STORIA 27
東京を離れるまでの三カ月半もの間を無駄に過ごしたくないと、日頃から言っていた都は、短期間契約でジムに通い始めていた。
僕は、都とは考え方が異なる。
特に、今回の様に大きなプランが待ち構えている時には、ゆっくりと心の準備をしながら、時を刻んでいけたらと願っている。
自宅のリビングで昼食を終えた僕は、庭先へと繋がるテラスに足を運んだ。
時間というものは、不可思議だ。
大気に溶け込む陽射しが仄かな残暑を連れて、僕を暖かな場所へと誘う。
宿る感情から不安に怯える物だけを、幻の様に取り除いていくんだ。
「郵便です」
図書館に借りた本を返しに行こうと玄関扉を開けたところで、配達員の姿が目に映った。
「ご苦労様です」
投函された郵便物を自宅のポストから取り出し、宛名に目を遣る。
僕に宛てた、封書らしい。
「金木犀ですか。この辺りも随分と秋めいてきましたね」
この時期では庭の主役にも相応しい、母が大切にしている金木犀を配達員が見上げて言う。
いつの間にか歩を進める四季の推移に、そうですねと、僕も伝う馨りに意識を傾ける。
時は、じきに晩秋を迎えるはずだ。
自室に戻り、封書に記された差出人を確認すると、退社した職場の名が印字されていた。
改めて届く様な書類はなかったはずだと、開封口に指をかけて、折り込まれた紙を取り出す。
中には、手書きによる文書と一枚の写真が同封されていた。
手書き文は、企画課の主任からだ。
そこには、想いやりに溢れた彼女の優しさが綴られている。
僕が手掛けたイベント売り場での来客の電飾に対する反応が好評だったこと、記念に写真を撮ったからと、店内を写した物まで送ってくれた。
あの日の言葉通り、主任は僕の訪問を待っていてくれたのだろう。
本来なら見ることの叶わなかった現実が、一枚の記録となって、確かにこの手の内に存在している。
「昼食の後片付けをしてくれたの、黎?」
郵便物を部屋に残して、一階へと降りてくると、リビングの奥から母の声が聴こえた。
彼女は嬉しそうに自分の身体からエプロンを外し、僕を見ている。
「うん。親孝行も、時には必要かなと想って」
そう言葉を露にすると、母の目元が少し淋しげに微笑む。
束の間に、北海道での長期滞在計画のことを、想い出させてしまったのかも知れない。
だけど、彼女は直ぐに普段の笑顔を取り戻す。
僕も母の些少の変化に気付いていながら、反応に揺り動かされない様に、毅然とした態度を装っていた。
都と共に長期に渡り、釧路の地で休息に入ることを母に告げた当日、躊躇う様子など一滴も見せずに、彼女は承諾をした。
心の淵では、彼女なりの想いがあったに違いない。
何かに縛られる生き方以上に、自由を推重する、母らしい選択だった。
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