第三十五話 寿命

「重々承知してるよ。ハクや純の心配を無下にはしない」

「なら良いんですけどね……。貴方は自分の体を顧みないところがあるので」

「そんなこともないけどなぁ。俺の優先順位のトップは自分だし。なんせ自分の体が万全じゃないとハクを守れない」

「私さえ万全なら貴方の助けなど必要にならないんですけどね。全く……、私の体が回復するのはいつになるやら……」


 ハクは未だに二本しか生えていない尻尾を左右に振ってため息をつく。


「確かに思ってたよりも遅いな。あれから二ヶ月も経ってるしちょうど尻尾二本分の霊力のままなんてことはないんだろうけど、実際どれくらい回復してるんだ?」

「そうですねぇ……。私も感覚でしか分からないのでおおよそになりますが、大体百分の一本分くらいかと」

「……あー、つまり一本回復するのに十年以上はかかるってことか?」

「あくまで凡そですけど、そうなりますね」

「途方も無いな」


 ギィ、と背もたれを軋ませながら大黒は嘆息する。


 二ヶ月で一本の百分の一。

 そうなると約十六年で残り七本の内の一本が回復する計算になる。

 つまり完全にハクが九尾の狐として元通りになるには、百十二年もの歳月が必要になってくる。


 当初の予定では、大黒は様々な手段でハクの霊力を吸い付くし、一生同棲という名の飼い殺しをするつもりであった。

 そのために殺生石の石箱以外にも多くの呪具をかき集めていたのだが、ハクが九尾に戻っても自分と居てくれるという確信がある今となってはハクを弱体化させておく理由がない。

 むしろ陰陽師や妖怪に不穏な動きが見られることもあって、ハクには力を取り戻してもらいたいという気持ちすらあった。

 万が一、ハクを残して自分が死んだ時にハクが自由に生きられるためにも。


「途方も無いとは言いますが、これでも回復は早いほうなんですよ? なにせこの部屋はこの私が二ヶ月間滞在していた部屋、しかも貴方が結界で霊力を抑留させているので一種の霊地と化しています。さすがに由緒正しい土地に比べると幾分見劣りしますが、外と比べると何倍も早く霊力が戻っているんです」

「俺の結界がハクにもプラスに働いてるのは嬉しい限りだけどさ、それでもやっぱり途方もない時間だって。ずっとこの部屋にいて今のペースで回復したとしてもハクが完全体になる前に俺の寿命が来そうだし。……………………なぁハク、ハクくらい長いこと生きてたらさ不老不死になれる方法について知ってたりしない?」

「……なんと言いますか、貴方は本当に俗物的なところを隠そうともしませんね」


 『名案が思いついた』といった様子で問いかけてきた大黒にハクは嘆かわしいと言いながら首を振る。


「いやいやだってさ、俺が不老不死にさえなればハクが力を取り戻すまでずっと一緒にいられるだろ? ていうかこれは九尾の狐と結婚しようと考え始めたときから望んでたことではあるんだ。せっかく九尾と結婚しても俺が人間の寿命のままだったら、蜜月はすぐに終わる。だからまあ不老不死とまでは言わなくとも、寿命を倍……三倍くらいにはしときたいなーって」

「欲張りですねぇ……。陰陽師なんですから普通の人間よりはよっぽど長く生きられるでしょうに」


 ハクは呆れ顔になりながらお茶で喉を潤す。


 ハクの言うように陰陽師になれる人間は普通よりも霊力が高く、その分平均寿命も長くなっている。

 大体一般人よりも二十歳から三十歳程寿命が長く、老いる速度も随分遅い。

 そしてその陰陽師の中でも霊力が高い方の大黒は、それよりも更に長く生きられる。


 だが、本来のハクはそんな大黒とも比べられない霊力を持っている。殺されさえしなければ寿命のみで千年の時を生きることも可能だろう。

 どうあがいても所詮人間である大黒ではたどり着けない領域だ。


 だからこそ大黒は長寿を求める。ほんの少しでも永く、ハクと共に生きるために。


「長いって言ってもあくまで普通の人間と比べて、だろ? ハクと一緒に生きるには全然足りない。とにかく寿命と寿命の分生きていけるだけの金、それらを労せず手に入れたい」

「いっそ清々しいほどの下衆な発言ですね。貴方が権力者だったらさぞ悪徳を働いたことでしょう。……もし私が本当に不老不死に心当たりがあったとして、それが他人を害することでしか手に入らないものだったらどうするんですか。それでも貴方は自分の利益のみを追求するんですか?」

「んー、俺は正直自分の周り以外に関しては心底どうでもいいと思ってるからなー……」


 大黒は少しの間、口を引き結んで考え込む。


「…………その方法が無差別の他人を巻き込むものじゃないなら俺はやる。俺やハク、それに純や委員長を殺しに来る奴とかの命だったら、何の躊躇いもなく俺の糧にする。けど、そんな使い勝手のいい不老不死なんてあるわけないよなぁ……」

「よく分かってるじゃないですか。大きな力を得るには大きな代償がいる。その代償は貴方が払おうと思えるものではないでしょう」

「そうなんだろうな。ていうか半ば冗談で言ったんだけど、ハクって本当に不老不死になれる方法知ってたりするのか?」

「知りませんよ。私が知っているのは不老不死を求めた者の悲惨な末路だけです。私は貴方にまでああなって欲しくありません」


 そう言ってハクは悲しそうに目を伏せる。


 富と名声を手に入れた時の権力者が最後に求めるのは永遠の命。それはどの時代、どの国においてもあまり変わらない。

 望む望まざるに関わらず国の中枢に居座ることの多かったハクは、不老不死を求めて失敗する権力者の姿も数多く見てきた。


「……ハクにそこまで言われたら俺も無茶するわけにはいかないな。寿命のことは今は考えないようにするよ。まあ俺は妖怪化出来るわけだし、寿命が妖怪並みになってる可能性もなくはない。だからそれよりもまずは妖怪や陰陽師に殺されないようにする方が大事かもしれないな」

「それはそうですね。外出時はくれぐれも気を付けて下さいね? ……知らない所で貴方が死んでいるなんて私は嫌ですから」

「ハク……!」


 大黒の体を案じたハクの発言に大黒は感極まってハクに抱きつこうとする。

 しかしハクが空になったコップを持って椅子から立ち上がってしまったため、大黒の抱擁は空振りに終わってしまう。


「……ハクは肉体的スキンシップにもう少し寛容になってもいいと思う」

「貴方の過度なスキンシップに付き合ってたら私の体が持ちそうにないので」


 大黒に冷たく言葉を投げかけ、ハクはキッチンに向かっていく。

 その途中で一度立ち止まったハクは大黒の方を振り返り、机に突っ伏した大黒の目をジッと見つめた。


「ど、どうしたんだ? そんな熱い視線を向けてきて。なんだかんだ言ってやっぱりスキンシップがしたくなったとか?」

「……先程の話ですが、私と貴方が同じ時を生きる方法は貴方が長寿になる以外にもありますよ」

「え……」


 大黒の冗談には付き合わず、ハクは真剣な眼差しで大黒を見つめ続ける。


 そして告げる。大黒では思い付けなかった共に生きる手段を。



「私が人間になれば良いんです」


 


 


 


 

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