第XIII話 慟哭

(分かっていました……、あの男は人が一番触れてほしくない所に嬉々として触れてくる。だから……私にはこうしてくる……)

 

 肉体は無いはずなのに心臓が破裂しそうな感覚に捉われる。

 冷静になろうと努めても動悸は激しさを増していく。

 この展開を予想していなかったらとうに意識を手放していた。


 それほどの苦しさを感じていてもハクが顔を上げたのは親としての責任感と罪悪感、それに加え大黒との約束のためだった。


「はっ……、はっ、はっ……」


 ハクは胸を抑えたまま膝立ちになる。


 そして、改めて祐娜姫を視界に入れた。

 祐娜姫の姿はハクと別れた時と一切変わっていない。顔も髪も服も全てあの頃のまま、ただハクを見る瞳だけは違う。

 ハクが最後に見た祐娜姫は泣いていた。泣いて、泣いて、全身でハクと離れたくないと叫んでいた。

 だが、今ハクの目の前にいる祐娜姫は――――


(…………あそこにいるあのは偽物、ですが本物のあの娘も生きていたらきっとあの目で私を見るのでしょうね。殺意だけの暗い瞳、娘を捨てた母親を見るのにあれほど適したものもありません)


 ハクは自嘲と後悔がい交ぜになった笑みを浮かべる。


 どれだけ睨まれようと、どれだけ胸を痛めようと、ハクがやることは変わらない。

 今、為すべきことを為すために立ち上がったハクは祐娜姫に近付いていく。

 

 足を止めないように頭の中を空っぽにしたまま歩き、祐娜姫の目の前にたどり着いたハクは目線を合わせるために再び膝立ちになる。


「…………、……、…………」


 しかし何と声をかけていいか分からず、口をモゴモゴと動かすだけとなってしまう。

 そんなハクに業を煮やしたのか、先に祐娜姫の方が言葉を発した。


「お久しゅうございます、かかさま

「……っ!」


 祐娜姫は視線を泳がせているハクの顔を両手で掴み、自分の顔の真正面に無理矢理固定させる。

 

「どうしたのですか、母様? 声も出さずにわたくしの顔を見て。まさか私を忘れたと仰るのですか? よく、よくご覧になって下さい。祐娜姫で御座います。母様が産んで下さった娘です。どうですか? 思い出して下さいましたか? …………母様、母様、母様! 母様!!」

「いっ……た……」


 顔に爪を立てられハクは痛みに呻く。


 祐娜姫はドロリと濁った目を見開いてハクを糾弾する。

 その感情の昂りに呼応して、ハクを掴む手にも力が込められていく。

 ハクはそれでも祐娜姫の手を払おうとしなかったが、祐娜姫が落ち着くことはなく、さらにハクを責め立てる。


「痛いですか? ええ、痛いでしょうね。ですが、私が受けた痛みはこの程度ではありません。あの日、母様が私を置いて何処いずこかへ去ってしまわれた日、あれから私の人生は痛みと苦しみしかありませんでした。母様が人間じゃなかったせいで……! 母様が、私を見捨てたせいで……!」

「………………」


 祐娜姫の慟哭を受けながら、ハクは祐娜姫の言う『あの日』のことを思い出していた。

 

 ハクが安倍泰成に正体を暴かれた日、ハクはかの陰陽師に懇願していた。


『人に仇をなす気はありません。だからどうか病床に伏している夫の傍に居させて下さい』と。  


 しかしその願いが聞き入れられることは無かった。

 それもそのはず、人に仇なさないというハクの言葉は真実であったが、鳥羽上皇が病に倒れたのはハクを狙った妖怪の手によるものだったからだ。

 いくら本人に害意がなくとも、ハクが近くにいることで周りになんらかの被害が及ぶのであれば同じこと。

 上皇を守る身として安倍泰成もハクの存在を許すわけにいかなかった。


 ハクも抵抗したが、稀代の陰陽師である安倍泰成には敵わず地を舐めさせられた。戦う前に夫の病気の原因が自分にあると知ったことも、敗北と無関係ではないだろう。


 そうして滅せられかけたハクだったが、その直前に祐娜姫の処遇を安倍泰成に尋ねた。

 自分が死ぬのはしょうがない。だが、まだ幼い娘はこれからどうなるのか。

 

 その問いに対する安倍泰成の答えは予想に違わず慈悲のないものだった。

 半分であろうと九尾の血が混じっている妖怪を上皇の傍に置いておけるはずがない。どこかに捨てたとしても、恨みを買って復讐に来られたらたまったものではない。だから、即刻始末する。


 安倍泰成の答えを聞いたハクは最後の力を振り絞って祐娜姫と一緒に外へ逃げ出した。

 


 

 


 



 


 

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