STORIA 82
「そう、伯父様が膵臓癌……。大変だったわね。でも、都君の伯母様がいて下さるなら、安心ね」
「うん……。ねえ、母さん。他人のために尽くすことは、無意味なことでしかないのかな」
「何か、あったの?」
「ごめん、何でもないよ。気にしないで」
他人の為に心を動かしていても、空費するだけの虚しい現実から救い出してくれる優しさを求めているのに、言葉を濁してしまう。
彼女は決して僕の不安を駆り立てたりはしないと、分かっているはずなのに。
都に同行の意を示したのは自身だからと、責任を背負い込もうとしていた。
親友という立場は時に残酷だ。
その与し易さが、逸脱した状況を生んでしまうこともある。
母が心良く見送ってくれた釧路の旅が、親友の死地になる可能性があるかも知れないなんて、言える筈もなかった。
「都君、心細いでしょうね。拠りどころの伯父様が体調を患ってしまって。実家じゃ、居辛いでしょうし」
「母さん、都のこと何か知ってる? その……、例えば家庭の事情だとか」
僕の切り出しに母は僅かな緘黙の後、控え目に言葉を零す。
「はっきりと確信してる訳じゃないんだけど。都君ってほら、ご両親と一緒にいる時は常に怯えた表情をしていたでしょう。伯父様が遠方から遊びにいらした時は、その顔色が見違える様に明るくなって。都君がまだまだ、幼い頃の話だけど。黎は覚えてないかも知れないわね」
母の心覚えに、僕は幼少期の都の姿を想起する。
幼稚園、小学生時代の都。
僕が知る、青年にも満たない無垢な彼の面影は、屈託のない笑顔で溢れている。
そこに彼の両親の姿はなく、向けられる笑みは僕だけのものだった。
「黎といる時の都君は、本当に楽しそうに見えたわ。まるで、真の兄弟みたいだったもの。都君にとって、黎はきっと一番の親友なのね」
恐らく母は、暁家の内情を正確に知り得ている。
その事実から彼女の慧眼の高さが窺えた。
気付いていながら容喙することも叶わず、これまでの刻を母は憂苦な想いで過ごして来たのだろうか。
優しい彼女のことだ。
都に対しても、実子への愛情と変わらない姿勢で接していた母の気持ちが、今となっては解る気がした。
「黎。東京に、私のところへ戻ってらっしゃい。だって、あなたは私のたった一人の大切な一人息子なんだもの」
受話器の向こう側から、無償の慈愛が柔らかに僕の耳へと届く。
幼い頃から知り尽くした母の声音。
都と距離を置くことは、抑圧から解放されると同時に築き上げた絆の斑消えを示していた。
彼を釧路に一人残し東京に戻っても、後顧の憂いはないと想えたなら、どれほどに良いだろう。
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