第13話 兄妹

 夜が明けて時計の針が朝の十時を指そうとしていた頃、大黒真はゆっくりと瞼を開いた。

「……俺の部屋?」

 大黒は上半身が裸の状態で、見慣れた天井を見上げながら自分が今どこにいるのかを呟く。

 いつもと同じように寝ていただけのはずなのに、自分が何故ここにいるのかを不思議に思った大黒は、未だ半覚醒状態の頭で昨日何があったのかを思い出そうとする。

「そうだ。確か酒呑童子と戦って……そう、腕が」

 記憶にない眠りについていた理由や全身のけだるさの原因を思い出して、大黒は一番重傷だった左腕に視線を移す。


 昨日は破れた着物で縛られただけだった左腕は、肩から患部にかけて真新しい包帯が巻かれており、ちゃんとした処置が施されたことを物語っていた。

 血に塗れていたズボンやパンツも履き替えられていて、体の不快感も取り除かれている。

 しかし、肘から先が無くなっているという事実だけは変わらない。

 自分の目でその事実を改めて確認した大黒は、強烈な喪失感に襲われた。

「無くなってる、本当に……」

 昨日は痛みや衝撃で考えている余裕などなかったが、一日経って頭が冷えると、当たり前にあった自分の身体が欠けているという現実は酷くショックを受けるものだった。

 大黒はどうしようもない気持ちになって涙が溢れてきそうになったが、部屋に誰かが入ってくる気配がして涙を引っ込める。


「あ、起きましたか。思ったよりも早い目覚めでしたね」

 扉を開けて入ってきたのはもちろんハク。

 ハクは片手に濡れタオルを持って、大黒が目覚めたのを見ると表情を綻ばせた。

 大黒はその表情に胸を高鳴らせたが、自分がやったことを思い返し、浮かれている場合ではないと自省する。

「ハク、その、昨日は」

 体を起こして昨日のことに言及しようとした大黒だったが、ハクは大黒の額に人差し指を当ててベッドへと押し返す。

「寝たままで結構です。安静にしてないと治るものも治りませんよ」

 大黒を元の状態に戻したハクはその額にタオルを乗せる。

「怪我に加えて熱も出ているのです。しばらく動いていい体ではありません」

「あ……」

 額から伝わる冷たさが気持ちよくて、大黒はついそのまま寝入ってしまいそうになる。

 だが、駄目だ駄目だと自分に言い聞かせて、ベッドの傍の椅子に座ったハクを見る。

「昨日は、ごめん。自分勝手に飛び出して結局ハクにこんな迷惑をかけちまった。それに木刀だって粉々にして……」

 自責の念を滲ませながら謝ってくる大黒に、ハクは厳しい表情で答える。

「貴方が相手にしたのは酒呑童子だったのでしょう? でしたら、あの程度の力しか注がなかった木刀では役に立たないのも当然です。……むしろ私が力を注いだせいで戦いが引き起こされたのでしょうし、邪魔にしかならなかったでしょう」

「……それも、予言で見たものだったり?」

「違いますよ、貴方の傷にあった霊力の残滓を見れば分かることです」

 酒呑童子が木刀に籠った霊力を見てハクのものだと見抜いたように、ハクも大黒に残っていた酒呑童子の霊力に気付き、今回の事のあらましを把握していた。


「まさか酒呑童子まで転生していたとは予想していませんでしたよ。あの男は私に固執していましたから、私の霊力に気付いたら私に会いに来ようとしたのでしょうね」

「ご明察、その場に居なくても分かるもんなんだな。……酒呑童子はハクの事を古い知り合いって言ってたけど二人ってどんな関係だったんだ? 元カレ、だったり……?」

「おぞましいことを言わないでください。貴方も大体察しているでしょう、あれはただ強い相手と戦う事が好きな戦闘狂です。昔、ちょっかいをかけられた時に叩きのめしたら余計に付きまとわれるようになった。それだけの話です」

「叩きのめしたって……」

 大黒は酒呑童子の理不尽なまでの強さを思い出しながら、それを一方的に倒したというハクの本来の強さに慄いた。


 同じ三大悪妖怪のカテゴリーで語られていようと、ハクは何千年も前に生まれた神獣にも近い妖怪で、酒呑童子は鬼の頭領。

 そこには体が丈夫というだけでは埋めることのできない力の差があったのだろう。

「そう考えれば貴方は私の因果に巻き込まれただけなので、私に治療させたからと言ってそれほど思い詰める必要もありません」

「いや……、いや、それでも俺がもっと強ければこうはならなかったんだ。だから、ごめん……」

 九尾の狐と関わりを持とうとした時点で、大黒も戦いの渦に身を投じる覚悟はしていたのだ。

 しかしそうなった時は、自分だけでけりをつけようと決めていた。

 自分のわがままで行動しているのだから、自分で責任を負うのは当然。

 だが実際はどうだ。刀岐に助けられ、ハクに助けられ、自分では何も成し遂げられていない。

 大黒は何よりもそんな自分の力の無さを嘆いている。

 そして、大黒は謝罪と言う形以外でそれを表現する方法を知らなかった。

「…………っ」 

 放っておいたらいつまでも暗い顔をしてそうな大黒を見て、ハクは額に青筋を走らせる、

 それから一度深呼吸を挟み、荒波立ちそうになった気持ちを静めてから話を始めた。

「謝罪はいいですね、聞いていて胸がすくような気分です。ですが、貴方は私に謝罪しなければならないことがまだ! まだ! あります」

「ひっ」

 ハクの怒気を孕んだ声を聞いて、大黒は体を縮みあがらせる。

「私の力を奪ったこと、私を閉じ込めていること、早寝早起きしないこと、買ってくる食材の質が悪いこと、数えていったらきりがありません。それらについての謝罪は一度や二度で済むものでは到底ないのです」

「は、はい」

「とは言っても今のあなたは満身創痍、そんなに多くの謝罪をさせては体に響くでしょう。本当はこうして話すのも控えるべきなのです。ですので今、貴方が私に言うべき言葉は一つだけ」

 ハクはそこから先はあえて言葉にせず、じっと大黒を見つめた。

 大黒はそれでハクが何に怒っているのか、さらには何を伝えたいのかを理解した。

 一週間。短いように思えるその期間で二人はある程度以上の相互理解を深めていた。

 ハクの言葉から一呼吸置いて、大黒はハクが一番言ってほしい言葉を口に出す。


「……ありがとう」

「はい、よく出来ました」

 ハクは花が咲くような笑顔で大黒の感謝を受け入れた。

 まるで子供が問題に正解したのを褒める母親のように言葉を返すハクだったが、大黒はそのことを不快とは思わず、お互い笑顔でしばらく見つめあっていた。

「…………」

「…………」


 とぅるるる、とぅるるる、とぅるるる。


 だがそれも長くは続かず、静寂を切り裂く電子音が家に鳴り響いた。

 電話にも似た音だったが、それはエントランスで誰かがこの家のインターホンを鳴らす音だった。

「こんな時に誰だっ! もうちょっとでキス! からのベッドイン! だったのに間の悪い!」

 甘美な時間を邪魔され怒りが有頂天に達した大黒は、適当な上着を引っ掴んで羽織った後、自分が大怪我を負っているというのも忘れ、ベッドから降りて来訪者の顔を見に行く。

「やっぱり息の根を止めておいた方が良かった気がします」

 そう言いながらもハクは大黒がまた倒れないかを心配して、大黒の背中を追う。

 しかし大黒はカメラで来訪者の姿を確認すると、先ほどまでの怒りは何処かへ行ってしまったのか、体を停止した。

 ハクも大黒に続いて少し背伸びをしながらカメラを見る。


 来訪者は高校生くらいの外見の女の子。女の子はタンクトップにショートパンツと活動的な格好をしていて、旅行の最中なのか大きなボストンバックを手にぶら下げていた。

 変わっているところと言えば薙刀袋を背負っている事くらいで、それも部活中とでも思えば不自然と言えるほどでもない。

「この子はお知合いですか?」

 相手の外見だけでは大黒がここまで動揺する理由が分からず、ハクは大黒に相手との関係性を尋ねる。

「い、妹……」

 大黒は震える声でそう吐き出した。

「なるほど、妹さんでしたか」

 それを聞き、ハクは得心がいったというように首を縦に振る。

 呪具を盗み出し、神木を切り倒しと好き勝手をして家を出てきた大黒。

 きっとカメラの向こうの妹はそのけじめをつけにきたのだろうとハクは考えた。

「返り討ちにしてやると息巻いていた割にそんなに怯えてしまって……、意外と臆病なんですね」

「……こいつが来たのはハクが考えてるような理由じゃないんだ」

 以前出した話題を引っ張ってきて大黒をからかおうとしたハクだったが、大黒はカメラに視線を縫い付けたままでハクが想像していた反応はなかった。

 ハクは、じゃあどんな理由なのかと聞こうとしたが、余裕のない大黒の顔を見てその話は後に回すことにした。

「まあ、いい。とりあえず居留守、居留守を使おう。なんで俺の家を知ってるか分からないけど、いずれこいつも諦めるはずだ」  

 大黒がそう言ってカメラから視線を外そうとした時、画面の向こうの妹はボストンバックからスケッチブックを取り出し、それをカメラへと向けてきた。

『居るのは分かっています、今すぐここの扉を開けてください』

 無表情のまま妹は紙を一枚めくる。

『五秒以内に開けてくれないと扉を破壊します』

『五』

『四』

『三』

『二』

『一』

 妹が最後の一枚をめくろうとした瞬間に、大黒は高速でインターホンの受話器を取り、無言でオートロックの扉を開けた。


 妹は満足したように笑って、スケッチブックをバッグに仕舞うと悠々とマンションの中に入ってきた。

 冷や汗を流しながら受話器を置く大黒に、ハクは何故相手の言うことを聞いたのかと問うことにした。

「入れたくなかったのでは? 扉を壊すなんてハッタリだと思いますけど」

 ハクは現代の一般常識に照らし合わせて、妹の発言を嘘だと断定した。

 監視カメラや法律で縛られる今の社会でそんな暴挙に出る人間はいない。それが現代で五年過ごしたハクが出した結論である。

 しかし、妹をよく知っている大黒はそんな楽観的ではいられなかった。

「あれはハッタリなんかじゃない。あいつはやると言ったらやる」

 大黒の言葉には重みがあり、とても嘘を言っているようには見えない。

「あいつを他の人間と同じ思考回路をしてると思わないでくれ。目的のためなら手段を選ばない。それがどれだけ人に迷惑を掛ける方法であっても躊躇うことは無い。あいつはそんな俺とは正反対の性格をしたやつなんだ」

 大黒はハクの肩に手を置いて妹の恐ろしさを語る。

 それに対してハクは、私をこの部屋に監禁している貴方も似たようなものですよ、と言いそうになったが言ったら面倒な事になりそうだったので口をつぐむ。

 ハクの心中は知らず、大黒は近づいてくる妹の襲来に怯えていた。

「こうなったら仕方ない、腹を括ろう。ハク、悪いが妹が帰るまでハクの部屋のクローゼットに隠れていてくれないか」

「私も面倒な事態になるのは避けたいので良いですけど、私だけが隠れても意味が無いような……」


 リビングの女性誌や洗面所の歯ブラシ等、ハクの痕跡はそこかしこにある。

 それを見られたらまず、大黒が独り暮らしをしていないことはばれる。

 その辺りを追及されたらどうやって誤魔化すつもりなのだろうとハクは思ったが、焦る大黒にぐいぐい背中を押されて聞いている暇も無かった。

「時間も無いしハクは隠れることだけ考えていてくれ。他は俺が何とかする。絶対、ぜっったいに見つからないように」

 ハクをクローゼットに押し込め、大黒はいつになく強い口調でハクに念押しする。

 大黒に気圧されながらもハクは頷き、大量の服の奥にその身を隠す。


 ピンポーン


 それからすぐに部屋のチャイムが鳴らされて、大黒は息を吐く暇もなく玄関に走る。

 そしてハクが見つからないように、と心で願い、大黒は玄関のドアを開けた。

 ドアを開けた先にいたのは四年ぶりに会う妹。

 玄関先にいる妹にエントランスでの迫力は無く、可憐な笑顔を纏っていた。


「久しぶり、兄さん」

「ああ、久しぶりだな。純」


 妹の笑顔に大黒も表情が緩み、二人は心に色々なものを抱えながらも、お互いに笑顔で再開の挨拶を果たした。

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