夏思いが咲く

蟬時雨あさぎ

傾奇者、二人

「あーあー、全くよぉ」


 江戸の傾奇者かぶきものが一人。癖毛をちょこんと結った髪の尻尾しっぽ揺らしつつ、男――弥次郎やじろうは大通りを闊歩していた。


「誰も彼も時化シケた面しやがってよぉ」


 元気にぴょこんと跳ねる癖っ毛と対照的に、不貞腐ふてくされた面持ちで呟く。はあぁ、と江戸っ子らしからぬ深い溜息を吐いては、愚痴を零した。


「ちったぁ空元気でも出しやがれってんだ。こうも暗くちゃ、気運も悪くなっちまう」


 お天道様もへそを曲げて、ここ数日は出てこない始末。すれ違う誰も彼もが大人子どもかかわららず、文字通りに暗澹あんたんたる面持ちで歩いていた。


仕方しゃあねぇサ。……イイ話の一つも聞かねェしよぉ」


 江戸の傾奇者かぶきものがもう一人。男勝りな江戸弁が様になる、喧嘩負けなしの女――珠緒たまお


「如何にもこうにも、皆、手前テメェのことで精一杯」


 この暗い世相には、元気が取り柄の彼女でさえ、例外なく顔を曇らせていた。その表情の暗さたるや。緩く着こなす鮮やかな江戸小紋が、心なしか色褪せて見えるぐらいである。


「どこもかしこも天手古舞テンテコマイさァ……」


 享保十八年、徳川吉宗とくがわよしむね公の治世。人々の心は、荒んでいた。


 畿内きない――山城国やましろのくに摂津国せっつのくに和泉国いづみのくにの辺りでは、飢饉ききんが勃発。将軍のお膝元である江戸では、謎の熱病が流行はやり、不安を煽る。

 気候は天の意のままに、人間は祈ることしか出来ない。熱病の治療法は判らず、ただただ医者は看取ることしか出来ない。


「んなこたーってんだ! だからこそ、こう、……」

「こう……何でイ。早ヨゥ言い」

「こう……一発ドドんと響くような、心に火を点けるような、大玉おおだまが必要なんじゃねえかってんだよ」


 弥次郎の言う大玉。それは、彼らが手ずから作る、天高く咲き誇る火の花のこと。どんな喧嘩も、どんな涙も、思わず見惚れて忘れてしまう夜空を彩る大輪の花。

 花火師はなびし

 夏の夜を華々しく彩る、花火を作る者。弥次郎と珠緒は、新米ながらも名のある花火師だった。


「まァ、必要は必要サ? ……だがなァ、折角の大玉を咲かせンなら大舞台を用意してやるべきだろ?」


 何か開催しないのかと言いたげに、隣から珠緒は弥次郎の顔を覗き込む。が、苦々しそうにただ唇を歪めてから彼はそっぽを向くとぽつりと呟いた。


「どの祭りも一様に、開催を見送るらしい」

「あんれマァ……」


 惚けた顔で返した珠緒。弥次郎は、つまらなさそうにケッと道端の石ころを蹴った。

 暗い世相の中で、真っ先に需要が減るのが大掛かりな娯楽――つまりは彼らの仕事、打ち上げ花火である。

 花火師の師匠は『仕事が無いってことは、試作品を作る時間や、設計や構想を練る時間があるってことよ』と前向きに考えていたが、もう大分だいぶ長く仕事をしていない。ということでろくに収入もない。


「まだまだひもじい生活が続きそうだ……っと」


 鍵屋として世間からの覚えがめでたいことから、様々な人からの助けがありなんとか生きていてはいける。しかし、やはり腕は揮わなければなまるもの。二人としても、もうそろそろ一仕事したいところである。


「待ちナ」


 急に立ち止まった珠緒に言われて、不思議そうにしつつも相方も立ち止まる。


「何だい、藪から棒に」

「オイオイ、忘れてやがったなァ!? ……師匠からの頼まれごとヨ」


 呆れたつつも珠緒がさっと視線を遣るは、蝋燭ろうそく問屋とんや。そこではた、と弥次郎も何故今こうして江戸の町を彷徨ついている理由を思い出した。


「そう言やぁ……蝋燭ろうそくが切れたんで買って来いっってたな」

「買い忘れたとあっては師匠が御冠おかんむりなのが目に見えてらァ。さっさと済ますに限るサ」


 蝋燭は贅沢品ではあるものの、花火師にとっては必需品の一つである。こうした必要経費が高いことも彼らの懐を寂しいものへとしている要因の一つだが、好きでやっている仕事である。致し方ない。

 暖簾をかき分け、中に入る。小上がりで問屋の主である喜多朗きたろうが上機嫌で奥方と話していた。


「――これで、当面は工面できるだろう」

「良かったわ……それにしても、おかみが買うて下さるなんてね」

「何でも、水神祭での灯篭流しに使うとか。背が低くて芯のしっかりした蝋燭を仕入れねば……忙しくなるぞ」


 弥次郎達に気が付くことなく、二人はそうして話し込む。

 鍵屋御用達の問屋、喜多屋きたや。良質な蝋燭を下ろしていることから、弥次郎達の師匠のそのまた師匠のそのまた師匠の代からお世話になっている問屋だ。それにしても、お上――つまり江戸幕府が一介の蝋燭問屋から蝋燭を買い上げるとは。


「よーぅ、喜多朗。その詳しい話、是非とも聞かせてもらえねぇかな?」

「げ……弥次郎に珠緒!? い、いつから……!?」

「さぁてな」


 その姿を確認するや否や、喜多朗が顔面蒼白となる。聞かせたくないことがある、その一点において弥次郎はにぃっと笑みが深くなった。対して、奥方は久々に見る二人の顔に朗らかに笑みを浮かべた。


「あら、お二人さんともお久しぶりです」

「これ、ふじ! 態々わざわざ相手にせんでええから……!!」

「黙りよし。お客さんえ」


 焦りを隠す様子もなく藤を止めにかかる喜多朗だが、奥方にかなう筈もなくすごすごと肩身を狭めて黙った。これは好機、と弥次郎と珠緒は目配せをしてから、奥方を狙って一気に畳みかける。


「お久しぶりです、奥方殿」

「奥方、お久しぶりです。お元気そうでなにより」

「弥次郎さんもえ具合にかぶいてはるし……ふふふ、相変わらず珠緒さんは粋でいらはるね」


 弥次郎への返答もおざなりに、奥方はほうっとした表情で珠緒を見た。


「またまた、奥方の口車には乗りませんヨ?」


 そう、何を隠そうこの奥方は珠緒の粋な生き様が気に入っているようで。これでもかというくらいの珠緒贔屓びいきなのである。それに付け込んで、珠緒は此処ぞとばかりに奥方の隣、小上がりに腰掛けて。


「それで……できれば、お話、聞かせちゃアいただけませんか?」

「っ……!」


 真っすぐに見つめて、一つにこりと微笑んでしまえば陥落である。


「……構いませんよね、喜多朗」

「ハ、イ」


 此方も此方で、有無を言わせぬ奥方の視線に陥落である。

 喜多朗はぐぬぬ、と恨めしそうな顔で珠緒を見るが、どこ吹く風の体である。弥次郎は弥次郎でにやにやとしたり顔をしながら、珠緒の隣に腰掛けた。


「それで……先程聞いてしまったンですが、――お上が買う、とはどういった意味合いで?」


 珠緒が尋ねる。と、少し声の調子を落としてから奥方はこう答えた。


「つい先日のことです。……近々隅田川で水神祭を催す、という話をお役人様が持っていらしたんです」

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