第肆拾話 覚醒

「だから僕は飢餓ノ剣を使って君を人質にとる計画を立てた。経緯こそ知らないが同居しているということは君と九尾は浅からぬ関係なんだろうし、それで誘き寄せるつもりだったんだ。……残念ながらその計画はズレてしまったけどね」

「そりゃお気の毒に。だったら早くこいつの傷を治してくれないか? 関係のない人間を殺すのはお前にとっても喜ばしくないはずだ」


 大黒は腕の中にいる磨に少しだけ目線を向け、藤に交渉する。

 大黒は磨の負った傷を一目見た時から、その傷が自分では治せないことを悟っていた。

 そもそも一級や四級の呪具の効果に対応できる陰陽師は極僅か。呪術が不得手な大黒も例外ではなく、磨の傷に何をしたら効果的なのか、その糸口すら掴めずにいる。

 しかし藤は元々大黒を刺す予定だったと話しており、それならば治すすべも持っているはずだと大黒は確信していた。


 いくら妖怪に非人道的な行いをしていても、人間は殺さない。


 その一点に関して言えば、大黒は藤のことを全面的に信用していた。だから自分を刺したとしても極限まで弱らせるだけで殺しはしなかっただろうし、無関係の子供である磨の治療を拒むこともないと思っていた。


 だが、


「んー……、ちょっとしたすれ違いがあるみたいだね。僕は計画がズレたと言っただけで頓挫したとは言ってないんだよ? 分かりやすく言うならね、その子を助けてほしかったら九尾の狐をここに連れてきてくれ。あ、もちろん九尾は抵抗を出来ない状態にして」


 藤は笑顔で大黒にとって最悪な提案をしてきた。


「何を、言ってるんだ……?」

「何って、聞いての通りだよ。より分かりやすく言おうか? その子を殺すか、九尾を殺すか。君にはそれを選んでほしいんだ、もうその子の命も短いだろうし出来るだけ早くお願いしたい」


 いくら聞き直しても藤の言葉は変わらない。

 そして理解を拒んでいた大黒の脳も、ようやく藤の発言を現実のものとして捉え始める。


「いや……、いや、お前は人間は殺さない、はずだったよな?」

「そうだよ。僕は人間・・は殺さない。その信条はこれからも変わらない」

「それなら……!」


 続く大黒の言葉は、藤からこぼれた笑い声によってかき消されてしまった。


「ふっ、ふふっ! ふふふっ! 嬉しいね、君がまだ気付かないということが僕の研究の完成度を物語っている。ねぇ乙哉、人間を殺さないと決めている僕が無関係の子供がいる時に攻撃をすると思うのかい?」

「え……?」


 大黒の反応を見て藤はさらに笑みを深くして、楽しそうに話す。


「君の危機感を煽るために、その子の正体を教えてあげよう。名前くらいは君も聞いているだろうけど、まずは名前から。その子の名前は佐藤磨、僕が半妖の研究をする過程で作り出した元妖怪の人間さ」

「…………!」

「人間が妖怪へと変化することはままあることだけどね、妖怪が人間になるケースはほとんど聞いたことがない。人間と妖怪の境界線を調べるためにも僕はそこを実験してみようと考えた」


 大黒が言葉を失っている間にも藤の自慢話は続いていく。


「最初は人間に近い妖怪から試していきたかったんだけど、僕の野槌が産み出せる妖怪に該当するのはいなかった。だから山に妖怪を探しに行ったんだ、そこで見つけたのが小豆洗いの母娘おやこだった」


 小豆洗い。または小豆とぎ。

 川のほとりで音を立てて小豆を洗う妖怪。

 『小豆とごうか、人をとって食おうか』などと歌うことがあるが、実際に人を食べるわけではなく、ただ小豆を洗っているだけの無害な妖怪である。


 しかし、それほどに無害だからこそ藤に目をつけられてしまった。


「ストックのためにも母親の方は野槌に食べさせて、娘の方は実験に使うことにした。失敗してもまた野槌に産ませればいいから相当無茶な実験を繰り返したんだけど、その子はとても頑丈でね、最後まで死なずにいてくれたんだ。まあ、ちょっと表情筋に障害は残っちゃったけど」


 磨が今まで笑わなかった理由を理解した大黒は、奥歯を砕けそうになるくらい噛み締める。

 そんな大黒の表情の変化も、嬉々として話している最中の藤は気付かない。


「そしてとうとう成功した! 妖怪を人間にすることが! ……でもある時、その子が逃げ出した。ちゃんと管理していたはずなんだけどね。どうしようかと思ったよ、まだまだ試したいこともあったのにって。そして探し出して見つけた時、その子は君と出会っていた。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだよ。そして僕は捕まえたその子に命じたんだ、どんな形でもいいから君の所に潜り込めってね。その際に名前は必要だったから、僕が適当に佐藤磨と名付けた。陰陽師であった君も、九尾の狐も、しばらく生活していたのに分からないほどその子は人間だ。特に子供に甘い君相手ならまず失敗はしないと思ってたよ。だから僕は君たちの情報や行動を逐一把握出来るようになった。……まあ、こんな所かな。さ、これで分かっただろう? 出来れば実験の成功例であるその子は殺したくなかったけど、ストックはあるし、殺すのに躊躇はしない。なんせ元妖怪だ、僕が手心を加える理由がない。それを踏まえて再度聞こう。君はその子と九尾、どちらを助けたい?」


 全てを話し終えた藤は磨を指差して、再び大黒に選択を迫り始める。

 

 大黒の中に様々な感情が渦巻く。

 後悔、疑念、憤怒、焦燥。

 それを見てすぐに答えは出そうにないと察した藤は、さらに追い打ちをかけることにした。


「言っておくけどその子の傷は僕にしか治せないよ。九尾ならもしかするかもしれないけど、時間が無いだろうしね。治すの自体は簡単だ、飢餓ノ剣と対をなす飽食ノ剣を刺すだけでいい。飽食ノ剣は野槌に持たせてるから僕が呼べば一瞬で来る。治した後は君の好きにすればいいよ、人間に出来た小豆洗いと九尾の狐の交換ならお釣りが来るしね。さあ、もう本当に時間はない。決めるのは君だ」


 藤に言われるまでもなく、磨の命の灯が消えかかっていることは大黒にも分かっていた。

 その上でずっと口をつぐんている。それがある意味答えではあった。

 結局、大黒にとって何よりも大事なのはハクであり、誰であろうとハクより優先される者はいない。


 家族であっても、子供であっても、親友であっても、恩人であっても、それらの命とハクの命が天秤にかけられているなら、大黒はどんな場合であってもハクの命を選ぶ。


 だが、だからといって他の大切に思っている者の命が軽いわけでもなく、どうにか助ける道を模索する。それが大黒の生き方だった。

 しかし今回は八方塞がりで、もはや大黒には磨の命が消えるまで黙っている他無くなっていた。



 ――――そして、とうとう最期の時がやってくる。



「……ぁ、…………っ……」


 完全に事切れる前に一瞬だけ意識を取り戻した磨だったが、口にしようとした言葉が大黒に届くことはなく、その短い生命を終える。

 気休めの言葉すらかける時間はなく、遺言すら聞くことが出来なかった。


 大黒は磨を抱きかかえたまま俯いて動かなくなる。そんな大黒の耳に入ってきたのは無神経な藤の声だった。


「ふーむ、やっぱり駄目か。急な方向転換にしては上手くいく気もしてたんだけどね。昔の君なら子供を見殺しにする真似はしないはずなんだけど、君もこの八年で多少変わったのかな? でもまあしょうがない、今日のところはこれくらいにしてまた別の手を考えることにするか。しばらくは君に付きまとうから、用心することをお勧めするよ。僕が言えたことじゃないけど、子供でも見知らぬ人間を家に上げるのは控えた方が、……っ!」


 言い終える前に大黒の拳が藤の頬に突き刺さり、藤の体は遠くの地面へと叩きつけられた。


 歪に凹んだ頬骨をさすりながら、突き刺すような殺気を感じた藤はすぐに体を起こす。


 起き上がった藤の目に入ったのは変わり果てた大黒の姿。

 金色の瞳、体から溢れ出す膨大な霊力、銀に光る髪の毛。

 それらは大黒が人間でなくなったことの証、純から渡された薬の作用。


 今再び、大黒は妖怪へと成って怒りのままに言葉を発する。



「覚悟しろよ藤。お前は今日、ここで殺す」



 もはや大黒は止まらない。かつて友だった相手をその手で殺すまでは。


 

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