第三十六話 美貌
「おーい、大黒くーん」
「………………」
「大黒くーん?」
「………………」
「おーい」
「………………」
ハクが人間になる提案を出した日から数日、あれ以来大黒は考え込むことが増えた。
自宅でも学校でも、そしてバイト先であろうと気を抜けばいつもその事を考えてしまうようになった。
(ハクが人間に……ってどう考えてもハク本人にはデメリットの方が多いよなぁ……。寿命は縮まる、力はなくなる、だけど九尾の狐だったという事実は消えないから周りからは狙われるかもしれない。なにせハクの顔を知っている
「箒を持ったまま突っ立って動く気配のない大黒くーん?」
(そうなった時のことを考えればハクにも自衛出来るだけの力はあった方が良い。俺がいればもちろんハクを守り抜くけど、あるに越したことはない。そもそもハクを人間にって可能なのか? 藤がどうやって磨を人間にしたのか知らないけど、小豆洗いを人間にするのと九尾の狐を人間にするのとではわけが違うだろ)
「そうやってかれこれ一時間が経ちそうな大黒くーん、そろそろ給料に影響させちゃおうかなって思い始めてるんだけどー?」
(それにハクが人間になったとして霊力はどうなる。磨は妖怪が見える程度には霊力が残ってたみたいだけど、本当にその程度だったし。あれは元の霊力の問題なのか、人間になったら皆あれくらいになるのか、それとも個人差か……。人間が妖怪になった事例は結構あるけど、妖怪が人間になるなんて前例聞いたことないからまるで分からん。……あんま考えたくないけど藤を生かしとくべきだったのかもしれないなぁ。俺じゃ専門外すぎて下手の考えになってるし、結局堂々巡りだ)
「うーん、困ったなー。どうすれば目を覚ましてくれるんだろー……」
大黒のバイト先『万里古美術』の店長小日向万里は、考え込む大黒を動かすために話しかけたり、肩を叩いたり、目の前で手を振ったりしたが一向に大黒から反応が帰ってこない。
別段大黒にやってもらう仕事もないのだが、流石に店の中央でずっと立ち尽くされていては客が来た時に邪魔にしかならない。
なのでせめて端の方に動いてくれないものかと万里は思っているのだが、これ以上どう働きかければいいか分からず頭を悩ませていた。
そんな万里を見かねて万里古美術に住み着いている座敷わらし、小鉢が大黒に向けてファイティングポーズをとった。
「…………っ!」
「うぐぁっ!!」
小鉢が繰り出した小さな拳はちょうど小鉢の目の高さである大黒の股間にクリーンヒットし、大黒は苦悶の声を上げてその場に崩れ落ちた。
それにより大黒は意識を現実に戻すことが出来たが、小鉢が見えない万里は何が起こったのか分からず、急に
「ど、どうしたのー? 体調悪い? 救急車とか呼んだほうがいいのかしらー……」
「い、いえ、大丈夫です……。時間経てば治るものなので……。図々しいお願いをさせて貰えるなら、もう少しだけそんな感じで背中っていうか腰の方をさすって欲しいな、と……」
息も絶えだえになりながら、大黒は股間の回復を待つ。
そしてこんな暴挙に出た張本人である小鉢に目を向けると、小鉢は両手を腰に当てて得意げな笑みを浮かべていた。
(め、滅茶苦茶ドヤ顔をかましてくるなこいつ……、バイト中にボーッとしてた俺が悪いけど急所狙いは勘弁して欲しかった……。殴るのならせめて腹とかにしてくれよ)
「…………?」
大黒は視線で小鉢に抗議するも、その意味はいまいち伝わっておらず小鉢は首を傾げるだけだった。
その後万里の介抱もあり、ようやく立ち上がれるくらいに大黒が回復したちょうどその時、カランコロン、と来客を告げる鐘が店内に響き渡った。
「おや、すまない。取り込み中か?」
鐘の音と共に入ってきた女性は大黒たちの様子を見て、店の入口で立ち止まる。
長身、長髪、細身な体。
そうした部分を一瞥するだけでも、自分自身のメンテナンスを欠かしていないと分かるほど、その女性は綺麗だった。
顔も、髪も、体も、服装も、その他の細かい所も一つ残らず、その女性に綺麗でない所は存在しなかった。
わざとらしくないブランド物の服は女性の魅力をさらに引き立たせているし、女性が浮かべる
先天的に持っていたもの、後天的に身に付けたもの、そのどちらにおいても研鑽を積んできたからこその溢れ出す美貌。
そんな誰もが手放しで称賛するほどの美貌が、その女性にはあった。
(はー……、綺麗な人もいるもんだなぁ。テレビじゃ見たことないけど、どっかでモデルとかやってる人だったりするのか? それかマニッシュな格好してるし宝塚の人とか)
大黒は女性のあまりの美しさに、中腰のまま体勢を戻すことも忘れて見惚れてしまう。
しかし店長である万里は大黒が一人でも立てそうなことだけ確認すると、パッと女性のほうに向き直り、軽く会釈をして女性を店に迎え入れた。
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