第7話 伝説

「ただいまー」

 ハクが眠りに落ちてから数時間後、玄関の扉を開けて帰宅を知らせる大黒の声がハクの耳朶に響いた。

 ハクはその声でハっと目を覚まし、起きた時の衝動でピンっと張って出てきてしまった狐の方の耳を再び変化の術で消してから立ち上がる。

 そうしてハクが寝起きの自分を取り繕い終えたのを見計らったかのようなタイミングで、大黒がリビングに姿を現した。

「おかえりなさい」

 ソファーの横に立ち自分を出迎えるハクを見て大黒は涙をこらえるように目元を抑えた。

「ど、どうしました?」

「いや、本当に結婚してるみたいな会話が嬉しすぎて込み上げてくるものが……」

 一瞬外で何かあったのかと心配しかけたハクだったが、その理由を聞いて大黒を見る目が冷めたものへと変わっていく。

「勘違いしないでくださいね? 私がこうしているのは現状を打破する方法が無いため、というだけです。貴方に対する感情は初対面の頃から大して変わっていません」

「大してってことは少しは変わったんだろ? じゃあこのままいけば……」

「はい。忌避が七、殺意が三から憎悪が六、殺意四の割合に変わりました。このままいけば殺意が感情の半分を占める日も近いでしょう」

「負の感情しかないっ!」

 一週間でほんのちょっとでも好感を得られたのでは、と思っていた大黒はハクのあんまりと言えばあんまりな評価に本気で驚く。

「当然でしょう。どんな思考回路をしていたら正の感情を抱かれていると思えるのですか」

「ていうかそんなのまるで誘拐の被害者が誘拐犯に抱く感情みたいじゃないか」

「その通りですよ。やっと貴方も今の状況をきちんと認識してくれましたか」

「?」

「そのとぼけた顔やめてくれません? このやり取りでも殺意の感情は増してるんですよ? ……もういいです、すぐにご飯の用意をしますので貴方も着替えてきてください」

「了解」

 ハクはこれ以上話してもきりがないと思い会話を打ち切る。大黒もそれに応じ、部屋着に着替えるため一旦リビングを後にする。


 大黒が着替えたり大学の課題をしたりとあれこれとしている間にハクは晩御飯の準備を済ませ、二人で食卓に着く。

「朝の話の続きだけど、ハクは転生してから今までどうやって生活してたんだ?」

 大黒は味噌で焼かれた鰆の身をほぐしながら、今朝中断された話題を再開する。

「そういえばそんな話もしていましたね。そうですねぇ……、玉藻の前であった私の最期は知っているんですよね?」

「そりゃもちろん」


 玉藻の前、ハクの直近の前身である女の名前である。

 平安時代の末期、持ち前の美貌で鳥羽上皇の寵愛を受けた玉藻の前だったが、鳥羽上皇が病に体を侵された折、その原因が玉藻の前ではないかと疑いをかけられる。

 そして上皇付きの陰陽師、安倍泰成が玉藻の前を占った結果その正体が九尾の狐であったことを見破られる。

 安倍泰成の強力な術で調伏された玉藻の前は空へと飛び去ったのだが、その後那須野に居付いていたことがばれてしまい、討伐軍が派遣された。

 玉藻の前は討伐軍相手に必死に抗ったが力及ばず、那須野が原でその生涯を終えた。

「宮中で正体を見破られた私は逃げるのに必死でしたが、ちゃんとその後のことも考えて動いていたんです」

「と、いうと?」

「どうせ逃げるのならと、これからのために宮中のお宝を持てるだけ持って逃げたんです」

 ハクのたくましいエピソードを聞き、大黒は口の中の鰆を飲み込んで一言。


「俺と同じことしてるじゃん」

「違います!」

 大黒は実家から呪具を持ち出してきた自分と宮中から宝を持ち去ったハクを重ね合わせたが、ハクはそれを強く否定する。

 だがどう考えてもお互いの行動に類似点しか見当たらず、大黒は口を尖らせる。

「えー、それも行きがけの駄賃ってやつだろ」

「私はやむにやまれぬ事情があって仕方なくその手段をとったまでです」

「俺だってやむにやまれぬ事情だったぞ。そう、ハクに出会うという目的のためならあれは仕方のないこと……」

 物憂げな顔をして自分に酔い始めた大黒を無視してハクは話を元に戻す。

「そうしてお宝を手にした私ですが、思ったよりも相手が強く、それらを使う暇なく敗れ去ってしまいました」

「数が多くて、錬度も高い軍に狙われちゃあそうなるわな」

「はい……、しかしそのまま死んではせっかくのお宝が横取りされてしまうかもしれない。そうしないためにも私は最後の力を振り絞ってお宝を山中に隠し、その一帯に術をかけました」

「横取り……。いや、いいや続けてくれ」

 大黒はハクの発言に物申そうとしたが、突っ込むのも無粋かと思い何も言わないことにした。

「転生した後は、まずその山に行ったのです。あれから千年以上経っていますし、誰かに術を解かれているかもと考えたのですが、さすがは私、術もお宝も健在でした」

 自信に満ちた笑顔を浮かべながらもさらりと言ったハクの言葉に大黒は目を剥いた。

「まじかよ……、千年も持つ術とか聞いたことないぞ」


 最高峰の力を持った陰陽師が生涯をかけて術をかけたとしても効力が持つのは五百年が限度である。その倍を軽く超えるハクの力量に大黒は改めて九尾の狐の規格外さを思い知った。

「ふふん、敬いなさい平伏しなさい。それが九尾の妖狐という存在です」

「ははー!」

 薄くなった胸を張って偉ぶるハクに大黒は机に両手をついて適当に頭を下げる。

「微塵も敬意を感じられませんね……。話を戻します、お宝を掘り返した私はそれらを換金し、大金と呼ばれるほどの金銭を手に入れました。そこからそのお金を使って、全国津々浦々、現代を知るための旅を始めたのです」

「ずっと京都にいたわけじゃないんだな」

「ええ。ですが、留まっていた期間が一番長いのは京都です。……良い思い出も良くない思い出も沢山あるここは、疲れた時に腰を落ち着かせるには最適の場所でしたから」

 ハクは淡く微笑む。


 ハクは起源こそ中国だが、日本においての故郷は京都だと考えている。そのため複雑な感情はあるが京都こそ最終的に自分が帰ってくる場所であると定めていた。

「旅では様々な人間と接しました。時代を知るにはその時代に生きる者と話すのが一番ですからね。そして常識や多くの技能を学び、今の私がここにいます」

「なるほどなぁ。……今更なんだけど俺が見つけた時は何も持ってなかったけど、旅の荷物とかって今どうしてんの?」

「駅の近くのホテルに置いてあります。このままずっと置いておけばいずれホテルの方が処分してくれるでしょう」

「あー……、悪い」

 大黒はバツが悪そうな顔をして謝る。

 今までそのことに頭を回していなかったことと、長年ハクの旅のお供になっていた荷物を諦めさせたことの二つの意味での謝罪だった。

 だがハクは案外ケロッとしていて、荷物のことを気にした様子は無かった。

「大した荷物もなかったですしいいですよ。通帳とかの貴重品は持ち歩いていましたし、服は貴方が気持ち悪いくらい揃えてくれていますのでその面での不自由もないです。変なところで小心者なんですね」

「ほら、思い出の品は大事にするもんだろ? それを捨てさせた俺が言うのもなんだけどな」

「本当ですよ。それに貴方はそんなことよりも私を監禁していることを反省すべきです。この部屋に他の誰かが来た時は小さくなった体を最大限利用して『このお兄ちゃんに連れていかれていっぱい酷いことされたの』とか言いますからね」

「明日の新聞のトップを飾れるなっ!」

大黒は冬でもないのに背筋が凍りつきそうになった。

「うん、そんな真っ黒な未来予想よりもハクの旅の話が聞きたいな! えーっと、そうだ。旅の途中で今を生きる妖怪とは話したりしなかったのか? 人間よりも話の合うやつもいるだろうに」

 ハクは焦る大黒を見ることが出来ただけで満足だったのか大黒が無理やり絞り出した話題にも疑問を挟むことなく付き合ってくれた。


「陰陽師でもない人間と話したところで、いえ陰陽師でも勘の良い者でない限り私の正体が露見することはありません。ですが、それが妖怪となるとそうはいきません、いくら上手く変化しようと妖怪は騙しきることが出来ず、微かな違和感を感じさせてしまいます。そこから私の正体が見破られたら、私の気ままなスローライフが終わりを告げてしまいます」

「スローライフってますます老人みたいな……」

 目の前の人間はひょっとしてわざと自分の神経を逆撫でしているのだろうかとハクは思った。

 そして箸の先を大黒に向け、ゆらゆらと揺らしながら怒りをぶつける。

「やはりデリカシーを叩き込む必要がありそうですね……」

「ご、ごめんなさい。怒鳴られるよりもしみじみと呟かれる方が怖いんでやめてください……。いや、でも正体がばれただけでそんなにやりにくくなるもんなのか、せいぜい伝説の九尾の狐に媚びへつらうやつが出て来るだけに思えるんだけど」

「そうもいかないのですよ。貴方も妖怪の力の発生源くらい知っているでしょう」

 大黒は虚空を見上げ少し悩むと、答えにすぐ行き当たった。

「あー、そういうことか」

「ええ、妖怪の力とは伝承の力。より多くの者に信じられ、より強い伝承を持っているのが強い妖怪の条件です」

「伝承に九尾の狐を倒したなんて一文がついて色んな奴にその噂が広まれば、それが嘘だろうと本当だろうとそいつは強くなれると」

「そうです。ですから私の正体が知られてしまうと、陰から日向から私は命を狙われることになるでしょう。いっそ本当の神様にでもなったら誰も手を出してこなくなるでしょうが、私はあくまで妖怪の括りですからね」

「そりゃあ、確かに面倒だな」

 大黒はハクの境遇を想像し、その苛烈さに顔を歪ませる。


 人間からも妖怪からも討つべき存在としてその身を狙われる。鬼などの戦うことを好む種族であれば望むところなのであろうが、ハクは静かに生きていきたいと思うような性格である。

 とある事情により大黒は戦いたくないのに戦わなくてはならないという環境の辛さを知っている。そのため余計にハクに同情してしまう。

「大丈夫だ! この家に居る限りハクの存在が外にばれることは無い!」

「まあ……、この結界についてはそれなりに評価していますからそのような心配はしていませんが……」

 真っ向から大黒を褒めるのには抵抗があるため、ハクはそっぽ向きながら話す。

 大黒が作った結界はハクを閉じ込めておくだけのものではない。術者である大黒以外の人間に対して隠形と同じような効果も持っており、外からハクの霊力が辿れないのはもちろん、他人が家の中に入ってこようと直接姿が見られない限りハクの存在は知覚されない。

 陰陽師の世界では人間と妖怪が婚姻を結ぶのは最大の禁忌。実家と縁を切り、陰陽協会から足を洗っているとはいえ、式神でもない妖怪と仲睦まじく暮らしていると知られたら確実に協会から追手がかかる。そのような面倒を起こさせないためにも隠蔽工作は万全にしていた。

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