STORIA 52
「そうか。とにかく、無事なら良かった。さあ、中へ入りなさい。外は、酷く寒かっただろう」
少女を二階の暖かなリビングへと招いた八尋さんは、調理場の奥で珈琲を淹れ始めていた。
都と共に訪れた釧路で新しい幕開けを迎えたばかりなのに、彼女を受け入れたことで、異なる別の扉も開かれようとしている。
都は想い描いている野望を叶えるため、少女はきっと自分自身と向き合い、在るべき場所に辿り着く日まで、この家に足を据えるつもりでいるのだろう。
僕は、どうしたいと願っているのか。
心の最深部に眠る想いを形にするなら、自分探しの旅と言えるかも知れない。
仄かな馨りの漂う珈琲を美味しそうに喉へと運ぶ少女の様子に安心感を抱いた僕は、同じようにカップを口元へと近付ける。
八尋さんは面倒見のいい人だ。
ここまで他人の為に親身になれる人間は、なかなかいないだろう。
「都。少し早いが、彼女を個室まで案内してやってくれ。今日はもう、身体を休ませた方がいい」
少女のために用意された居室の鍵を、八尋さんが都へと渡す。
彼の言葉に珍しく素直に従う都が、彼女を連れて三階へと向かう。
僕も着替えをするからと、彼等の後を追った。
都は三階の個室の扉に預かった鍵を差し込むと、右側へと半回転させる。
長い間、使用されていなかった影響か、滑りの悪く鈍い金属音が小さく掠った。
「どうして、鍵のある部屋なの?」
自分の居場所となる部屋の前で、少女が目を丸くして言う。
「何かあったら、困るだろ」
「何かって?」
「……」
都と彼女の遣り取りを横で聞いていた僕は、想わず笑みを零した。
少女は想像以上に純粋で無邪気なだけなのだと認識した現実が、不意に頬を緩ませている。
都は、彼女の天然とも言える言動に反応を示すことも忘れてしまっているようだ。
少女が室内に入ろうとした瞬間、彼女の長い髪が都の衣服をすかさず捕らえる。
鈕に絡み付いてしまったからだ。
「まったく。無造作に伸ばしているからだろ」
纏い付いた髪を煩わしげに解こうとする彼だが、上手く行かず、鈕を外し始めた。
「みやこ。それ、どうしたの」
少女の目に何かが映ったらしく、興味深そうに彼の胸元を覗き込んでいる。
髪を解くことに夢中だった都は、少し遅れてから彼女の視線を感知した。
「馬鹿、見るなよ。家出少女は早く寝ろ」
都は慌てて髪を自分の身体から離し、少女の背中を片手で押して、個室の扉を閉める。
数秒の隙も見せまいと、彼は乱れた胸元の打ち合わせ部分を整えた。
こんなこと、以前にもなかっただろうか。
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