第26話※※※波川桐恵※※※
神木副局長がパチリと指を鳴らすと、隊員たちが一斉に桐恵の方にもナイフや銃を構えて戦闘態勢に入った。部隊の攻撃が通報された対象から抵抗者に代わったので、未紗はこのまま抵抗しないでいれば攻撃されることはないからその間に作戦を考えようとしたのだが、あいにく桐恵はそういう持久戦がいささか――いや、かなり得意ではない。
桐恵は周囲を見渡し、静かに口元を一文字に結ぶ。その瞳は射るように鋭く暗く光っていた。
「やれるものなら――」
やってみな、と前方の隊員を正面から蹴り飛ばしあっという間に左右に二発撃ったかと思うと包囲を崩して瞬く間に駆け抜けた。そして近くのコンテナの上に登ると弾がなくなった自動小銃を投げ捨て、太ももに装備していたナイフで登ってくる選手を片っ端から落としていく。
「馬鹿野郎っ、何やってんだ。早く止めろ……っ」
胸倉を掴んで怒鳴り込む香取警部をものともせず、神木副局長は普段と変わらない物腰でやんわりと言う。
「それは出来ません。言ったでしょう、これは自動防衛機構なのです。選手が全員戦闘不能になるか、波川局長か佐々木さん……抵抗する者が戦闘不能にならない限りこの連鎖は止まりません」
「この欠陥システムが……っ」
壁を殴り香取警部は苛立たしげに吐き捨てる。しかしもう彼に出来る事は何もない。
隊員の数が多く徐々にコンテナに上がる選手も増えてしまう。未紗は何か方法はないかと考えていたが桐恵の後方から銃で狙いをつけている隊員を見つけ、居ても立っても居られず駆け寄ると、そのままドロップキックをおみまいしてしまった
「あ……」
反撃でもなくこれは明らかな攻撃行為である。当然、未紗の攻撃行為には排除すべしという敵意が存在する。周囲にいた何人かがそれに反応して未紗の方へと流れてきた。
「せっかくノーマークだったのに……っ」
慌てて逃げだした未紗は近くのコンテナに身を隠して周囲を警戒する。桐恵はまだコンテナの上で交戦していた。狭い場所だが近接戦闘は桐恵が一番得意とする分野だ。よどみなく次々と刺しては蹴り落とし切っては投げ落としを繰り返している。
「先輩っ」
未紗を追って典礼が走って来た。まだ何もしていない典礼は隊員の抵抗対象にはなっていないので追われることなくここまで来られたようだ。
「ここにいると危ないぞ、てんちゃん」
「隊長の危機を助けないなんて、部下失格ですから」
「言うようになったな」
麻酔銃ですけれど、と典礼は警察の携帯用小型拳銃ではなく戦闘用の全自動小銃を担いで来たようだ。
「晴夏はどうしている」
「晴夏さんは波川先生に呼ばれてあの周辺にいます。何もしなければ彼らも襲っては来ないので大丈夫だとは思いますが……。それにしても波川先生のあの戦闘能力……管理室で試合戦績データを見た時は俺の見間違いかと思いましたが、本当に
「その話をしている暇はない。もう彼らは私を捕まえるのではなく敵として認識しているから容赦なく襲ってくる」
彼らはいわば殺意の塊のようなものだ。理性などないに等しい。しかし、私のデータや意識だけでそこまでのものが作れるとは思えない。その時、私は思い出した。サザナミを再起動した時に感じた一瞬の殺意――あれはサザナミが打ち消した人々の殺意なのではないか。打ち消すと同時にその記録を蓄積していたのだとしたら膨大な量の殺意にも納得がいく。サザナミで戦闘行為を蓄積させた傍ら、その殺意もまたサザナミで蓄積していたのだ。それを、磁場を使って脳内に流し込むことで認識する事の出来ない殺意で満たされた人形が完成する。
「それに応戦するのであれば、てんちゃんも共犯になるぞ」
「上等です。先輩が死ぬと波川先生が悲しむし波川先生が死ぬと先輩が悲しむでしょう。俺は憧れた伝説の選手のそんな顔は見たくないんですよ。たぶん晴夏さんも同じでしょうね。だから波川先生のところにいるのだと思います。でも晴夏さんはオペレーターですし、そこまでの戦闘能力はなかったはずですが」
桐恵の方を見ると、何やら晴夏を説得しながら戦っているようだ。さすがにあの数を相手に一人では限界があるのだろう。
「ちょっと晴夏くん……、私を助けるという発想はないのかしら……っ。そろそろキツくなってきたから手を貸して欲しいのだけれどっ!」
「いやまだ大丈夫。桐恵ちゃんなら乗り切れる。頑張れ」
「無理だって言っているのよ。大丈夫よ、ちゃんとここから降りるから……!」
そういうと桐恵は自分の額に触れ一言、二言呟いた。
「えっ、ちょっと待って。早い、せめて降りた後に――ああああああああ」
桐恵がコンテナから飛び降り場違いな程の晴夏の哀れな絶叫が響き渡った。桐恵は下に転がる隊員達を緩衝材にして難なく着地する。そして再び取り囲まれたが先程とは違う迅速な動きで正確に相手を倒していった。
「あれは一体……」
驚いた表情で典礼が訊ねた。
「幸か不幸か晴夏がサポーターとして初めて配属された記念すべき選手の相手が桐恵だったんだ。桐恵の戦闘スタイルはあんな感じだし、高い所からの奇襲とかもよくやっていたからね。晴夏は即刻辞退を申し入れてオペレーターになったわけ。回線はその時の物が残っていたんだろう。一度回線登録すれば受信機を外さない限りは再接続が可能だから」
「なるほど。今回ばかりは晴夏さんに同情します……」
「じゃあその同情ついでに、晴夏の所へ行ってやってくれ。今はまだ大丈夫だろうが、いつ攻撃対象が変わるかもわからない。〈
「……わかりました。先輩も無理はしないでください」
そういうと典礼は敬礼して晴夏の所へ向かった。
「さてと」
コンテナの間は狭く刀が使えないので広い場所へ出るしかない。未紗は意を決して身を晒しコンテナ群とメインシステムの間にある空間へと向かった。何人かがそれに気がつき未紗を追ってくる。未紗はコンテナ群を抜けるとくるりと振り返り、小桜丸を構えた。しかし神木副局長の時とは違い、相手は義もないただの戦闘人形にすぎない。多勢に無勢、いくら相手の武器を払い飛ばし四肢を切りつけ無力化したところで限度がある。それに痛覚が切られているのか、多少手首や足の筋を切ったところで攻撃を止めないため結局は当て身や打撃で気絶させるなどしなくてはいけなくなる。さすがにこのままでは体力が持たない。
息が上がり始め、呼吸を整えようと一瞬動きを止めたのを見計らっていたのか、少し離れたところから銃撃を受けた。幸いにも腕を掠っただけで済んだが思わず膝をついてしまう。戦闘のペースが崩れた。そこを一気に隊員達が畳み掛けて来る。容赦のない攻撃に、自分の戦闘データを基にしているとはいえ未紗は複雑な気持ちになる。
「未紗っ!」
これは避けられないかもと怪我を覚悟した、目の端にライフル銃を構えた隊員の姿が映ったときだった。桐恵が寸でのところで未紗を抱えてコンテナ群の陰へと飛ぶ。
「痛っ……お、重――なんでもない」
起き上がろうにも両腕を押さえられているので、未紗は自分を助けてくれた桐恵を下から見上げる事しかできなかった。桐恵は未紗を見下ろして淡々と口を開く。
「未紗、どうして相手を殺さないの? 手足をもいでも生き残ればまた私達の敵になるわ。 彼らは首一つになっても戦うように設定されている人形と同じなの。一度命令を受けた以上止められない。殺してあげる事が慈悲なのよ。〈
「接続はしない。殺さなくても気絶させればすむ話だろう」
「それは本当に思っている事かしら。……私の人格が移っているならこの場合での最善がわかっているはずなのだけれど」
「……! 人格侵食、知っていたのか……っ!」
驚いて目を見張る未紗に桐恵は頷いた。
「えぇ。でも知ったのはつい先日。未紗の説得をしようと思って協会当時の資料を探していたの。そこの医療カルテ……診療録というのかしら、それに書いてあったわ。〈
「そこまでわかっているなら、どうして……」
理解できないという顔で未紗は首を振って桐恵を否定する。
「敵は殺すものよ、未紗。そうしないと貴方が死ぬわ。未紗は殺したくないと言っていたけれど、私は未紗を死なせたくないの。私の症状が悪化しても構わないわ。私の我が儘はこれが最後ね……」
「や、やめ……っ。これ以上の侵食は《
***
《未紗》が最期に聞いたのは桐恵の「ごめんね」という言葉だった。
未紗は自分の意識が、人格が、急激に侵食されていくのを頭の隅で眺めていた。知覚が共有されたという事は未紗の敵意や殺意も桐恵に伝わるということである。それが――それこそが未紗が最も危惧し恐れていたものだった。未紗は掠れる意識の底で静かに祈った。
桐恵――。
***
「管理者権限コード〇七一四。波川桐恵。強制接続――選手佐々木未紗・選手波川桐恵――承認。Wサポートシステム起動」
桐恵は未紗と額を合わせ〈
未紗は起き上がると、もう一つの刀である大天那も抜刀した。こちらの方が処理が早いのにどうして今まで使わなかったのだろう。そして桐恵と一緒に敵陣に飛び込むとまず目の前にいた敵の頭を刎ねる。胴体を蹴り倒すとその向こうからナイフを振り上げてきた敵の喉を切り裂いた。背後で誰かが倒れる音がするのは桐恵が周りの排除をしてくれているからだろう。未紗は敵の集団に突っ込むと小振りながらも縫うように二刀を翻し、一人目、二人目、と反射的にしかし確実に敵の急所を斬ってゆく。桐恵の方を見ると、彼女のその口元は緩やかな弧を描いていた。最後の一人を撃ち殺した後、桐恵は接続を一時停止にして未紗を振り返る。
「……未紗、これでわかったでしょう。やはりサザナミシステムは
桐恵の言葉は最後まで紡がれることはなかった。
「……〈
「未、紗……」
桐恵の声で意識を戻した未紗は、まず桐恵の身体がとても近くにある事を不思議に思った。そして自分の手を見た時、未紗は自分が何をしたのかを理解した。が、信じる事を脳が拒否する。しかし赤く染まった両手と桐恵を貫いた刀身が紛れもなく現実だと告げていた。
「き、桐恵……? ち、違うの、私……こんな事……! だって、私……わからなくて……でも、敵は殺さないといけなくて……! ごめん……なさい……! ごめんなさい……」
崩れ落ちた桐恵を抱いて、未紗はただごめんなさいと繰り返して泣いていた。そんな未紗の頬を桐恵は優しく撫でる、
「私はね……ただ
「もう喋らないで。すぐ救急車が来るから」
「ずっと気になっていた事があるの……。教えてくれるかしら……未紗の刀、鞘の色が薄紫色のなのは……どうして?」
「何でそんな事っ……今はどうでもいいじゃない。お願いだから静かにして……」
「聞くタイミングを逃していたから。教えてくれたら黙るわ……」
「――。私のもう一つ名前。色が入っているから」
「……そう。綺麗な名前ね」
「諱だから……本当は誰にも教えないの。これでいいかしら」
「えぇありがとう。……右眼のことも、こんなはずじゃなかった……ごめんね、未紗」
右眼に触れていた桐恵の手が力を失くして滑り落ちる。未紗はその手を掴みそっと握ると静かに呟いた。
「……桐恵がわざとやったってことぐらい知っていたわ。でもね桐恵。私は貴方を、
――一時停止解除。〈
※ ※ ※
以上、当時の証言及び映像音声データに基づいた記録である。
(筆者不明)
※ ※ ※
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