STORIA 82
僕の心に僅かな光を齎せてくれた人。
描く度にあなたの残した言葉は何処かで僕の筆を握る、この指先に勇気として生きていた。
だけど既に今、彼は厳しい心を持つ蘭の兄以外の何者でもない。
妹を心配し、想い遣る彼の心は彼女から僕を遠避ける事だけを考える、僕にとって煩わしいだけの存在だ。
彼に勝手な言葉を弾き返す事が出来ても、僕は本気で彼には逆らえない。
淋しさを埋める為だったなんて理由を託けてみても実際、数人の女の子達と逢っていたのは隠し様のない事実だったし、全面的に僕が悪いのだと強く責められても仕方がないけれど。
それでも僕は僕なりの方法を選んだつもりだった。
どれ程、蘭に申し訳ないと想っても、僕はあの時の自分に出来る精一杯の想いで心を薄汚く染める孤独心から解放していただけなんだ。
そんな哀しい感情の縺れがあの人に分かる筈がない。
彼の存在が気に入らない。
僕と蘭、当人同士の繋がりに幾ら兄だからといって、どうして一方的に関与されなければいけなかったのか。
蘭が事実を知っていても彼女が一別抔、認める筈がないのだから。
僕は彼女じゃないと駄目なんだ。
蘭じゃないと……。
彼女との接点を易々と絶たれては僕は振り出しに戻るどころか、考えもつかない様な暗闇を再び這う現実に呑み込まれてしまうだけなんだ。
どうして僕から大切な人を奪ってしまおうとするんだ。
煩わしい。
蘭だって、今でも僕の事を必要としている筈だ。
彼にとって大切な妹を、他の女の処へ考えもなくふらつく僕の元には任せては置けないという兄としての気持ちが当然の物であるなら、彼はどうしてもっと早く言葉にしてくれなかったのだろうか。
そうだよ……。
二度目の再会の時、僕の絵画を拾い上げたあなたの声が、重く深みを増した物であった訳には既にこの事を胸の内に秘めていたからだったんだ。
知っていて、あの時想い止まったのなら、どうして今更僕に話を持ち出して来たりしたのだろう。
初めての出逢いの中、綺麗な物として彼の瞳に記憶されていた僕の絵画も、妹の存在を軽率に扱われたと悔やむ現実に、その心の内にはもうどの様に映っているのかさえ分からない。
同時に非道く幻滅を抱かせてしまったかも知れない。
蘭の兄が酷く煩わしい想いを焚き付けても、僕には絶対に手放したくない物がある。
どんな理由があろうと、捨て切る勇気の持てない物だ。
蘭、君の存在と僕がずっと筆に託し続けて来た心だ。
それらは一番自分らしさを取り戻せる、大切で必要不可欠な居場所だったから。
だけど、彼の様に優しい人物でも本来は意外な顔を持ってる物なんだ。
一つの要因がきっかけとなった弾みで、人は姿を裏返してしまう。
これだから感情の縺れを発生させる人の存在なんて物は嫌いだ。
僕はまた見境もなく、酷い感情を突発的に呼び起こしていた。
併し、その通りだ。
僕はずっと、独りで居る事は自分を守るという事なんだと、他の心に触れはせず、避ける様にその道を辿り、ここまで来たつもりだったのに。
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