委員長として誰よりもクラスメイトのことを考えてくれている彼女と一緒なら、それもどうにかなるような気がした僕だった。


 

 


 

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