第ⅩⅥ話 悪神

 声が響くと同時に切り裂かれていた部分から空間が崩れていき、偽物の大黒と祐娜姫が塵と化した。


 そしてハクが放り出された場所は先程とは真逆の真っ白な空間。

 眩しく神々しいその場所には、白装束を着て長い髪を後ろで束ねている男が浮かんでいた。

 胡座をかいた姿勢のまま浮かんでいる男はハクを見下ろして再び言う。


「つまらん」


 言葉通り、男は心底退屈そうな顔をしていた。

 信心深い者が見れば思わず拝んでしまいたくなる程の神々しさを纏いながらも、その表情は期待して観に行った大作映画が全く面白くないと感じた人間と同じものであった。

 失望と憤慨、それとほんの少しの自省が混じった身勝手で俗物的な表情。


 ハクとしては勝手に連れてこられたのにも関わらず何故そんな顔で見られなければならないのか、と文句を言いたくなったが、それよりも優先すべき事柄について尋ねることにした。


「私と一緒に連れてこられた人間はまだここに来ていないのですか?」

「ふん、挨拶もなしとはな。人間も妖怪も年を取ると礼儀を失っていくのは変わらんか」

「挨拶をするような間柄でもないでしょう。それに礼儀がないなんて貴方にだけは言われたくありませんね。親であり悪神でもあった天逆毎あまのざこすら持て余すほどの荒くれ者。天界きっての悪童である貴方には」

「昔の話だ。今の俺様はあの時ほどやんちゃではない。それにあの時とて礼儀には厳しかったぞ? 俺様に偉そうな口をきく輩は全員叩き伏せた。いい年した奴らを一から躾けてやったのだ。それを考えれば悪童なんて呼ばれ方をするのは不本意だな」


 男、天魔雄神は素知らぬ顔で嘯いた。


「礼儀に厳しいと言うか貴方に対しての態度に厳しいだけでしょう。そんなことより私の質問に答えて下さい。あの人は無事なんですか」

「はっ、まだ身体も許してやってないあの男がそんなにも大切か。ますます惜しい、貴様が偽物に気が付かなければ面白い見世物になったであろうに。安心しろ、あの男ならば遠くないうちにここにたどり着く」


 天魔雄神の言葉に嘘は感じられず、ハクはホッと胸を撫で下ろす。

  

 大黒のことを信じていても、待つ身となったからには心配もする。

 十中八九大丈夫だろうと思っていても、残りの一、二割のことを考えると気が気でなくなる。

 しかしこの世界の主である天魔雄神が辿り着くと言ったのならば、大黒は百パーセントここに来る。


 そうして大黒の心配をする必要が無くなったハクは、大黒が来る前に自分の疑問を晴らしておこうと考えた。


「無事なら何よりです。でしたら今の間に聞きたいことがあるのですが……」

「待て待て、そう急ぐな。あの男がここに来たら貴様たちが聞きたいことは全て教えてやる。もののついでに聞きたくない事実も教えてやろう。今、貴様に何かを聞かれて後で男にも同じ質問をされたら面倒だ。だからそれまで待っていろ」

「……随分優しいのですね。それに趣味の悪さこそ変わらないものの三千年前比べて穏やかになっていますし、何か心境の変化でもありましたか?」

「何があったわけでもない。ただ長い生の間に欲望はほぼ叶えてしまったからな。自ずと落ち着きもするだろう」

「だったらそのまま天界で大人しくしていて貰いたいものですね……」


 ハクは辟易しながら溜息を零す。

 

「そうはいかん。傷を開くこととその傷を観ることは俺様の一番の趣味だからな。この欲望だけはいつまでも消えんのだ」

「……どこまでも傍迷惑な。ですが質問に全部答える、なんてサービスはいつの間に始めたのですか? 昔はここまで来てもひとしきり相手を弄んで外に逃がすだけだったでしょうに」

「ひひっ! それに関しては今回が初めてだ、ふひゅっ、ひひひひ」


 天魔雄神は手を大きく広げて上機嫌に笑う。

 悪意を煮詰めたような笑い声。それを見ていたハクは気味の悪さに身震いする。


「貴様たちは中々良かった。最近はどいつもこいつも軟弱で一つ目の関門さえ超えることが出来ない者ばかりだったが、貴様たちは実に楽しませてくれた。貴様たちに質問を許すのはその礼だ、見物料と言っても良い。貴様たちはそれくらいの働きはしてくれた」

「……………………」

「そう怪訝そうな顔をするな。俺様が嘘を吐いていないと貴様なら分かるだろう?」

「分かるからこそ不気味なんですよ、いっそ裏があって欲しいくらいです。『つまらん』と吐き捨てていたくせに、楽しませてくれたなんて」

「ああ、あれは貴様が悪いのだ。あそこまでお膳立てしてやったのにオチで台無しにするなど言語道断だ。だが、途中までは良かった。娘と再会した時の貴様の顔は額縁に飾りたいくらい見事なものだったぞ」

「怖気がする賛辞をありがとうございます。……ですがその程度で貴方が見物料を払うとも思えませんし、あの人がそれ程までに貴方好みだったのでしょうか」

「……ひゅっ、ひひっ」


 天魔雄神は笑う。

 背中を丸め、目を細め、可笑しくてたまらないといったように笑い続ける。

 その天魔雄神の様子を見て、ハクはまた大黒の安否が気になり始めていた。

 

  


 


 

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