STORIA 66

それは、女性が恋焦がれる相手に見せる恥じらいを想起させるかも知れない。

原因を分かっていた僕は気付かれまいと、見え透いた嘘を言繕う。

「あ……、ごめん。料理中に軽い火傷をしてさ。まだ、触れると痛むんだよ」

ぐい、と都の腕が偽りを装う右手を掴んだ。

彼は黙ったまま指先に眼を遣ると溜め息を吐き、食後の感謝の言葉だけを残して立ち去ってしまった。




八尋さんは以来、度々寝込む姿を見せる様になる。

彼に代わって水仕事に従事する自分の現実も必然に想えてしまうほど、制動の効かない枠の中に身を潜めていた。

初心な笑顔で魅せる銀花の佇まいは僕を癒しへと導くこともあれば、時に傷付けた。

定刻に仕掛けた目覚ましの指針も役に立つことはなく、繰り返し、彼誰時には深く沈んだ瞼を起こす。

人気のないリビングで、文面を飽きるほどに読み潰した座右の書と供に過ごしながら、遠慮がちに覗く窓の外界から薄ら明かりが気配を露にし始めると、僕は朝食の支度に入る。

使う食材、仕上がりの品を変えても、完成に至るまでの作業は恒常的な物に想えて仕方がなかった。

身体を患っているわけではないのに意思は重く、辛気が拭えない。




暖炉に火が灯り、温かな食材を並べた卓子の周囲が人の気配で満たされる。

食事を終え、後片付けに入り、一日に終止符を打つ。

郊外へ訪れるわけでもなく、淡々と過ぎ行く光景は地上の寒さを実感させることはなかった。

約束された温もりの中、憶説の内側で見ている様な雪景色を捉えている。

時は駒送りを望めば速度を落とし、そうでなければ足速に駈けていく。

何かに近付く現実は受け入れ難い末路を目指しているとも言えた。




窓の外を眺めることが多くなっていた様に想う。

毎朝、カーテンを開け放つ際に少しだけ高く、片方の掌を鉤の辺りまで掲げる。

雲翳が多い空合いの袂で光を欲したいと願っていた。

雲を隔てた向こう側に、陽は確かに存在している。

天道は僅かな隙間を潜り抜けて地表へと達する。

悲哀に染まる結末を選らばなければならないなんて、誰が決めるのだろう。

選択肢は枝分かれしているのだと、木漏れ日の様に伝う幾つかの細い薄明かりが示している。

それでも、見事なからくりが施されていて、たった一つの行き先にしか辿り着けない運命なら、絶望と言うしか他になかった。




「お日様、ずっと見てないね」

振り返ると、銀花が傍らに立っていた。

朝食を摂りに三階から降りて来たのだろう。

目覚めたばかりなのか、彼女の長い髪が仄かな乱れを見せている。

僕は自然な仕草で彼女をリビングのテーブルへと導く。

いつもと変わらない日常が始まろうとしていた。

一ヶ月近くも一緒に過ごせば自ずと相手の趣向や好みも分かってくるもので、幼い少女の口元から要求が零れる以前に、ハッシュド・ポテトをメインとする油を若干多めに含んだ西洋料理を器に盛って差し出す。








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