STORIA 72

手が届きそうなくらいに至近に佇む穢れのない白羽根を丹頂に、僕は想わず息を呑む。

その純白さは暗闇に紛れていても、断じて見劣りなどしない。

同じ空間に属しているのに、異世界を垣間見ているようだった。

彼等の存在感は儚げながらも圧倒的な美しさを誇る。




何れほどの時が経過していたのかは覚えていない。

都は華奢で繊細な生き物を刺激しないように呼気を静めて、僕は彼の想いが満たされるまで付き添っていたことだけは真実だ。

茂みに隠れていたためか、丹頂の群れが僕達の気配に反応することはなかった様に想う。

足元で待機するカメラに、何度か手を伸ばそうとする都の姿を目にしていた。

それでも撮りたい衝動を抑えて、彼はただひたすらに幻想美を記憶の中だけに留めていた。




訪れた道を帰路として同じ速度で辿る。

今もこうして彼の背を追っていられることに、僕はどこかで安堵を抱いている。

少しだけ首を傾げて上方向を仰ぐと、都の左肩に仄かに白く煌めく物を見付けた。

月明かりが齎す漏光による物なのだろうか、自ら光を解き放っているわけではなさそうだ。

僕はそっと眼を凝らし、都の肩へと指先を翳す。

その正体は、丹頂の翼羽だ。

触れるか否かという寸前のところで、この心を再び負の感情が覆った。

「黎?」

何かを感じ受けた都が、徐に振り返る。

「あ、ごめん。羽が付いていたから取ろうと……」

「何だ。じゃあ、取ってくれよ。後ろ、見えないし。丁度いい」

「いや、その……」

仄かな希望を与えてくれていた月が雲の影に隠れ、晦冥さが再び僕を不安へと陥れる。

彼に少しでも触れたのなら、どこかに消え入りそうな感覚が未だに拭えなくて、濁った未来が心を掠めている。

まるで児戯に類するかの様に伸びた僕の指先を、都は潔く払い退けた。




「俺が気付いていないとでも想っていたのか。何だよ、この間から針物にでも触るみたいな態度ばかりを取って」

願わくば気付かずにいてくれたならと、都合の良い感情だけを抱き続けてきた。

だけど、勘の鋭い都のことだ。

とうに僕の中に潜む隔意など見破られていたに違いない。

「黎。俺は、お前のそういう所が嫌いだ。人の傷みに触れないでいることが、想い遣りの至高とでも考えているんだろうけど。所詮、虚飾の優しさにしか過ぎないんだよ。お前って妙に善者ぶる癖があるよな。以前から、感じてた。それが、時として傷口に塩を塗ってる他にならないことを分かってるのか」

都の口元から堰を切った様に溢れ出す言葉は、僕をこれ以上ないくらいに苦しめた。

初めて聞かされる、都の自分への想い。

けれど、この心は偽善じゃない。

社会の中で無難な路を撰び抜き、生きて来た現実が彼にそう解釈させているのなら、決してそんなつもりではなかったのだと伝えたかった。








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