虹戦記外伝「双子をめぐる人々」 episode 6

6 葉隠月葉



「まったく、困ったものだよ」

 箸を置いた父は、湯呑みのお茶を一口飲んで、ため息をついた。

「そうよねぇ。いくら何とかしてあげたいと思っても、他人が出来ることには限りがあるし。本人たちが望まなかったり迷惑だなんて思ったら、逆効果になるしね」



 教会の牧師一家である南条家の、ある日の夕食の食卓。 

 すでに食事を終えていた水穂と、牧師である父の邦夫は、教会の信者からもたらされた『ある情報』のことで、話し合っていた。

 母はキッチンですでに洗い物をしながら、上機嫌で鼻歌を歌っている。

 それは、米津玄師の新曲であった。



 ……賛美歌じゃないところが、牧師婦人らしくない!



 水穂は自分のことは棚に上げて、勝手に心で母を非難した。

 その二人の横で、未だに食事が終わっていない人物が約一名——

「お母上、おかわり」

 首は真っ直ぐ前を向いたまま、茶碗を持った月葉の腕だけがニュッと真横に突き出される。横にいた水穂は、スゥエイバックしてその攻撃をよける。

 毎度の事になっていたので、かなり反射神経がついた。

 実は月葉を預かった初日、水穂はこのパンチを見事に受けて、椅子ごと床に沈められていたのだ。

「あんた……よく食べるわねぇ」

 母が持ってきた山盛りのご飯を、またかきこみ出す。

「うむ。今日のサンマのヒラキは絶品だ」

 すでに、これで6杯目。



 ……まぁ、『腹が減ってはいくさができぬ』って言うし。

 月葉ちゃんは文字通り『いくさ』の日々だから、こんだけ食べるのも無理のないことなのかも。



 父の教会の信者の近所に、原田さんというお宅がある。

 そこには原田さん夫婦と、子どもが一人住んでいるのだが——

 虐待の疑いがある、というのだ。

 父の説明が続く。

「一応、この前児童相談所には通報したんだがね。家庭訪問は無視され、電話もつながらないそうだ。近所の人に聞いても、あまり出歩くのを見たことがない上に、近所付き合いもしない、って言うんだな。

 家の全部の窓にシャッターが取り付けられてて、中の様子も分からない。旦那さんのほうも出張だらけの仕事みたいで、中々つかまらないって」

 水穂はこういう時、無力感を感じる。

 この世の中で、問題を起こさずに他人のことに立ち入ろうとするのって難しい。

 公共機関だって役所仕事だから、どうしても動きも限界のある、歯がゆいものになる。その間にも、一体どんな悲劇が起こっているか分かったものではない。



「何とかすればいいんだな?」

 突然の月葉の言葉に、水穂と父・邦夫は、目を丸くした。

「ごちそうさま」

 手を合わせた月葉の前には、アニメで見るような、キレイで汚れもない食べた後の魚の骨。 



 ……器用なヤツ。



「あのね、これは剣で敵をブッ倒すような戦いとはわけが違うのよ。そこんとこ……お分かり?」

 水穂の問いかけもどこ吹く風で、月葉は剣を取って立ち上がった。

「それじゃ、食後の運動に、ちょっとその問題を解決にでも行くか。ここの教会にはずいぶん世話になってるしな」

 玄関にスタスタ向かう月葉。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよぅ! 何で今なのよう!」

 慌てて後を追う水穂。



 ……福山雅治の新ドラマ、見れないじゃないの!



 夜の閑静な住宅街。

「ここだな」

 水穂と月葉は、ある二階建ての一軒家の前に立った。

 門には、『原田 誠司・緑・紀美』の表札。

 噂どおり、窓という窓はシャッターで閉ざされている。だがほんの少し、明かりらしきものが漏れており、辛うじて人が生活していることがわかる。

 じゃ、水穂。作戦どおり行くぞ」



 ……え。やっぱり、マジでやるんだ?



「ハイハイ」

 あきらめた水穂は、玄関の前に立った。

 鞘に収まったままの、抜かない状態の刀を構えた月葉が、後ろに控えた。



「何べん言ったら分かるのぉっ」

 食器戸棚に背中からぶつかった長女の紀美は、とっさに両手で頭をかばった。

 衝撃で、開いた両開きの戸棚から皿とマグカップが落下し、嫌な音を立てて床に砕け散った。

 紀美はさきほどテーブルの角にぶつかった時に切った肘の傷口を、お腹のシャツの生地に擦り付けた。

 少量ではあったが、確実に赤い色を吸い取っていた。



 こんな時紀美は、泣いたり叫んだりしなかった。

 彼女がそうするには、理由が二つあった。

 一つは、余計なことをすればさらにひどい状況になることを、体験的に理解していたから。そして、二つ目。誰かにバレれば、ワタシはお母さんからどっかに離されてしまう。

 どんなにひどい目に遭わされても、年端のいかない紀美にとって、「お母さんはお母さん」だったのだ。



 いきなり、呼び鈴がなった。

 原田緑は、耳を疑った。



 ……こんな時間に児童相談所の職員が来るはずはない。

 夫は年末までは帰って来ない。とすると?



 とっさに、緑は物音を立てないようにし、無視してやり過ごそうと考えた。

「しっ」

 紀美にそう合図した緑は、ドアのそばで人の気配が消えるのを待った。



「やっぱり、向こうさんから出てきてくれる気配はないねぇ」

 月葉はフン、と鼻息をひとつついて



 心意六合ー



 大きく息を吸い込んだ月葉は、刀をつかんだ拳を突き出しす。そして目にも止まらぬ速さで引いていた反対側の腕を、反動で繰り出す。



 八卦雷曝掌



 ドアは、蝶つがいもろとも、埃をたてながらバタンと後ろに倒れた。

「あ、相変わらずムチャや……」

「後で弁償すればいいんだろう? それにしても、陰陽師の夏芽にこの技を習っておいてよかった。早速役にたったぞい」

 言い終わると同時に、姿勢を低くした月葉は、あっ気にとられていた中の女性、恐らくこの家の主婦であろう……に突進した。

 一体何が起こったのか理解する時間さえ与えられないまま、緑はリビングの床に倒れた。



「お嬢ちゃん、お母さんはちょっと気絶してるだけだから、心配ないよ」

 不安に怯える紀美に、月葉はそう声をかける。

 そして、気を失って仰向けに倒れている緑の顔の前にかがんだ。

「……本当に、うまく行くの?」

 ここまでやってしまった以上、家人が納得する結果を出して帰らないことには、大問題である。

 もう、後には引けない。

「水穂は、このお嬢ちゃんの相手でもしてやっててくれ」

 月葉は倒れている緑に顔を寄せ、自らの額を緑の額に重ね合わせた。

 そして、目を閉じて意識を集中させた。




 真っ暗だ。

 何も見えない。

 いや。誰かがいる。

 お母さん? お父さん?



 顔が真っ黒で判別できない二つの影は、恐ろしいスピードで緑に向かってくる。

 発育が遅い、とイライラしてた母。

 歩行も言葉も、近所の他の子どもと様子が違うことで、母をなじった父。



 ……つねったら、痛いよう。

 熱いよう。

 それって、タバコっていうんだよね。

 他のおうちの子も、悪いことしたらそんなお仕置きをされるものなの?



 寒いよう。

 お家に入れてよう。

 暗いよう。ここは……どこ?



 お父さん、痛いよう。

 そんなこと……おしっこが出なくなっちゃうよう。

 くすぐったい。

 何だか分かんないけど、気持ち悪いよう。



 もう、イヤ。

 自分の吐いたものを見るのも、血を見るのも——。



「なるほど」

 その声で緑は、背後に立つ人物に気付いた。

 着ている制服から、近所の高校生だと分かった。

 ただ不思議なのは、腰に下げている刀だ。

「あ、あんた誰よ。人の意識に土足で入り込んで——」

「……あんたは娘さんが嫌いなわけじゃない。愛し方がわからない、どう接していいか分からないからイライラする。そして、気がつけば自分がされたように我が子にもしてしまう自分に気付いて、自己嫌悪に陥る」

 緑は、顔を覆った。

「分かってるわよ! 言われなくても、そんなこと」

 月葉は、かがみこむ緑の前に立ちはだかった。

「あんたは悪い人なんじゃない。ただ、『弱い』だけだ」

 緑は、子どものように泣きじゃくった。大人であるというだけで、その姿は現在の彼女の娘『紀美』とそう大差なかった。

 なおも、月葉は言葉を続ける。

「子どもを虐待しているようで……実は 大嫌いな『自分自身』に必死で罰を与えているのだな」



 緑は思った。

 確かに、虐待していて楽しかったことも愉快に感じたこともない。

 なのに、なぜやるのか。



 ……私でない何かが、私を操っている。

 いつも、そうせざるを得ないように私は『追い込まれて』いる。



「だからといって、結果子どもを傷つけていることに同情はできない」

 月葉は、剣の柄に手をかけた。



 セイント・ソード



 光り輝く刀身が、緑の前に突きつけられた。

 緑は、涙に濡れた顔を上げた。

「な、何をするの?」

「……アンタに、あれが見えるか」

 月葉の指差す方向に目をやった緑は、目を疑った。

 誰かが、10メートルほど先からこちらへ歩いてくる。

 その姿には、見覚えがあった。

 見覚えがあるも何も——

「あれは……もしかして私?」



「そう。あれはアンタそのものだ」

 10メートルほど先もう一人の緑は、確かに頭のてっぺんからつま先まで、自分にウリ二つだった。ただその表情は、狂気に歪んでいた。

 自分の姿ながら、背筋に悪寒が走った。

「コイツはあんたの中の恨み、悲しみ、不安の集合体」

 月葉は緑を、突っ立ったままグヘヘと笑いを浮かべているもう一人の緑の前まで連れて歩いた。

 そして、セイント・ソードを緑の手に握らせた。

 月葉は尋ねた。

「正直に答えろ。あんた……今の自分から変りたいか? 今のままじゃいけない、と思っているか?」

 目の前の醜い自分を見た緑は、後悔した。

 こんな自分が、紀美の母親ヅラをして傷つけてきたのか!

「……変りたいよう」

 緑はうめいた。

「でも、本当に変れるかしら、私みたいな醜い人間が?」



 月葉は、緑に寄り添って、緑の手に自分の手を重ねた。

「……変れるさ」 

 慈愛に満ちた笑顔を浮かべて、月葉は緑を見つめた。

 そのために必要なのは、ただ勇気だけ」

 月葉は、剣を持たせた緑の手を両手で支え、力を込めた。

「目の前の自分を、この剣で切るんだ。私も手伝う」

 燃える瞳で、前方を見据える月葉。

「……ただし、痛いぞ。本当に自分が刃物で斬られたのと同じ痛みが、自分に降りかかってくるのを覚悟しろ。それでも、アンタは自分を変えたい。そうだな?」



 そう。私は変りたい。

 生まれ変わりたい。

 生まれ変わるには、一度死ななければならない。

 古い自分を、殺さなければならない。

 それで、紀美が救われるのなら。

 何よりそうすることで自分が何か大事なことをつかめるのなら——



 コックリとうなずいた緑は、月葉の瞳を見た。

 その瞳には、自分の全てを預け、ゆだねてもいいと思えるような輝きがあった。

 呼吸を合わせた二人は、地を蹴って緑の分身に刀身を振りかざした。



 ギャアアアアアアアァァァァァァァァァァァ



 目の前に血しぶきが上がるのが、最後に見えた。

 激痛を感じる一方で、鏡のように凪いだ心が思った事。


 

 ……ああ。私は死ぬんだ——。




「おかえりなさ~い」

 緑は目を覚ました。



 ……あれ? 私、生きてる?



 驚いたことに、ちらかっていたはずの部屋がきれいに掃除されている。

 そして娘の紀美は、どこの誰か分からない女の子とトランプをして遊んでいる。

 そのそばには、腰から剣を下げたさっきの古風な女子高生。

「アチャーッ、またババ引いたぁ!」

 水穂は、昔からトランプが苦手である。

「キャハハ お姉ちゃん、弱~い」

 緑の目の前の紀美は、こぼれる笑顔を見せていた。



 ……そう言えば、家で最後にこの子の笑顔見たの、いつだっけ。



 胸に熱いものがこみ上げて来た緑は、トランプ中の紀美を突然背中から抱きしめ、声を上げて泣き叫んだ。

 何が起こったのか分からずビックリしていた紀美だったが——

 母の姿に、何かを感じ取ったのだろう。母親と声を合わせて泣き出した。



「——うまくいったんだね」

 小声で呼びかけ、水穂は月葉のそばに駆け寄る。

「まぁ、解決できたんだしね! 弁償するドア代くらいは、父さんに大目に見てもらおっか!」

 水穂はそう言って振り返り、抱き合う母娘を眺めた。

「あのお母さん、まるで子どもみたいね」

「ああ、そうとも」

 月葉は、口元に微笑を浮かべながら言った。

「あの人は、新しく生まれ変わったのさ。だから、ある意味『新しく生まれた子ども』みたいなもんなのかもな」

 二人は、悲しくも美しい母子の姿をしばし見つめ続けた。



 母と子は、再生の涙を共に流し続けた。



  ~episode 7へ続く~

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