小鳥遊操の官能演習

水池亘

小鳥遊操の官能演習

 この世のものでないくらいの感触だった。ビーズクッションのように柔らかで、低反発まくらのように力強かった。俺は思わずつばを飲む。そしてほんの少し、両の掌に力を込めた。指が肉にゆっくりと食い込んでいく。不思議だった。眼の前にあるそれは物理的に見ればただの肉の塊で、例えば頬とか二の腕と何も変わらないはずなのに、その触り心地は全く別次元のものなのだ。生命の神秘を感じずにはいられない。

「んっ……」

 小鳥遊たかなしが小さく声を漏らした。反則だろう、それは。不覚にもちょっと可愛いとか思っちまったじゃねえか。

「もう止めるか? 演習は達成しただろ」

「何を言っていますの! やるならとことんまでやり抜かないと!」

 別にやり抜かなくてもいいと思う。とは言わない。彼女が真面目で真剣なことはよくよく理解していた。

「じゃあ、揉むぞ」

「はい、どんと来てください!」

 小鳥遊は生の胸をぐいと張り出す。

 あのさあ、もっとこう、ムードとか、なあ。

 呆れつつ、俺はぐっと十本の指を曲げた。そして数秒の間を開けて、力を緩める。それを数回繰り返した。

 悔しいが、正直、幸福感がある。

 ただ、それを小鳥遊に悟られることは嫌だった。なぜって、恥ずかしすぎる。

「もう十分だろ」

「いえ、まだです。次は乳首を……」

「ストップストップ! さすがに俺もそこまではできねえよ」

「そうですか……わかりました。これで演習達成ということにしましょう」

 少し残念そうな顔で言うと、俺から身を離し、傍らに置いたブラジャーを手に取った。

 はあ。少しは乙女らしい振る舞いをしないものかね。

 ため息を吐きながら、ふと彼女の顔を見る。

 耳が真っ赤に染まっていた。

 うーん、それも反則。


   *


 高校一年生の四月。入学式が終わればホームルームになる。そしてお決まりの自己紹介タイムだ。

「それじゃあ次、高城たかぎ

 呼ばれた俺は軽く返事をして立ち上がる。

「一中から来た高城たかぎ浩司こうじっす。趣味はギターで、軽音部に入る予定っす。よろしく」

 それだけ言って着席する。まあ、こんなもんだろ、自己紹介なんて。

「それじゃあ次、小鳥遊」

「はい」

 やけにはっきりとした返事と共に彼女は立ち上がった。俺は振り返ってその顔を見る。

 美人だった。

 それも、とびきりの。

 黒髪ロングのストレート。スッと切れた瞳。整った鼻筋に形の良い唇。肌は透明に近い色をしていた。

 さらに、奇妙なことだが、どことなく懐かしい感じがした。

 彼女はクラスの全員をゆっくりと見渡した。そして凛とした声で、こう言った。


「小鳥遊みさおと申します。エロスを探求することを生業としています」


 クラスの全員が固まった。担任も口をぽかんと開けている。

 そんなことおかまいなしに彼女は言葉を続ける。

「生物の三代欲求とは何かご存じですか? 食欲、睡眠欲、そして性欲です。食欲は体を生かすエネルギーを生成するために絶対的に必要なものです。睡眠欲は脳と体を休ませ健全な生活を送るために絶対的に必要なものです。性欲は自らの種を増やし繁栄をもたらすために絶対的に必要なものです。これらの欲を持たない生物というものは存在しません。たったひとつの例外を除いて。そう、それこそが人類です。もちろん、人間にも基本的には三つの欲が備わっています。食事をしない人はいませんし、眠らない人もいません。性欲に関しても、男性であれば定期的に精子を放出する必要がありますし、女性も月に一度は生理が訪れます。人間もまた生命体の一種なのですから、当然のことです。では、性交は? 本来性交とは子供を作るためにのものであるはずです。しかし皆さんご存じの通り、人間における性行為の大半は避妊具を併用して行われます。学校でも教育されますよね、コンドームだとか、避妊薬だとか。おかしいと思いませんか? 避妊するなんて種の本能に全く反しています。しかし実際、生涯子供を持たない方々もめずらしくありませんし、そもそも一度も性交をしないまま寿命を迎える方も、今後はどんどん増えていくはずです。いや、私はそれを問題視しているわけではありません。むしろ逆です。それこそが人間が他の生物と決定的に異なる点なのです。すなわち人間には本能を乗り越える意志の力がある。自然の摂理に逆らって自分の思い通りに生きる知能がある。それって、本当に奇跡的なことではありませんか! 人類に与えられた最大最高の特権、それこそがエロを自由に楽しむ心なのです!」

 一気呵成。そしてふっと息を吐いて、すとんと椅子に座った。

 それは、全くもって完璧な自己紹介だと言えた。

 彼女の嗜好も、性格も、ばっちりと皆に伝わったのだから。


   *


 『小鳥もサカる、タカナシブランド』

 このキャッチコピーを知らない奴はこの国にはいないだろう。特に、健康な男子高校生なら。


 株式会社タカナシは国内最大級の『性』関連商品開発・販売カンパニーだ。

 要はエログッズで儲けている会社ってわけだ。

 いや、馬鹿にしてはいけない。性に関係のあるものなら何でもござれ、手を広げたことごとくにおいてその品質の高さで市場を席巻し、今じゃそこらの一流企業なんて目じゃないくらいの年商を誇っている。

 たとえば本屋に行ったとする。ライトノベルのコーナーの端の方に、何だか少しピンクっぽい雰囲気の表紙が並ぶ一角があるはずだ。描かれた美少女たちも、普通より肌色が多めで。

 それらは全て『ジュブナイルポルノ』と呼ばれるジャンルの小説だ。特徴は、ちょっとどころではなくエッチなシーンがたくさん盛り込まれていること。年齢制限はないから小学生でも読める。

 その内一冊を手にとって裏表紙を見れば、そこには小さな鳥のシルエット・ロゴと共に『小鳥遊文庫』と書かれているだろう。

 小鳥遊文庫はタカナシブランドの中でも主力商品の一つで、ジュブナイルポルノ市場の実に八割強を占めている。そんなにも売れた理由は簡単で、とにかく内容のクオリティが高いのだ。ただ乱雑なエロで吊るだけの粗悪品では決してなく、笑ったり泣いたり、時には感動で手が震えるような作品もある。そして読了した者は必ずこう熱く語るのだ。

「あのエロシーンが最高だったんです!」


 株式会社タカナシの社訓は以下の通り。

『エロに甘えるな、そしてエロを最も愛せ』

 初代社長にして現会長・小鳥遊聖夜せいやの信念でもあるこの社訓は、何度もメディアに取り上げられている、タカナシブランドを象徴する名文句だ。


 ……という事実を知ったのは、俺が小鳥遊操と関わることになってからだ。俺はそもそも性関連には疎いのだ。

 察しの良い人ならもうわかっているだろう。

 そう。小鳥遊操は、小鳥遊聖夜の孫。株式会社タカナシの跡取り娘なのである。


   *


 ホームルームを終え、家に帰ると、玄関の前に黒いリムジンが停まっていた。何だこれは。邪魔だし、それに怖い。

「高城浩司様ですね?」

「ひゃっ!」

 背後から唐突に声をかけられて、思わず情けない声を上げてしまった。

 振り返るとそこには明らかに高級なタキシードを着た初老の男が立っていた。

「お嬢様がお呼びです。邸宅までお越しいただけませんでしょうか」

「……嫌です。てかお嬢様って、誰っすか」

「小鳥遊操お嬢様です」

 名前を聞いた瞬間、あの激烈な自己紹介が脳裏に蘇る。

「ますます嫌です」

「お頼み申し上げます。心ばかりの料理もご用意しておりますので」

「料理?」

「フランス料理のフルコースになります」

 俺はニ、三度瞬きをした。


 予想通り、豪邸だった。

 いや、予想を超えて豪邸だった。

 まず敷地が広い。広すぎる。端が見渡せないくらいだ。

 そしてもちろん家も馬鹿でかい。うちの十倍はあるんじゃないか、これ。

 俺は早くも来たことを後悔していた。俺には似つかわしくない場所すぎる。

 荘厳な玄関に待っていたのは、クラシックな姿のメイドだった。

「ご案内いたします」

 彼女に言われるまま、俺は足を踏み入れた。

 家の中がどれだけ豪華だとかは、言わなくてもいいだろう。大体ご想像の通りだ。

「こちらが操お嬢様の部屋となります」

 そう言ってメイドは黙った。

「……ここに、入れと?」

「その通りでございます。お嬢様の許可は得ておりますので」

「はあ」

 まさかいきなり自室に招かれるとは思わなかった。

 俺は首をぶんぶん振って、そして諦めたようにドアをノックした。

「どうぞ」

 甲高いその声に導かれるようにノブをひねり、ドアを押す。ふっと中から風が吹いたような気がした。


 そこは十畳ほどの、この家にしては狭い部屋だった。壁紙は淡いピンク色。普通の蛍光灯が照らす室内は一見、きちんと女性らしいものだった。どことなく良い香りもする。

 小鳥遊はベッドにちょこんと腰掛けていた。ガーリーな私服に着替えている。

 改めて見ても、とんでもない美人だ。

「ようこそ、高城さん」

「……何の用だ、初対面の俺に」

「初対面ではありませんわ」

 意外な発言が飛び出した。

「つまらない冗談だな」

「あんなに一緒に遊びましたのに」

「はあ?」

「あれは五歳のときでしたか。あなた、公園の砂場でいじめられていた女の子を助けましたよね?」

「……あったっけかな、そんなこと」

「あのときの女の子の風貌、覚えていませんの?」

 砂場、いじめ、女子……。

 その瞬間、脳裏にフラッシュバックする記憶。公園でいつも俺の後ろをちょこちょこ付いてきた女子。おかっぱ頭で、身なりの良い服を着ていて、たしか名前が……

「みさお!」

「思い出しましたか」

「言われてみれば面影あるわ。なるほどなあ、なるほど」

 俺の様子を見て、彼女は満足そうに頷いている。

「で、用事はそれだけか?」

「はい?」

「俺とあんたは幼なじみだった。それを伝えたかったと、そういうことだろ」

「それももちろんあります。ですが本題ではありません」

「本題?」

「ええ。これをご覧ください」

 そう言うと彼女は立ち上がり、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。



 小鳥遊家直伝 官能演習 初級編


 その一:異性と二人で半日出歩く

 その二:官能小説の読書感想文を書き、それを異性に読んでもらう

 その三:異性と性癖について語り合う

 その四:異性と大事な部分の肌を触れ合う

 その五:異性と一夜を共にする



「……何だ、これ」

「官能演習の項目ですわ」

「だからそれが何なんだって話だよ」

「お祖父様が定められたのですわ。タカナシ社を背負って立つ者はエロを実感する必要がある、そのために実施しなければならないのが官能演習です」

「頭が、おかしい」

「真面目な話なのですよ!」

「だからこそだよ」

「あなたには官能演習を手伝っていただきたいのです」

「話を進めようとするな」

 どうやら俺はわけのわからない世界に迷い込んでしまったらしい。さっさと脱出するに限る。

「帰らせてもらうぜ。フランス料理は惜しいけど、しかたねえ」

「待ってください」

「それじゃあな」

「こんなこと頼めるのはあなたしかいませんの!」

 彼女の口調には焦りが感じられた。真剣であることも伝わってきた。

「あなた以上に仲の良い男性なんていないのです!」

「……」

 仲が良い、か。

 そういや昔はいつも一緒だったな。「お嫁さんにしてください」とか言われたこともあったっけ。

 懐かしい記憶だ。

「頼みます! この限り!」

 小鳥遊は深く頭を下げる。

「……はあ、頭上げろよ」

 俺はため息を吐いて頭を掻いた。

「しかたねえなあ」

「では……!」

「付き合ってやるよ、官能演習とやらに」

「本当ですか!」

 彼女の表情がぱあっと明るくなる。

「ありがとう!」

 そして初めて笑顔を見せた。

 ……いきなり丁寧語じゃなくなるの、反則だろ。


 こうして俺は彼女の酔狂に巻き込まれることとなった。

 こういうとき、最終的に「しかたねえ」で納得してしまうところが、俺の悪いところであり、良いところでもあるのだと思う。

 あ、フランス料理はめちゃめちゃ美味かったです。


   *


【官能演習その一:異性と二人で半日出歩く】


 実行に移されたのは週末、晴れやかな日曜日だった。

「おはようございます」

「早すぎるわ」

 休日の午前八時とはイコール睡眠の時間なのである、本来は。

「では、行きますわよ」

「プランは決まってるのか?」

「ええ、それはもうバッチリ」

 言って彼女はスマホの画面を印籠のように掲げる。ディスプレイに映されたメモには今日の行動予定が時刻順に並んでいた。

「……これ全部こなすのか?」

「もちろんですわ。半日出歩かなければならないのですからね」

「はあ……」

 まあ、付き合うと決めた以上、嫌だとは言わないけども。


 まずは電車に乗って十五分、繁華街まで出る。

「車使えばいいんじゃねえのか」

「駄目に決まっています。今日は二人きりでというところが重要なのですから」

「はいはい、『官能演習』ね」

 とりあえずは朝食だ。彼女の案内で、雰囲気の良い喫茶店へ入る。

「ここはモーニングメニューが美味しいと評判ですのよ」

「へえ」

 運ばれてきたのは一見変哲のないトーストセット。しかし一口かじって、家の食パンとはまるで違うことに驚いた。

「美味えな、これ」

「でしょう」

 得意げな小鳥遊。そこまであんたの手柄でもないと思うぞ。

 ゆっくりと平らげ、コーヒーを飲んで、一時間。店を出ると強烈な陽射しが目に眩しい。

「次はどこだっけか」

「映画鑑賞ですわ」

「ほう」

 大きめのチェーン映画館は人で賑わっていた。朝早くからご苦労なことだ。俺も人のことは言えんが。

「何を観るんだ?」

「これです」

 彼女は指差したのは、男女が抱き合っている写真がドンと載ったポスター。あらすじを読むと、どうやら切ない系のラブストーリーらしい。

「おいこれ、濡れ場ありって書いてあるぞ」

「ええ、だから選んだのです」

「駄目だろ、選んじゃ」

「大丈夫です。R15指定ですから」

「そういう問題じゃねえんだよ」

「高城さん、うぶなのですね」

「はあ? そんなんじゃねえし」

 そこまで言うなら、観てやろうじゃねえか。


 観なけりゃ良かった。

 予想以上にどぎつい濡れ場シーンが多数あり、本来なら少しは嬉しいんだろうが小鳥遊が隣にいる状況では気恥ずかしいだけだ。俺も人並みの感性は持ち合わせている。

 とはいえ、彼女のほうを横目で見たら食い入るようにスクリーンを凝視していたので、いらぬ気遣いかもしれない。

「満足しましたわー!」

「そりゃ良かったね」

「高城さんは不満だったのですか?」

「いや、ストーリーは悪くねえと思うけどよ」

「ストーリーより濡れ場についてお聞かせ願えれば」

「何の罰ゲームだよ」

「官能演習なのですから、それくらいのことはこなさねば」

「あんただけでやってくれ」

「では昼食がてら、感想を語って差し上げましょう」

 ランチは行列のできる有名店だったが、彼女の話で味どころではなかった。だって「乳房に指を這わせる仕草が」とか「局部を映さずに観客に想起させる演出の手腕が」とか聞かされながら食べるんだぜ。味なんてするわけねえだろ。

「次は買い物ですわね」

「何を買うんだ?」

「ランジェリーです」

「は?」

「ランジェリーです」

「一人で買ってくれや」

「二人だからこそなのですよ、似合っているかどうか、あなたに聞かねばわからないではないですか」

「俺にランジェリー姿見せるつもりかよ」

「当然です」

 あたりまえのように彼女は言う。その態度に、こっちが逆に恥ずかしくなる。

 高級デパートに趣き、脇目も振らずランジェリーショップに直行する。その迷いのなさ、見習いたい気もする。

 ランジェリーとは女性用の下着の総称だ。つまりブラジャーとパンティーである(一体型のものもある)。それらがずらりと並んだ店内は、どう考えても男性が入ってはいけない空間だと思われるが、小鳥遊によればそうでもないらしい。

「カップルが来ることは普通にありますから」

「俺らはカップルじゃねえぞ」

「それはそれです」

 彼女がいろいろ手にとって眺めるのを俺はぼーっと眺めている。女性の買い物は時間が長いと聞いたことがあるが、それが本当だと身をもって知った。

 たっぷり時間をかけて数点のブラジャーを選んだ彼女は、試着室へと向かう。その後ろを諦めた俺が付いていく。

「着替えたら声を掛けますから、カーテンの隙間から首だけ入れて覗いてください」

「カーテン開ければいいだろ」

「それだとあなた以外の人に見られる可能性があります」

「別にいいんだろ、それくらい」

「良いわけないではないですか!」

「は?」

 急にふくれっ面になった彼女がさっと試着室へ入り、力強くカーテンを閉めた。どうして彼女が怒っているのか、俺にはさっぱりわからない。

「……どうぞ」

「はいはい」

 俺は試着室に首を突っ込む。そこには上半身のはだけた彼女の姿があった。ブラジャーだけを着用している。赤を基調としつつも緑の柄をアクセントに入れていて、センスの良さを感じさせるものだったが正直それどころではなかった。彼女の胸は平均より大きく、透き通った谷間に青白い血管が浮いていた。魅力的だな、などと不意に思ってしまって、俺は首を振った。いくら見た目が良くても、そこにいるのは小鳥遊操なのだ。

「似合っていますか?」

「へ? あ、ああ、正直よくわからねえ」

「そうですか……」

 少し残念そうな小鳥遊。

「でもまあ、可愛らしいとは思うぜ」

「そんな雑なフォローされても」

 不満げな顔で、それでも数点を試着して(もちろん全部見せられた)、最終的に一つを選んで購入した。目ん玉飛び出るような値段だったな。


 その後はデパートをいろいろ見て回り、彼女は服とかアクセサリーとかいくつか買っていた。俺はただ見ているだけ。こんな高級デパートで何かを買えるほどの金があるわけがない。

 それでも、夕食までにはまだ時間があった。

「誤算ですわ……どこか時間つぶしできる場所、知りませんか?」

「もう一回映画観るか?」

「そこまでの時間は余っていませんし」

「んじゃあ……」

 俺が知ってる時間つぶしの場所は、一つしかなかった。


 少し暗めの店内は、賑やかな雑音で満たされていた。あたり一面、ぴかぴかと光が舞っている。

「ゲーセンなんて来たことねえだろ」

「ええ、でも楽しそうですわ」

「順応早えな」

「私の取り柄の一つです」

 何をして遊ぶか少し迷ったが、結局カーレースゲームに落ち着いた。二人同時に遊べるところが良かった。初心者でもやることがわかりやすいし。

「テレビゲーム自体、初めて遊びますわ」

「マジか。どんだけお嬢様なんだよ」

「本当はエロゲーとか遊びたいのですけれど、親に止められていて」

「常識的なご両親で良かったわ」

「早く十八歳になりたいものですわ」

 レースは彼女の完勝だった。……下手なんだよ、俺。


 豪勢な夕食を済ませ(割り勘だったぞ、さすがに)、電車で地元に戻ってきた。時計を見たら午後八時。きっかり十二時間。確かに半日だ。うまいことできている。

「今日は楽しかったですわ」

「そりゃ良かった」

「心がこもってませんわね」

「そんなこと……あるかもしれねえが」

「もう!」

 そんな他愛のない会話をしてから俺たちは別れた(彼女は車で迎えが来ていた)。帰路、俺はこの一日を反芻する。映画見て、買い物して、食事して……。

 何だか、デートみてえだな。

 そう思った途端に恥ずかしくなって、俺は感情を殺して走り出した。


   *


【官能演習その二:官能小説の読書感想文を書き、それを異性に読んでもらう】


 放課後、小鳥遊の部屋で俺は本棚を眺めていた。よく見るとそこに並んでいるものは大半がジュブナイルポルノなのだった。女性らしい部屋の中、そこだけが異彩を放っている。この空間そのものが、まるで彼女の性格のようだ。

「できましたわ!」

 机に向かってしこしこと鉛筆を動かしていた小鳥遊が振り返って叫ぶ。そう、読書感想文だ。四百字詰め原稿用紙にして、一枚。それは俺が定めた枚数だった。彼女のことだ、書こうと思えばいくらでも書けるのだろうが、短くまとめる技術も必要だ云々と説得して一枚ということに落ち着いた。本音? もちろん、長い感想文なんて読みたくもない、だ。

「早速読んでください」

 彼女は原稿用紙を俺に突きつける。

「わかったわかった」

 さて、鬼が出るか蛇が出るか……。



 『変態魔王のハーレム講座』を読んで   小鳥遊操


 素晴らしい内容の作品である。魔王の変態っぷりが突き抜けている点が特に良い。自らは挿入せず、主に玩具を用いて女性を昇天へと導くことに心血を注ぐというキャラクター設定は類例がなく、発明ではないかと思う。

 ハーレムを構成する三人のメインヒロインには、はっきり言ってアンバランスさが感じ取れる。リース、カナンに対してコルトの扱いが良すぎるのだ。褐色ロリータという要素が作者の性癖に嵌ったのだと推測される。逆に言えば、欲望に正直だということであり、それだけ作者が本作に自らの魂を込めた証左ではなかろうか。

 ただ、これは非常に残念なことなのだが、私は本作で性的興奮を覚えなかった。こればかりは仕方がない。私に褐色ロリ属性はないのだ。



 うーん、鬼と蛇の合体キメラが出たかー。

「まさかここまで真面目に書いてくるとは……」

「私はエロに対してはいつだって真面目ですわ」

 彼女は胸を張る。胸を張るタイミングではないと思う。

「では、感想を教えてください」

 俺はしばし思案する。

「基本的には良く書けてると思うぜ。文章はちょっと硬いが達者だし、作品の長所と短所を短くわかりやすくまとめてる。ただ、疑問に思うところもあるな」

「どこでしょうか?」

「まず魔王のキャラ設定に類例がないと書いてるだろ? ほんとか?」

「ええ、私の知る限りですけれど……」

「そこだよ。ひと一人が知ってる情報なんてたかが知れてる。世間は広いんだ。類例がないと断定するのはちょっとな」

「なるほど……」

「それから『褐色ロリータという要素が作者の性癖に嵌った』って部分、これも疑問だな。証拠がない」

「だから推察だと書きました」

「推察としても最低限の根拠は必要だろ。この文章じゃあんたの空想の範疇を出てない。例えばよ、作者が『褐色ロリが一番読者にウケる』と思った可能性だってあるわけだ」

「ううむ……」

「重箱の隅をつつくようで悪いな。ま、これが俺の感想だ」

 何だか否定的になってしまった気がする。気を悪くしてなければいいが。いや、そこまで気を使わなくてもいい相手ではあるんだが……

「なるほど、なるほど、なるほどですわ」

 彼女の表情は、明るかった。

「やっぱり他人に読んでもらうと自分では気づかなかった視点を得られて有益ですわ。ありがとうございます」

「そりゃ良かった」

 満足してもらえたらしい。その事実に、ホッとしている自分に俺は気づいてしまう。いや、何かの間違いにきまっている。俺にお嬢様属性はないのだから。


   *


【官能演習その三:異性と性癖について語り合う】


 例によって彼女の部屋。

「さあ、たんと性癖を語り合いましょう!」

「地獄か」

「天国ですわ、昇天だけに!」

「何上手いこと言ったみたいな感じになってるんだよ」

「ではまずは私から」

「積極的だな、おい」

「多種多様なジュブナイルポルノを読んできた私ですが、性的にピンときたものにはある特徴があるのです」

「ほう」

「それは、ヒロインが一人しかいないということです」

「……それ、普通じゃねえのか」

「普通ではありません。ヒロインは二人以上出てくることが一般的です」

「一般の定義が狂う」

「そんな中あえてヒロインを一人に絞る、これはつまり純愛ジャンルということになります」

「まあそうだろうな」

「すなわち、私の性癖は純愛ものということですわ」

「えらく普通の結論だな。っていうか疑問なんだけどよ」

「何でしょうか」

「あんたが男性向けのジュブナイルポルノ読んで楽しいもんなの?」

「楽しいですわよ」

「興奮もするのか?」

「まあ、それなりには」

「そういうもんかね」

「ジュブナイルポルノ作家の中には女性も多く居るのですよ」

「へえ。それはすごいな」

「すごくはありません。普通のことです」

「普通……ね。そうかもしれねえな」

「はい、次は高城さんの番ですよ」

「それなんだけどよ……」

「?」

「いくら考えても、俺、性癖とか良くわからねえんだ」

「そんな馬鹿な。健康な男子高校生が」

「健康な男子高校生にもあんまりエロに興味ないやつだっているんだよ」

「それでは、抜くときはどうしているのですか?」

「抜くとか言うなよ、女子が……。まあ、適当にネットの動画とかで済ませるんだよ」

「女性の好みとか、少しはあるでしょう?」

「好み、ね。それもわからねえのが本音だが……」

「だが?」

「その黒髪ロングは、ちょっと可愛いと思うぜ」

「なっ、何を言うのですか!」

「いや、すまん、良くない冗談だった」

「冗談なのですか!」

「いや冗談じゃねえけど」

「どっちなのですか、もう」

「まあ、だから俺の性癖は黒髪ロングってことで、いいじゃねえか」

「もっとドロドロでグチャグチャな対話を期待していたのに……」

「そんなん期待しないでくれ」

「しかたないですわね。その三は保留ということにしましょう」

「さいですか」

「また今度、二人で語り合いましょうね」

 そう言って彼女は微笑んだ。


   *


【官能演習その四:異性と大事な部分の肌を触れ合う】


「……なあ、これやめにしねえか?」

 俺はおずおずと提案する。

「なぜですか」

「なぜって、正直洒落にならねえだろこれ」

「元々洒落などではありません」

「いや、そうじゃなくて……」

 俺は言いよどむ。

「私は官能演習をやりきらなければならないのです。お願いします」

「……まあ、付き合うって言っちまったしなあ」

 しばし宙を見上げ、そして彼女の瞳を見る。凛とした光が眩しかった。彼女に迷いはないのだろう。

「やるよ、やる。だが条件付けてもいいか」

「条件?」

「大事なところ、と言っても性器には触らないこと、だ」

「性器で良いではないですか」

「勘弁してくれ」

「……わかりました。それでは、私は乳房を触ってもらうことにしましょう」

「わかったよ」

 気は進まないけどな。

「俺のほうは、腹とかでいいか」

「ええ、結構です。なるべく下半身に近い部分を触りますわ」

 真面目な顔でそんなことを言う小鳥遊。ギャグではない。真剣なのだ、本当に。


 ……ということで、冒頭のシークエンスになるわけだ。

 もちろん女性の胸なんて初めて触ったが、ここまで心地良いものだとは思わなかった。抗えない本能的な快感。それは人によっては価値観を一変させてしまうほどに強烈なものなのだろう。俺は何とか踏みとどまっている。

「大丈夫か? 小鳥遊」

「何がですか?」

「いや……」

 さすがに気を使ってしまう。しかしもう今の彼女はケロッとした様子だ。特に恥ずかしがっている素振りもない。そういうところは、むしろ尊敬する。

「では、高城さん。お腹を触らせてください」

「はいはい」

 俺は服をめくる。腹筋が割れているわけではないが、客観的に見て、それなりに引き締まった腹だと思う。

「では、触ります」

「どうぞ」

 そして細い指が、俺の下腹部にぴとりと触れた。彼女は少し固まって、その後感触を確かめるように肌を指でなぞり始めた。

「ちょっとくすぐってえな」

「我慢してください」

 彼女の指は、ひどく美しい。その様は何だか幻想的で、夢のようにも見えた。だが腹を伝う実感は、まぎれもなく現実のものだ。

「もっと触りますね」

 彼女が掌全体を押し当てる。ひんやりと冷たい温度が、じわりと体に浸透する。彼女は手を動かさなかった。まるで妊婦のお腹に手を当てているみたいに、弱い力でじっと密着させていた。俺はそれをただ眺めていた。どことない心地良さを肌に感じていた。

 何分か経っただろうか。やがて彼女は手を離した。

「ふう。何だか不思議な体験でしたわ」

「確かにな」

「高城さんも、私の胸を触ってこんな気持ちになったのですね」

「俺はもっと違う感じだと思うが……」

「そうなのですか?」

「いや、何でもない」

 危ない、今のは明らかに藪蛇だった。


 それから俺たちはあまり会話もせずに別れた。しゃべくるような雰囲気ではなかったのだ。奇妙な空気だったな、あれは。


   *


 官能演習その五:異性と一夜を共にする


 寝間着の女性というものを、俺は初めて見た。薄い黄色に、可愛らしい猫のマークが散りばめられている。明らかに普段と違う雰囲気をまとっていて、一瞬、別人かと思った。

「さあ、共に寝ましょう!」

「やっぱり小鳥遊か……」

「どうして残念そうな顔をしているのです?」

「何でもねえよ」

 これから二人で、同じベッドで眠る。

 少しは緊張も感じていたが、それ以上に俺は安堵していた。なんと言っても俺たちには胸を触ったり触られたりした経験がある。それに比べたら、今回は間違いなく楽勝だ。ただ隣で寝ればいいだけなんだから。

 夜の十一時。寝るには早い時間ではあるが、彼女にとってはベストのタイミングらしい。すでに若干眠そうな目をしている。

 電気を消して、部屋の全体が薄暗くなる。

「それでは、お先にどうぞ」

「へいへい」

 俺はベッドに潜り込む。毛布がふんわりと暖かい。普段小鳥遊が寝ているベッドで……みたいな感慨は俺にはない。ないと言ったらないのだ。

「失礼します」

 彼女は一言断って、おずおずとベッドの中に入ってきた。セミダブルサイズのベッドだ、体が微妙に触れ合う。彼女の体温が伝わってきて、同時に何だか良い香りもした。

 感慨はない。ないと言ったらない。

 そう、さっさと寝てしまおう。それに限る。

 俺は目をぎゅっとつむって羊を数え始めた。

 一匹、二匹、三匹……。


 七九五匹、七九六匹、七九七匹……。

 寝れねえ。

 そもそも十一時に寝ようってのが間違いなんだ。全く眠くならない。

 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 そのときだった。

 ゴソ、ゴソと隣で動く気配がした。

 小鳥遊、寝てなかったのか?

 彼女の体温が遠のく。ベッドから出たらしい。トイレにでも行くのだろうか。

 しかしドアの音は聞こえないままだ。

「高城さん」

 小さな声で、小鳥遊が呼びかける。

 俺は返事をしなかった。

「高城さん、起きているのでしょう、高城さん」

「……何だよ」

 俺は起き上がって彼女を見た。


 彼女は何一つ身にまとっていなかった。


 俺は絶句する。先日胸は見たばかりだが、下半身までは当然見てはいない。それに、今彼女が素っ裸になるシチュエーションというものに理性がついていけなかった。

「ど、どうしたんだ、小鳥遊」

「高城さん、『一夜を共にする』ってどういう意味か、わかりますか」

「一緒に寝るってことだろ」

「違いますよ」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 ……俺だって、気づいていた。気づいていて、知らないふりをしていた。

 彼女にとって、一夜を共にするということは、すなわち性行為をするということなのだ。

「では、しましょうか、高城さん」

 言うやいなや、彼女は毛布をはぎ、ベッドに倒れ込み、俺の上にのしかかってきた。柔らかな感触が俺の前進を包む。良い香りが、ますます強くなっていた。

「やめろ、小鳥遊」

「やめません」

「やめろって言ってんだ!」

「どうしてですか!」

「だってあんた、泣いてるじゃねえか!」

「え?」

 彼女の右目から、つうっと涙が流れ落ちていた。

 俺は両腕に力を込め、彼女を丁寧に引き剥がす。そして彼女に声を掛けた。

「とりあえず、服着ろ」

「……」

 彼女は泣いている自分に呆然としているようだった。泣いていることに気づかなかったという事実そのものが、状況の異常さを示しているのだと思った。

 彼女は何も言わないまま服を着た。もう涙は止まっていた。

「今はとにかく、寝るぞ。話は明日だ」

「……はい」

 俺はベッドに入り直すと、目をぎゅっとつむって、羊を数え始めた。やや間があって、彼女の体が俺の側面に当たった。

 黙々と羊を数え続ける。

 眠気など微塵も感じなかったが、それでも俺は無理矢理眠った。


   *


 雨降りの音と共に俺は目覚めた。

 小鳥遊はまだ横でぐっすり眠りこけていた。その姿は普段と異なり無邪気さに溢れていた。可愛いと、これは素直に思った。

「小鳥遊、小鳥遊」

 起こすのは本意ではなかったが、しかし俺は彼女に訊かねばならないことがあった。

「……ふわあ」

 あくびをしながら、彼女は体を起こす。そして俺のほうをぼうっと見つめた。

「おはよう、ございます。高城さん」

「小鳥遊、教えてくれ」

「はい?」

「あんたの祖父は今どこにいる?」

「お祖父様ですか? 今はダイニングルームで朝食を取っていると思いますが……」

「ダイニングだな。どこにある?」

「……まさか、お祖父様に会う気ですか」

「ああ」

「やめてください!」

「どうして」

「どうしてもです!」

「ダイニングはこの間フランス料理を食べた場所だな。今から向かう」

 彼女は何か喚いていたが、俺はそれを無視して部屋を出た。

 俺の中には、明確な怒りがあった。

 彼女に対してではない。

 彼女にあんな馬鹿げた『官能演習』とやらを強要した、彼女の祖父に対してだ。

 一言言ってやらなければ、気が済まない。


 食堂の扉を力任せに開ける。

 そこには多数の人がいたが、祖父が誰なのかはすぐにわかった。明らかにオーラの異なる存在が、テーブルの端についていた。

 俺はつかつかと彼の元へ行く。とっさのことで、他の人達は完全に固まっていた。

「あんたが小鳥遊操の祖父か」

「……君は確か、操の恋人の」

「恋人? 何言ってるんだ。そんなことより今は官能演習の話だ。あんなものを一六歳の孫娘にけしかけるなんて、どうかしてるだろ! あいつ、泣いてたんだぞ! 馬鹿馬鹿しい決まりは即刻やめて……」

「ちょっとまっとくれ。官能演習とは何のことだ?」

「しらばっくれるな! あんたが決めたしきたりだろう!」

「いや、本当に知らんのだよ。官能演習? 初めて聞いた単語だ」

「……」

 嘘を言っているようには見えなかった。大体、ここで嘘をつく理由がない。

 迷っている俺は、唐突にぐいと体を掴まれた。

「何をやっているんだおまえ!」

「何だよ、離せよ」

 しかしもちろん離してはくれなかった。

 俺はそのまま屋敷の外へつまみ出された。傘すら渡されなかった。大降りの中、俺はうつむいて帰った。


   *


 家につくなり俺は布団で眠りこけた。寝不足だったのだ。それに気も張っていたのだろう。どっと疲れが出た、という感じだった。

 両親は買い物に出かけている。家にいるのは俺だけだった。

 ……ぼんやりとした夢の中、甲高いチャイムの音が聞こえる。

 ピンポン、ピンポン、ピンポン。

 うるさい、やめてくれ、うるさい。

「やめろっ!」

 叫んで俺は起きた。次の瞬間気づく。誰かが来たのだ。おそらく、宅急便かセールスかが。

 よほど居留守を使おうかと思ったが、チャイムが鳴り続けている。俺は腹を立てながらインターホンのカメラ画像を見た。

 小鳥遊操が、赤い傘をさして立っていた。


「ごめんなさい」

 会うなり彼女は頭を下げた。

「……とりあえず、入れよ」

「いえ、ここでかまいません」

「いいから。俺があんたを家に入れたいんだよ」

「……では」

 居間に案内し、テーブルを挟んで向かい合った。

「嘘ついてたんだな、小鳥遊」

「はい」

「官能演習なんて小鳥遊家にはなかった。全てあんたがでっち上げた、フェイクだったんだ」

「……ええ、その通りです」

「何でだ。何でそんな嘘を俺に吹き込んだ? 俺を巻き込んで、結局何がしたかったんだ? あの涙は何だったんだよ!」

 いま俺が抱いている感情は、怒りとは少し違っていた。落胆、という言葉が一番近い気がする。そう、俺はがっかりしていたのだ、小鳥遊操という存在に。

「答えてくれよ、小鳥遊」

「……だって」

「だって?」


「だって私、高城さんと一緒にデートしたり語り合ったりしたかったんですもの!」


「はあ?」

「でも高城さん、私のこと忘れてるみたいだし、それでも何とか付き合いたいし、こうするしか思いつかなかったんですよお!」

 それは……つまり。

「つまり、俺のことが好きだってことか?」

「鈍すぎるんですよお!」

 彼女は泣きそうな顔をしていたが、涙を流すわけではなかった。想いが止まらないという状況なのだろう。何だかそれは、美しい姿であるように思えた。

「じゃあ、泣いてたのは?」

「たぶん、高城さんと触れ合えるのが、嬉しくて」

 そんなことで泣くのか。乙女か。

 いや、彼女は最初から乙女だったのだ。俺が気づかなかっただけで。

「そうか……はあ」

 俺は長いため息を吐いた。落胆していた、今度は自分に。

「それでは、私はお暇します」

「帰るのか?」

「ええ。謝罪の意は伝えましたから。もう今後あなたにアプローチすることはありません」

 言って彼女は立ち上がる。そして玄関のほうへ向かおうとした。

「待てよ!」

 俺は思わず叫んだ。深く考えたわけではないから、それは素直な感情から出た言葉だと思う。

 振り返る彼女に向かって、こぼれるように俺は言う。


「官能演習はまだ終わってないだろ?」


 彼女の表情がみるみるうちに紅に染まる。

 そして小さな声で、「ありがと」と呟いた。


 反則だよ、反則。


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小鳥遊操の官能演習 水池亘 @mizuikewataru

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