STORIA 83
「都君のことが心配なのね、黎。私は他人のために尽くす心が無駄になることなんて、一つもないと想うの。受け止め方は人それぞれでも、真情は必ず伝わるはずよ」
言い淀む僕の胸中を察した母が、温情を露にする。
彼女を幻滅させたくないという虚栄心以外の感情が生まれている現実に、僕は気付き始めていた。
それが、親友を想う無欲な心だと信じたい。
今、釧路を去れば必ず後悔する。
「母さん、ごめん。気持ちは嬉しいけど、都の傍にいてやりたいんだ。何も力添え出来ないかも知れないし、都の伯母さんも良く想ってはいないみたいだけど……」
「黎なら、そう言うと想ったわ。いいわ、都君の傍にいてあげなさい。何も出来なくても、側にいるだけで充分な支えになることもあるのよ。あなた達の様な幼馴染みなら、尚更ね。ごめんね、黎。お母さん、あなたの気持ちを試してみたの。東京に帰ることを促せば、頷いてくれるかも知れないと想ったから。黎。一つだけ、約束して頂戴。連絡だけは定期的にするって。黎、あなたは責任感の強い子だから、全て抱え込む積もりだろうけど。もっと、私を頼りにしてもいいのよ。不安になりそうな時ほど寄り掛かって欲しいと想うのが、親心なの」
母はいつも僕の考えを優先してくれる。
都に申し訳ないと感じながらも、母の理解ある言葉に、彼女の元に生まれて来た至福を改めて実感している。
僕は母から受ける仁愛の心に深く頷いた。
病院に泊まり込むと言っていた都はその言葉通り、姿を現わすことはなかった。
病院側が止宿を許可するくらいだ。
都にとって、八尋さんが特別だという現実を改めて感じ取る。
恐らく都は仮睡もせずに、自分の伯父の傍に寄り添っていたのだろう。
不意に自身を恥ずかしく想った。
八尋さんの容態を意に介さないで、都や彼の伯母の言葉ばかりに囚われている心根を。
僕はなんて短慮な一面を持つ、人間なのだろうと。
手短かに朝食を済ませた後、固定電話が置かれた小棚から二つの冊子を取り出す。
「ここには、ないか……」
手にした電話帳を元に戻し、僕はそのまま三階へと向かった。
都と僕の居室の間に位置する納戸の扉を静かに開け放つ。
工具や日用品が両脇を充足する奥方向に、書籍の並ぶ一角が存在する。
その中の一冊を引き抜くと、軽く被った埃を指先で払った。
手にしたのは釧路の地図だ。
こんな処に仕舞い込んであるのは、使う必要性がなくなったからなのか。
僕は地図を開くと、目的地を探す。
都は確か、市立病院に行くと言っていたはずだ。
恐らく皆、市立釧路総合病院にいるのだろう。
ここは釧路町遠矢。
釧路市なら、車で走ればそう遠くはない距離だ。
待ち倦ねることに時間を費やすより、心忙しくしている方が幾らか楽に想えた。
銀花を一人残して赴くわけにもいかず、必然的に彼女も連れて行くことになる。
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