STORIA 83
君の兄の出現だ、蘭。
でも、だからなのか。
君から全ての音が消えてしまったのは。
君を裏切った行動を事前に兄から聞かされていたから、僕に連絡をする気にもならなかった……?
君が僕の存在を迷うまでもなく断ち切ってしまっているなら、別れ話は彼が君に忠告を形にした時点で成立しているのも同然じゃないか。
僕に何を言う資格が残っていなくても、君との繋がりに今、終止符を打ってしまえる程に心は整理抔出来てはいないのに。
蘭の真実の気持ちを確かめるには、僕の方から連絡を取るしか方法はなかった。
だけど自分の起こした行動を想い返せば電話ではとても話せそうにもないし。きっと何を言っても彼女には言い訳としか想われないのだろうな。
となると、手紙か……。
僕は暫く頭を抱え込む様に考え尽してから、漸く陽が昇り始めた頃、ペンを握る気になっていた。
母との間に生じた先程の出来事もすっかり忘れて、今はただ一人の想い女性の為に心を動かし、時間を費やすだけの青年に戻っている。
心を渦巻く様々な想いをどう綴っていけばいいのか。
伝え様とする想いの軸が少しでもずれれば、手紙の内容がとんでもない方向へと進んでしまいそうだった。
落ち着いて考えよう。
僕が彼女に伝えたい気持ちは二つある筈だ。
一つ一つの言葉に深い想いを託し、その心に届く様にと願いを込め綴る。
精一杯の詫びの気持ちと、今でも君を変わらず想う心を。
そうして言葉の替わりに想いを敷き詰めた手紙は、僕の手元に完成した。
綴った文字は便箋五枚にも及ぶ。
自分の書いた内容を後悔する事のない様に、何度も読み返していた。
封書の外には敢えて自分の名は記さず、文末にそっと明記する。
心配性の君の兄が、またアメリカでも行って、君がこの手紙を目にする以前に彼の眼中に触れてしまわない為にね。
後日、蘭の兄が僕の処に再び現れる事はなかった。
その現実に僅かに不安になる。
蘭にとって僕は想像通り、終わった存在だったのかと。
「手紙、そろそろ着いた頃かな……」
僕は画材を抱えたもう片方の空き手で、自宅のメールボックスから昨日の到着分である郵便物を取り出し独り言の様に呟いた。
蘭。今、君は何を想ってる?
消え失せた過去に執着する想いはもうない?
それとも……。
今を感じる君の心が僕と同じ物であるならいい。
僕はずっとそう願ってるよ。
崩された望みの中にも今も猶、君の心を信じる自身を残して、今日も絵を描きに行くから。
今は余り悪い方に考えたくはないんだ。
まして僕を優しい心で想い続けて来てくれた君の事を、そんな風には想いたくない。
零れ始める朝陽が暖かく僕の躰を照らす。
その温もりに腕を伸ばし、背筋をピンと張る。
母もあれきり何も言っては来ないし。
きっとまた彼に夢中になっているんだ。
僕にも夢中になれる物がある。
閑かな現実に僕はもう少し心を無に戻したまま、色を生み出してくれる自分の指先が持つ可能性の虜になっていたいんだ。
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