episode 2 クレア

「あなたは、決定に不服ですか」



 私は、ドアの向こうから聞こえてきた声に、思わず足を止めた。

 今日は、私の訓練の日だ。いつもなら神社で、ヴァイスリッター先生が「しごいてやる!」とでも言いたげな意地悪な目をして、手ぐすね引いて待っているのに。

 神社の敷地に、先生はいなかった。

 言葉は乱暴だし意地悪だけど、決まりごとや時間には厳格な人(人、じゃないか)だ。それが遅刻なんて、ただ事ではない気がする。ちょっとした胸騒ぎのようなものを感じた私は、アレッシア……かつての吉岡のおばさんの骨董品店のあったビルくらいしか居場所の心当たりがないので、もしかしたらとやってきた。

 古びた雑居ビル内のお店のドアは自動とかそんな洒落たものじゃなくて、ドアノブのついた開き扉。上半分は窓枠で、すりガラスなので中の様子は見えない。誰かいるかどうか確かめようとしてドアをノックしようとしたその瞬間、アレッシアの声がしたのだ。



「不服も何も……そういう問題じゃないだろ。あいつらずっと一緒に生きてきた双子なんだぜ。立場は違っても、同じに扱ってやるのが人情ってもんじゃないのかい?」

 やっぱり、ここにいたか。どうやら、アレッシアと何やら話し込んでいて遅刻したみたいだ。

 それにしても、私の訓練時間に間に合わずまだ話し込んでるなんて、どんだけ深刻な内容の話なんだろう?聞こえてきた言葉から察するに、どうも私とリリスのことで何か話しているみたいだ。

 この時の私は、そこでドアをノックして割り込むよりも、行儀悪いが「そのままちょっと立ち聞きしよう」という気になった。『魔がさした』って言うのかな?

 あとになって、この時立ち聞きをやめておけばその後の展開はもっと別のものになっていたのかも、とか思ったりした。でも結局それは時間だけの問題で、遅かれ早かれ同じような選択をしただろうなぁ、と思えばどっちでもよかったんだけど。



「長い間探し求めてきた王位継承者は、リリスでした。彼女の体にある炎の痣が何よりのしるしです」

 それを聞いて私は思いだした。小学校の高学年になる手前くらいまで、姉妹一緒にお風呂に入っていた。リリスの右肩の下あたりに、燃え盛っている炎のような形の痣があったことは知っている。

 肩の上のほうじゃないので、Tシャツやちょっと肩口の開いた服を着た程度では見えない。きわどいビキニタイプの水着でも着れば見えるだろうが、リリスはそんなものまず着ない。だから、リリスの痣のことを知る人はかなり少ない。



「お前さんが使命感の塊みたいなおカタいやつだってことは、長い付き合いで分かってはいたさ。でもな、クレアのやつを見てみろ。お前さんを慕う気持ちは、かなりのもんだぜ? もしかしたら、慕う気持ちの強さなら、お前さんが肩入れしているリリスよりも上かもしれない」

「そんなことはこの際どうでもよろしい」

 私はドア越しにドッキリした。吉岡のおばさんとして付き合って来て以来、はじめて聞くような冷たく厳しい声だった。口の達者なヴァイスリッター先生も、この言葉に押し黙ってしまったみたいだ。

「……私は命懸けで敵の手に落ちた炎羅国から逃げてきた。生きて逃げ恥をさらせたのも、いつかは王位継承者を一人前に育てて、擁立するため。虹の杖を使えるなら、黒の帝国から星を取り戻すことも夢ではありません。

 前王に炎羅国の今後を託された将軍の私としては、王となるのがリリスと分かった時点で、もうクレアに割いている時間はありません」

「ちっと待ってくれよ。でも、アイツはアイツなりにお前の役に立とうと、姉としてリリスを守ろうと……」

 いつもは私がキライなのかと思うほど厳しい先生が、これだけ私をかばってくれるなんて、何だか意外。でも、そんな有り難い気持ちも、現に話されている内容、そしてそれを話しているのが大好きなおばさん…アレッシアだという事実の前に、急速にしぼんでしまった。



「しかも、あなたも見たでしょう?『メギド・フレイム』という技を使った時のあの子の様子を。王家の、世継ぎ以外の兄弟に突発的に現れる『レッド・アイ』の血を受けた者が好戦的な傾向にあることは知っていましたが、まさかあれほどとは……」

「そ、そこはオレも否定しないが、そんなもんこれからの指導や教育でなんとかならないのか? 長年支え合ってきた双子を引き離すなんてしないで、一緒に戦わせてやることはできないもんかね?」

「まず、難しいでしょうね。魚に『水の中で生きるのをやめろ』と言うようなものです。例え万に一つ可能性があるとしても、そんなものに賭けているヒマは我々にありません」



 ……やっぱり今アレッシアが言ったように、私の中の「血に飢えた狂気」は理性や意思ではどうにもならないものなの?



 リリスが王位継承者だという事実は、頭じゃ理解したけど、正直気持ちがついて行かない。守ってやらなきゃいけなかった、あの病弱だったリリスが?



 ……私、じゃなく?



 それどころか私はかえって邪魔者? 王であるリリスのそばにいるには、たとえ姉でも「野蛮」すぎて危なっかしすぎて、置いておけないって?

 そりゃさ、自分でも怖かったよ。バジリスクをやっつけた時の、自分じゃない自分、みたいな感覚。認めたくないけど、敵の息の根を止めることが、瞬間的に最高の快感に感じられたのは事実だ。

 カエルの子はカエル。王位継承者じゃなくレッド・アイとして生まれた私は、どんなにもがいてもあがいても、血には逆らえないのかな? 自分の武器の刃先が常に血を吸っていないと満足できない戦闘人種なのかな?

 今まではちっともそんなことなかったのに。もしかしてレッド・アイとしての能力の目覚めと共に、本来の闘争本能も蘇っちゃったのかな?



「心苦しいですが、クレアには遅かれ早かれ真実を告げねばなりません。そして、リリスとは引き離さねばなりません。納得しないことも考えられますが、その時は私の手で……」

「私の手で、何?」

 私の中で、何かが弾けた。もう、隠れて聞いてなんかいられなかった。

 二人とも、呆気にとられてこちらを見ている。そりゃそうだろうな、まさか私が聞いているなんて思いもしなかっただろうから。

 って言うか、一番驚いているのは、絶対私のほうだよ。その昔中学生くらいの子がオリンピックに出てメダル取って、「今が人生で一番幸せです」って言ったのが話題になったらしいけど、今の私の心境はまさにそれと同じだ。たかだか十六年しか生きてないけど、それでも「この先長い未来が待っていようと、きっと今の瞬間がまだ来てないどの未来よりも悲しい」のだというおかしな自信があった。

 きっと、この悲しみよりも深い悲しみはない。過去にも未来にも。

 この絶望よりも、深い絶望はない。



「私を……殺すかもしれない、ってこと?」

 もう、こうなればオブラートに包んだようなものの言い方なんか要らない。自分自身に対してもアレッシアに対しても、気遣ったふるまいをするには心が壊れすぎた。

「そうしたくはありませんが、その必要が出ればもちろん」

 アレッシアは一瞬だけ躊躇の表情を見せたものの、すぐにいつもの堂々とした態度に戻った。それはアレッシアの決心が固く、信念からの決断ゆえに後ろめたさもほとんどない、ということの表れだろう。



 私には、何となく分かった。もう、吉岡のおばさんとして出会い、楽しかったあの時間は戻らないんだと。そして、私が大好きだったおばさんは、もういないんだと。

 お互い話せば分かるとか、あきらめないで食らいつけば妥協点が見出せる、という次元の話じゃもうないんだとも分かった。私の心は、急速に冷えていった。



 ……さようなら、私の中のおばさん。



 最後に、何か言葉をかけようとしても何も出て来なかった。

 私は、顔を伏せてドアを閉め、ビルをあとにした。

 走る気力もなかったのでゆっくり歩いたが、誰も追いかけてこない。私の心の中の甘えた部分が、ちょっとそれを期待したけれど、でもやっぱりこれでいいんだと思い直した。



 きっと私は、家を出る。私のことを知っている人が誰もいない場所へ。そのあとのことなど何も考えられないけど、きっとそうする。

 アレッシアと決別した今、もうリリスと平気な顔して接することはできない。どう頑張っても、それは不可避だ。私の心に巻きついた鎖が、それを許さない。

 ぴったりな言葉が見つからないが、その心の鎖を最大限分かりやすい言葉に言い直すなら、『プライド』だろう。



 人生は選択の連続だ、とよく言う。未来は選べると。選択こそ、人間に与えられた最大の特権である、と。

 でも、今私はとうていそれを信じる気分になれない。

 その理屈によると、今私はどちらをも選択できるはずなのだ。「家出する」「しない」の両方を。それは、あくまでも私自身の自由な選択責任であり、決められたものではない、と。

 でも、今ほど「この世界で起きていることは決まっている」という運命論が本当じゃないかと思ったことはない。私にはどう冷静になろうとしても、比較検討して「よりよい選択肢を選ぼう」としても、絶対に無理だ。

 選択の自由などない。私の内側では、この先のシナリオが決められているかのように、家を出ることが決まっていた。



 心が定まれば、その後の自分や周囲へ与える影響のことが心に浮かんでは消えていく。

 ずっと育ててくれた田中のパパとママのことが心苦しい。

 二人に不満はない。むしろ大好きで、ずっと家にいたい気持ちはある。

 でも、それ以上に私は自分という存在が背負ったものと戦いたい。そして、自分は自分であっていいし、自分という存在を誰にも否定される筋合いはないのだということを証明したい。そして、こんな私でも誰かの役に立てる、世の中の役に立てるということを証明したい。

 たとえそのために、大事な何かを失うことになったとしても。

 さようなら、リリス。あんたに恨みはないんだけど、行きがかり上こうなっちゃった。ホントは自分の口からお別れを言わなきゃだけど、きっとアレッシアがそれくらいはうまく代弁しておいてくれると思う。自分で言うと、ちゃんと言えるかどうか怪しいから、許してね。



 いつの間にか、もう日が傾きかけている。

 あてどもなく歩いている私の前に、不意に誰かが立ちふさがった。

「……ママ!」

「クレアちゃん、心配したのよ——」

 良枝ママだった。心配して探してた?一体なぜ?さっきの出来事は良枝ママが知るはずもなしー

 でも、今の私にはそんな疑問を突き詰める気力もなかった。ただ、溺れる者が藁をもつかむように、目の前に差し出された良枝ママという『慰め』に飛びついた。

「ひぃぃ、うぇえ、おうぅ…うわぁぁん」




 私は、ママの胸に飛び込んで、声を上げて泣いた。




  ~episode 3へ続く~

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