一番星に出会う
冷たい月夜の別離から、数年――
青年となったカムイ・ウタクは小高い丘から自らの領地を眺めていた。
吹き渡る風が黄金の稲穂を揺らし、活気ある村からは子供達の笑い声が聞こえてくる。
彼はあの日決意した。この世界を変えることを。
この世界では戦乱が終わること無く続き、国同士は常に争っている。力持つものは己の利のために戦を起こしては煽る。そしてそのために傷つき、疲れ、悲しむのはいつも弱きもの。……そう、ウタクの家族のような。
ウタクはこの世界を変えるため、ずっと戦ってきた。
志願兵として戦場に赴いて手柄を立て、武功を積み重ね続けた。それには『先生』に習った医術と『師匠』に習った武術と戦術が役に立ってくれた。やがて彼は将として認められたのだ。
そして、与えられた領地ではできうる限り善政を敷いた。
税を軽くし、領民の声をよく聞き、役人達はそれぞれの力が生かせるように――と。
そうした結果この領の軍は常に士気が高く、一騎当千とまで言われる精鋭揃いとなった。
けれど――
領地には収穫を祝う楽しげな声が響いているのに、ウタクの瞳には憂いの色が浮かんでいる。
これだけ手を尽くしてなお、世界は何も変わっていないのだから。
収穫をまともに祝える領はこの国では数えるぐらいしかないだろう。領境の向こうでは、今も人々の嘆きが渦巻いているのだ。
この国の王も、その側近も、堕落したまま。腐敗しきったまま。周辺諸国でも戦乱が続いていて、いまだ平和など絵空事に過ぎない。
『平和な世界なら……みんな、幸せだったのかな……』
妹の最期の言葉が、今もなおウタクの耳に残り続けている。
「そうですね、レッラ……きっと」
だけど、どうすればいいかなどわからない。
このまま果ての見えない泥海をもがいてあがき続けるしかないのだろうか。
軍人であるウタクが王都に召喚されるときは、大抵は良くないことがあったときだ。
またどこかに反逆者でも出たのだろうか。
そんな憂鬱なことを考えながら、心許せる同志ともいえる若き大臣の邸から王城を見る。
「……最近の王のご様子はどうなのですか」
「王の、というよりはその周辺の動きが活発だな。王の寵姫が何人か増えた。女を献上してご機嫌取りをしている連中がいる」
「……」
ウタクはこの親愛なる友人に聞こえないように『あの下衆どもめ』と、口の中だけで小さく呟く。
その女性達も、元々はあちこちの村で兵たちが略奪してきた存在。つまり、あの日の妹がたどっていたかも知れない運命の末路なのだ。
怒りから来る震えを必死で抑える。
手にした茶器からは、せっかくの薫り高い茶がこぼれてしまっていた。
「いつまで、続くのでしょうか。このようなことが」
「さて、な。わからぬ」
友人のあまりにもそっけない返事。
ウタクは思わず怒りの声をあげそうになるが、それより先に友が淡々と語り始めた。
「王は私たちの進言を聞き入れないのだ。それが変わることなど無いだろう。無いのだろう。……ウタク、お前もあまり目立つような事はしばらく控えた方がいい。もしも王の機嫌を損ねれば、私もお前を守り切れないだろう。どころか、私の身も、家さえも危ういのだ。……このようなことを友に言うのは、不本意なのだがな……」
それはあまりにも苦い声。
代々続いた名家の出で、大臣の地位を得ている彼ですら、王の機嫌を損ねたら身分を失うのだ。
もとから血縁も後ろ盾も無いウタクなど、将から外されればどうなるか――
「まだ、たどりつけていないのに」
絶望の声を絞り出す。
そう、まだたどりつけていない。
この腐敗した国は、いまだレッラが望んだ平和な世界になっていない。
それでも歩みを止めることなど出来ない。
ウタクは戦い続けることしか出来ない。
もう……それしか出来なくなっていたのだから。
……振るっていた刀が滑りそうになる。血だ。彼は、もうすでに返り血を浴びすぎていた。けれど、いつもこうして前線に出て戦う。それが彼のやり方だった。
ウタクは従者が差し出す布を受け取りながら、すっかり血まみれとなった自分の手を見つめる。
あぁ。こんなに汚れていては、愛する
そんな愚にもつかないことを考えて、首を振る。
妹が亡くなっていなかったら、ウタクはこんな戦いに身を投じていなかっただろう。こんなに血の中で苦悩することもなかっただろう。
彼女が生きていれば――こんな風に血にまみれて歩むことはなかったのだ。
とある辺境の村から始まったという反乱をおさめよという王命を受け、ウタクの軍は遠征を行った。
それは、最初はごくごく小さな反乱として見逃されそうになった。
だが、他の村もそれに呼応し徐々に力をつけてきているという。
最近では、周辺の領主達がその反乱軍に使者を送り込む動きが出始めている、とも。そうなればもはや国を揺るがす事態となるだろう。早急に対処しなければいけなかった。
ぽたり。
刃の先から血がしたたり落ちる。
どこまで歩めばいいのだろう。
この屍山血河を。
ぽたり。
またひとしずく、血がしたたり落ちる。
「いつまで」
その血も、ついさっきまで生きていた人間の血なのだ。
確かに生きて、考えて、思って、誰かを愛して、誰かに愛されていたであろう人間の血。
「いつまで、戦えばいいのだ……」
そのウタクの絶望の呟きに応えるものは――――いた。
「知れたこと、天下に平和をもたらすまでだ!!」
そんな咆吼が、戦場に響き渡る。
ウタクが顔を上げれば、視線の先にはあまりにもまばゆい……一番星のようなきらめく男がそこにいた。
「な……」
ぼさぼさの髪、汚れた顔。粗末な鎧。貧弱な馬。そして彼を守ろうと懸命な練度の低すぎる兵たち。
けれど一目みて、わかった。ウタクにはわかってしまった。
その男の瞳の奥底に瞬く星の輝き。
それを見て、彼こそが王と呼ぶにふさわしい存在だとわかってしまったのだ。
それぞれ軍勢を率いて、男とウタクは見つめ合う。
きっとこの男なら、言葉通りに平和をもたらすのだろう。この国に。そしてこの世界に!!
ウタクはそう確信しながら、弓兵部隊に攻撃を命じた。その後には騎馬部隊と槍兵部隊も控えている。
そうきっと、そういう男なら――この窮地とも言える盤面すらも見事に切り抜けてみせるのだろう。わかっているからこそ、手加減などしない。
……これが、反乱軍の首魁とウタク・カムイとの、最初の出会いだった。
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