STORIA 69

僕が中学生の頃からだろうか、こんな事が始まったのは。

紙幣に姿を変えた母の心が忙しい中、手間が省けて何より嫌いな子供の顔を見ずに済んで心が楽だと、囁く彼女の声が今にも聞こえて来る様だった。

僕は不愉快そうに表情を歪め、二枚の札を自分の手に収めた。

愛情も部屋の色さえも感じられない食卓に、母の冷酷さを僕は何度も想い知る。

彼女にしてみれば母親としての役割を充分に果たしていると言うだろう。

あなたはそういう人だ。

そんな習慣付いた生活に逆らう事もなく随分と長い時の中、従って来た。

彼女にぶつけたい真意は隠したままで。




母と同じ家に居ながら、意思の疎通もない空間で過ごしている。

廊下で擦れ違う時も他人の様に交わす言葉もなく、そばに居て嬉しい事も哀しい想いも打ち明けられない。

あなたの感情を聞くという事も出来ないんだ。

こんなにも僕に嫌悪を抱く母の心を咎める者が居ない。

長年の僕と母の間に生じた傷の根は僕が間違っているからなのか、母が間違っていたのか教えてくれる人は居ない。

僕達の暗く奥の深い生活は誰からも見えないんだ。

僕はこの家に住む事だけを許されているという事。

ただそれだけの事。




僕はあなたに母親としての感情が訪れる時を息を潜めて待っている、いつも。

あなたがテーブルに札を添える時には少なくともほんの数秒の間、僕の姿が過っているのだろう。

僕を想い出して、僕の為に心を働かせてくれているのだと少しでも信じたい。

彼女の指先が母親としての行動を起こさせる瞬間をこれから先、僕は一秒たりとも見逃したくはなかった。

彼女に願う気持ちが今も猶残っていた僕だけれど、そんな母に見え隠れする男性の影に僕は敢えて気付かない装いで居続けた。

彼女がそちらに夢中になっている間は、僕は心に直接傷を受けなくて済んだから。




僕はテーブルから受け取った千円札二枚で、外へと足を運ぶ。

最近はコンビニではなくファミレスへと向かう事が多くなっていた。

これだけの金額があればそれなりの食事が出来た。

改めて振り返ると、職を探し求めるという事から随分と掛け離れてしまった僕がここには居て。

だけどそれを理由に自宅に隠り続ける事は僕自身が何処かで許さず、心在る限り外の空気を求めている。

どんなに塞ぎ込んでしまいたい時も、僕は沈む感情を押し退け躰を起こしていた。

そんな事を続いていると、陽が暖かく躰を包む午後には自然と心が外側へ向いて行ったんだ。




「御一人様ですか? 喫煙席と禁煙席がございますが」

「禁煙で」

漸く着いたファミレスに入り、今日もまたいつもの座席へと足を運ぶ。

この店は蘭とよく来た想い出の場所でもあった。

彼女と一緒に座る事が最も多かった窓際の席に空きを探す。

僕にとって特別である席。

その場所が空いている限り、選び座る。

夕暮れの店内は既に薄暗く、窓にはブラインドが降ろされていた。

僕は何だか淋しくなって他の席に目を移す。








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