王殺しの罪
王都の内外から、いくつもの煙が上がっている。
しかし、都の民らには動揺の色はない。
あれらは炊煙なのだ。
この都を『解放』する革命軍の者たちへ、あるいは都の貧民たちへ、民らが自らの意志で食糧を分け与え、そして炊き出しを行っているのだという。
ウタク・カムイはその炊煙を王城の城壁から眺めていた。彼のその口元にはどこまでも優しい微笑。
――あぁ、これでこの国はようやく。
王都決戦。
史書の上ではそういう名称にでもなるのだろう。
だが、戦だと思っているものはもはや誰もいない。
王も、将も、貴族も、官も、民も。
もはや誰もが、これは戦ではないとわかっていた。
これはいわば医療だ。
生きるため、生かすために、腐敗した部分を取り除く。
そのための大手術なのだ。
ウタクはゆっくりと城壁の階段を降りて、場内へ向かう。
もはや兵も官もいない。皆、逃げ出してしまっているのだ。
……ウタクも、自分の腹心の部下らと兵たちには「もう自由にしてよい」と言い渡している。それでも、何名かはウタクの伴となることを望んだ。
けれど、今から行く道には誰にも伴を許さなかった。
……この血塗れの道には、私一人でいいのですから。
こつ、こつ、こつ。
足音が、無人の城内に響き渡る。
奥の郭にいる寵姫たちさえ、逃げ出して革命軍へ保護を乞うているという。
この城に留まっているのはウタクと、ほかにあと一人だけと言っていいだろう。
こつ、こつ、こつ。
ゆっくりと、天守の階段を登っていく。
本来ならば王その人にしか許されぬ場所。
この王都で一番高みであるところ。
王都を一望できるような孤独の場所に、愚かなる王は一人うずくまっていた。
「死にたくない……死にたくない……」
そうやって、無様にうずくまり天守の床を這う。
「陛下」
そんな王の元に、ウタクは短刀を放り投げる。
かつて奢侈を好んだこの王に下賜された刀は、床を滑っていき王の手元で止まった。
「陛下」
なるべく静かな声で、こう続ける。
「もしもあなたさまに、ほんの僅かばかりでも王としての矜持、あるいは己の行いを悔いる気持ちがあるのでしたら、ここで腹を切る時間はお与えいたしましょう」
静かで、冷たく、感情のない声で、ウタクは王に自害を進言した。
けれど――
「死にたくない……死にたくない……」
そう繰り返して、王は床を這って逃げ出そうとする。
あぁ、どうしてそんなにも生きたがるのか。
こちらはあの月の夜以来、早く楽になりたくて仕方がないというのに。
羨ましくなるぐらいに生にしがみついて。
ウタクは、刀を鞘から抜き払う。
けれど愚王はまるでそれが見えていないかのように、すがりつき泣きじゃくる。
「もう嫌だ……こんな、何も手に入らない世界など……もう」
「あぁ……最後まで、仕方のないお方だ……」
私の愛しいものすべて奪っておいて、まるで駄々っ子のように。
「今、楽にして差し上げます。陛下」
――そしてすぐに私もお供つかまつりましょう。
愚王に仕えた将軍ウタク・カムイは、刀を振り下ろしたのだった。
ぽた、ぽた、ぽたり。
そして刀を鞘に納めて『それ』を無造作に掴むと、来た道を戻る。
天守の急な階段を降りて、それから誰もいない王城の廊下。
しんと静かなその空間には、ウタクの足音と『それ』から滴り落ちる繰り返しの水音だけが響く。
ぽた、ぽた、ぽたり。
もうすぐ、もうすぐ全ては終わる。
そうしたら――
王城の内門を出て、城壁に上がる。
都の外に布陣する革命軍。その本陣にいる、革命軍の頭。
あの男が、いや、あの新しき王が、全てを終わらせてくれる。きっと。きっと。
ウタクが彼を見据えていると――突然、新しき王はこちらを見つめ返したのだ。
「……!」
彼は何かを叫び、馬を駆ってこちらに向かってくる。
「お主、早まりおったな!!」
「……そんなものは、私の勝手です」
そうだ、勝手にさせて欲しい。
まるで駄々っ子の理論だが、家族の仇ぐらい勝手に討つ。誰にも何にも言わせるつもりはない。
やがて、新王は城壁の階段を勢いよく駆け上り、ウタクのところまでやってきた。
「カムイ将軍……お主……!」
「新王におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
「これで、機嫌が麗しいわけがあるか!」
王となるべき男は、いきなり怒鳴りかかってきた。けれどそれは決して怒りや憎しみからの怒声ではない。彼は……こちらを誠実に案じているからこそ、感情を爆発させているのだ。
ウタク・カムイは跪き、そして『それ』を献上物のように丁寧に石床に置く。
「我が王の首でございます。これで、すべての官と将兵の命はお救いくださいますよう」
新王は、わずかに声を震わせながら、尋ねる。
「お主はどうするのだ。ウタク・カムイ」
「私は――」
そこで、ふっと空を見上げる。
風が優しく吹いている。
今日も、こんな日でも空は青く澄んで美しい。
あぁ、あの青空の向こうにあるところに、妹や両親はいるのだろう。
そう、きっとウタクの家族は毎日笑顔で幸せに暮らしているのだろう。
……だけど、こんなにも血に塗れてしまって、罪に汚れたウタクは、同じ世界には行けないのだ。
ウタクは刀を鞘ごと抜いた。
「……私は」
ぐっ、と刀を持つ手に力を込める。
そう、何も恐れることはない。
ただ家族に会えないだけ。家族の笑顔を見られないだけ。家族の幸せを分かち合え無いだけ。家族の温もりを味わえないだけ。
今までと同じだ。何も変わらない。
孤独な場所で、無限に苦しむだけなのだから。
「これにて、お暇いたします。王を手にかけた罪は贖わねばなりませんから」
そうして、愛用の刀を首に――
「
新王が咆哮する。
思わず、刀を持つ手が止まった。
彼は、こう続ける。
「そのような勝手、余が許さぬ! お主には最も重き罪を背負ってもらうのだ」
「……!」
ようやく追いついてきた彼の側近たちや兵たちがざわめいている。
「いち早く暇乞いなど許す余だと思ったか、ウタク・カムイ将軍」
そして、この国の玉座につくことになる男は、ウタクの刑を告げた。
「その罪を償うのであれば、自らの手で太平の世を築いて見せよ」
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