第1話・アリスはうさぎを追って沼に落ちたようです①

「夢だったか?」

 ――いや、さっきまでメイという自称神と話してたし、付けた記憶がない腕時計もある。

 しかし、この“異世界”はどう見ても現実世界にしか見えない。

 ――転移、一つの場所から違う場所にテレポートすること。

「異世界はあの野郎の言葉遊び……か?」


 街に出ても自分と同じような人間、衣装も表情も何も自分のいた世界と何一つ違うところはない。

「嘘だよね……、どこなんだ、ここは」

 冬次はキョロキョロすると不審者に見えるだろうと思い、誰かに場所を聞こうと考えた。


 目標ターゲットは、ビジネスマンや学生の格好をする人間ではなく、ベンチに腰をかけてスマホをいじっている女性だ。

 彼女に近付きながら頭でかける話を練る。

「あの、すみま――」


 不意に、目が追ってしまう。

 一瞬だけだが、“現実世界”にとっては異質なものを目にしてしまったのだ。

 それを追う欲に操られ、道を聞こうとすることは忘却の彼方になった。



「なあに?」

 女性はスマホから顔を上げて不機嫌そうに聞く声に冬次はハッとした。

「す、すみません、やっぱりなんでもないです!」と言いながら走り出した。


 あれはなんだったのだろう? あの身長、あの四肢、あの長髪……、人間そのもののはずだ。

「さっきは確かにここに……」

 曲がって裏路地に追い込むが、人間どころかネズミ一匹もいない。冬次は首を傾げてしまう。

「あれ……? 気の所為だっ……」




 ドォン、と彼が一文を完成させる前に爆発音が轟いて全ての音と声をかき消してしまう。

 思わず狭い空を見上げる。

「なんだ……、それ?」

 煙の中で進撃する怪獣がいる。頭部の一部しか見えないが、深い緑で泥を被る、いや、泥のそのままの姿を持っている何かが進行している。


「ここは……現実世界じゃないのか?」

 ふとメイの言葉を思い出す。

 “異世界を危機ピンチから救って欲しい”――と。

「つまりここは異世界……あれを倒せと言うのか?」

 “チート級の能力”――。

「僕の能力って、なんだよっ」


 “ナビゲーション”。

 冬次は腕時計に向かって吠える。

「メイ、説明して! 能力ってなんなん……」


 崩れ落ちる。

 冬次の近くのビルが怪獣に破壊されて瓦礫が落ちて、反射的に腕で顔を守る。

「なんだ、こいつ……?」

 やっと視界がはっきり見えたので冬次は仰いだ。


 不規則な形をするのに緑色の泥が本体に集めて、周りの人間だろうと瓦礫だろうとなんだろうと全てを吸い込む。

「モンスターだ……」

 そしてそのモンスターは冬次に向かって移動している。近付いてきても冬次は見上げることしかできない。

 逃げろ、と心の中で叫んでも足は動かない。


 モンスターは触手のようなものを彼に伸ばして――。


「危ないっ!」

 どこから飛んできた人影はその触手に一蹴りを与えて、それが衝撃によって少し縮まった間に、人影は冬次に近付き彼を抱えて地面を蹴った。一瞬で起こったことだが冬次は人影の正体を見れた――。

 人間と変わらない容貌を持つ少女。そして。


 頭から生えた二つの、うさぎの耳だ。

「君は……、さっき裏路地に入った人なんだ」

「見られ、ましたか」

 少女はモンスターから離れているかと背後を確認すると、壁が剥がされたが形がまだ残っている建物に着けると冬次を降ろした。


「ああ……、助けてくれてありがとうございます」と礼儀よく頭を下げる。

「いえ、私の仕事です、か……ら……」

 少女は冬次をじっと見つめる。好奇心で冬次は彼女に聞く。

「どうしたの?」


「あの、もしっ、もしかして……、貴方様は……伝説の、勇者様ですかっ?」

「えっ、伝説の?」

「ままま間違えたら申し訳ありませんっ! でも、首には……、この印が」

「えっ」と冬次は驚いて首を確かめるように手を当てる。


 少女は自分のネックレスを取り冬次に見せた。銀色の太陽かと思わせる図案だ。少女は続ける。

「この印は神様が異世界から来てくださる勇者様に付ける印です。私達は先程のようなモンスターと戦うのはの仕事ですが、の仕事は世界を救う勇者様を探すことです。教えてください」


 少女は白くて長いうさ耳を動かす。冬次の手を掴んで彼に迫っていく。

「貴方様は、勇者様ですか?」

 あまりの近さで冬次は思わず顔を逸らす。

「う、うん……、そう言われた気がするよ……」

「気がする?」

「と、とにかく、信じがたい話かもしれないけど聞いてくれる?」


 少女は視線を彼から離さないように頷いた。

 冬次は元の世界にいたこと、メイと出会ったこと、能力のこと、そしてこの世界に来た間もないことを話した。


「つまり」と彼女はくいっと顔を一気に近づいてきた。

「貴方様は、勇者様で間違いないですね!」

「いや、でも、あのデカブツを倒せって言っても無理があるよ。僕は自分の“能力”がなんなのかもまだ分からないし」


「いえ、勇者様ならきっと私達よりも遥かに高い戦闘能力を持たれています」

「とう……、いやエース」

「はい?」

「いや、その……、勇者様って連呼されるとなんか恥ずかしいから、その名で呼んでくれないかな」

「ああ、すみません。勇者様にお目にかかったと興奮してしまいまして……。私はベネと申します。よろしくお願いします、エース様」


「様もやめて……、恥ずい」

「ゆ、勇者様に向かって呼び捨てなど私にはできません……」

「うぐっ……じゃあ君とかで。さんは語呂的によくないし。ちゃんもいやだね」

 台詞の後半から独り言になっている冬次を見て、ベネはクスッと笑った。


「な、なんだよ……」

「いえ、なんか、エース様が優しそうなお方で良かったです」

「だから様やめてって……」と冬次は頭を掻く。




 ドォン、と轟音が響き渡り二人を現実に引き戻した。

「ってよろしくお願いしますの場合じゃないか」

「そうですね」

「君は僕のことを知ってるだろう? なら力のことも……」

 だがベネは頭を横に振った。

「申し訳ありません。私には神様が貴方様に付与された能力のことは存じ上げません」


「こ、これじゃあ……」

「私の力ではあのモンスターを倒すどころか傷一つを付けることすらできないのでしょう」

「なっ……」

「一つだけ」

「一つだけ?」


 ベネは一瞬目を泳がせた。

「一つだけ、できることがあります。それは勇者様がここにいらっしゃることで成立します」

「なんだ、それは?」と冬次はベネの異変に気付かずに小首を傾げる。

「時間がないです。説明は後にしますが……」


 ぐっと、彼女が唾を呑んだ音が聞こえる。

「失礼します」

 冬次はその台詞の意味を考える時間も与えられずに、唇には柔らかいものが当ててきた。

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