第14話 レッツ妓楼!3

「よ、世の中不思議人間はいるものよね」

「今夜の主客しゅきゃくはこの小風だから、付き添いの俺たちの事は気にすんな」

「……わかったわ」


 説明され何とか衝撃から立ち直った妓女は、呼び付けた下男は元より何事かと駆け寄って来た店内付きの用心棒たちを下がらせると盛大な溜息をついた。

 一応中身に興味はあったのか、さらりとだが肖子偉の顔確認だけはする。


「タイプは違うけど、兄弟揃って美形なのね」


 鼻血でも噴くかと思いきや結構あっさりした反応だったので凛風的には些か意外だったが、先に肖子豪が言っていた美少年好きという言葉を思い出す。

 確かに肖子偉はもう少年という範疇はんちゅうには入らない。


「なるほど、お姉さんの守備範囲じゃないからか」


 一人納得の声で呟けば、妓女が凛風の傍へと歩み寄ってきた。


「雷様、あたしは曹依依。お姉さん呼びより依依って呼んで?」

「え、あ、はい。ええと……――依依さん」

「んもう堪らないわね!」


 感激して悶えるように体を捩る化粧ばっちりな妙齢の妓女、曹依依。

 彼女は凛風を完全に少年だと思い込んでいる。


「おい依依、早く案内してくれよ」


 呆れ声で肖子豪が急っ突けば、彼女は野暮な奴とでも言いたげな顔付きで不服そうに朱唇を尖らせた。


「さあどうぞこちらです」


 それでもすぐに営業スマイルを貼り付けてくるりときびすを返し、トントントン、と本来の機嫌を反映する軽快さで中央階段を上っていく。

 ふう、と疲れたような息を吐き出して肖子豪も階段の手摺りに掌を滑らせる。

 彼に倣って凛風と肖子偉の二人も二階へと向かって段を上がろうとした。


 刹那、妓楼の外から用心棒たちの困惑声が聞こえたかと思えば、次には凄い勢いで入口の扉が開いて疾風が舞い込んだ。


 その風は妓楼内を席巻し、凛風たちの所にも例外なく吹き付ける。


「あ……」


 思わず階段に踏み出す足を止め振り返った凛風は、接近する風が見えてでもいるように大きく両目を見開くと、無意識に呆然とした声を上げた。

 一瞬店内は騒然となったように男女の悲鳴が上がったが、風が止み彼らが恐る恐る目を開けてみれば、不思議にも内装として垂らされた赤幕や吊るされた提灯が微かに揺れた程度で、それ以外には店内に強風の痕跡は見受けられなかった。

 客たちは皆一様に狐につままれたような顔をした。


「これ阿風、本当にここがどのような場所かわかっておるのか?」

「何でここに……?」


 その存在に気付いた者は、風で目を瞑っていたがゆえにいつの間に、と言った感覚に陥った事だろう。

 数段先を上っていた肖子豪も曹依依も何事かと振り返って目を瞠った。

 肖子偉の方は布の中なので表情はわからない。


 凛風の真正面には一人の背の高い青年が佇んでいた。


 とは言っても男の一団の中にいても群を抜くような背丈の肖子豪ほどではない。

 急な事でやや呆然とした凛風の視線の先の不機嫌顔は、微塵も厳しい表情を崩さずにいる。

 白を基調とした着物の袖が涼やかに揺れる。

 黒々とした長髪はきっちり一つに括られ役人のように頭の上の小さな冠に纏められていた。

 青年が袖を捌いて凛風の額に指を伸ばし、ピンと弾く。


「……ったあ!」


 軽いデコピンだったが芯を捉えていると案外痛い。

 凛風が涙目で額を押さえれば、よく知る誰かの若かりし頃そのものの美青年は、依然怖い顔をして言った。


「男と一緒とはどういう了見なのだ、阿風や?」


 くっきりと実に深いしわを眉間に刻んだ彼は、怒り顔ですら知と武を備え端麗だ。妓女の中で彼の顔が見えている者は悉く頬を染めている。

 凛風を睨み据えながらのスッと背筋の伸びた威厳ある立ち姿には、若い見た目に反し貫禄かんろくしか感じられない。


 青年姿はとても久しぶりに見たが、こんな存在感の濃い美形間違えようがない。


(うう、じい様から久しぶりに怒られた……)


 ――そう、彼は紛れもなく、祖父楊叡だった。


 いつも蜂蜜と水飴を混ぜて焦げるギリギリまで煮詰めたように凛風に甘いこの相手は、今はどうしたわけか見た事のないくらい険しい表情かおをしている。


「……妓楼行きの話をした時何も言わなかったのに、どうして今になって怒るの?」

「それはそなたがわしが何かを言う前に飛んで行ったからだろうに」

「え、あーそうだったっけ? でもどうしてこの場所がわかったの?」


 祖父は開きっ放しになっていた妓楼の入口へと視線を流した。

 見れば、ギョッとしている用心棒たちの傍らに、金兎雲がごめんねとでも言うようなしょげた目でこちらを窺い見ている。沈んだように耳が垂れているのが可愛らしい。


「兎兎……なるほど」

「白家に行ったらおらんかったのでな、紫華に訊けば今日も遠くまで出前に出掛けたと言うではないか。昨日の今日でピンと来たのだ。それであやつを呼び付けて案内を頼んだ」

「仙術でそんな事も出来るんだ」


 妙な部分で感心していると、肖兄弟が楊叡との間に割って入った


「おいおいあんた、いきなり現れて何なんだ。大丈夫か小風? 彼は何者だ?」

「感心しない」


 かばわれる格好になった凛風は気遣いを有難く思いはしたが、楊叡への二人の明らかな敵意に慌てた。急いで二人を押し退け自身の体を反転させる。


「二人共大丈夫だから。彼は私の――じい様だから!」


 しばらく間があった。

 肖兄弟の中で「じい様」という単語が意味不明の境地に達する。


「いやいやいやどう見ても若くね?」


 鼻の頭にしわを寄せて目を眇めた肖子豪が不納得全開で楊叡を凝視する。


「じい様は仙人なの」


 仙人は姿を変えられるというのはそこそこ有名だ。知っているのか兄弟は納得したようだった。


「じい様、こっちが父さんの依頼がきっかけで出前常連になった乙兄さん。で、こっちが乙兄さんの兄の甲兄さんだよ。二人は単に私のわがままに付き合ってくれただけだから怒らないで」

「ほう、甲と乙……」


 楊叡は同行者二人の素性を的確に理解し、ようやく眉間を広げた。

 しかし根本的に不機嫌なのは変わらないのだと凛風にはわかる。何しろ二人が皇族だからだ。

 だが当面の修羅場は脱した。安堵を感じつつ今度は皇子二人に祖父を紹介する。

 互いに挨拶を交わすと、祖父がしれっと凛風を見て言った。


「阿風や、今夜はわしも一緒におるぞ」


 案の定の宣言に凛風は心の中で苦笑した。


「二人共、悪いけどじい様も一緒でいいかな?」

「別にいいぞ」


 肖子豪が快く受け入れる横では「構わない」と布だるまがこくりと頷く。

 他の客たちの邪魔にもなっているので一先ひとまずは早く場所を移そうと、凛風は階段上を振り仰いだ。


「依依さん、急遽もう一人追加しても大丈夫ですか?」

「雷様の頼みなら何でも大丈夫!」

「え、はは、ありがとうございます……?」


 曹依依は嬉しそうに双眸を綻ばせ、四人の客を先導してくれる。


「それにしてもハイレベルな御一行様だこと」


 店内から沢山の視線を浴びながら素直に感想を述べる彼女は、きっと同僚たちはこぞって彼らの部屋に出向いてくるだろうと確信した。





 個室では、曹依依の予想以上に妓女たちが入れ替わり立ち替わり訪れた。

 おかげで彼女たちの披露する個性豊かな歌舞かぶ音曲おんぎょくを堪能でき、面白い話から愚痴までと様々な話も聞かせてもらった。

 しかしやはりその中に凛風の望む情報はない。あえてこちらからその話題に転じる事も今日は出来ない。


(まあ今夜はうちの包子の宣伝と顔繋ぎがメインって感じかな)


 仙人だと明かした楊叡が孫のお目付け役として堂々と睨みを利かせているせいか、曹依依をはじめとする妓女たちも心得て誘惑を試みる愚行は犯さない。どこか気楽で和気藹藹あいあいとした雰囲気の酒席だった。

 運ばれて来た料理も美味で、実家の食堂でも参考にしたい品が幾つかあったのは収穫だ。

 肖子豪は慣れたもので妓女たちと談笑が途切れない。

 逆に肖子偉の方は布の置き物のように微動だにせず、中の容姿を知らない妓女たちも下手に刺激しないようほとんど話しかけていない。なので彼の相手はもっぱら凛風がしていた。

 肖子偉は性格的にこういう場所は苦手なのか、どこか居心地が悪そうなのは何となくわかった。


 肖子偉のために料理を小皿に取り分けてやっていると、そちらはそちらで仙人の心得を説いたりと妓楼にあってはかなり硬いが、それなりに有意義に時間を使っていた楊叡がどうしたのかハッとして顔を上げた。


「むっ……!」


 彼は皆が疑問を浮かべる前に、持ち前の身のこなしでサッと立ち上がると外に面した腰窓へと近付いた。格子窓は開閉可能で、この建物全体の扉や窓同様所々に美しい花や鳥、風や水の流れを模した装飾が施されている。

 祖父は格子窓を細く開け、その隙間からそっと外を盗み見た。


「じい様?」


 ようやく凛風が問いかけ祖父を追って窓辺に立てば、振り返った彼の顔は何とも苦々しい。

 あたかも、何かに追われているかのような深刻な焦燥を湛えている。


「すまぬがわしはここらで帰らせてもらう」

「え、もう?」

「帰らねばならぬのだ、一刻も早く。阿風や、く・れ・ぐ・れ・も、長居はせぬように。そこな二人も阿風を頼んだぞ。もし何かしようものなら……わしが決して許さぬと心得よ」


 特に後半は迫力満点で、若者たちは三者三様に頷いた。

 楊叡は全員分はあるだろう妓楼代の入った巾着を律儀にも凛風に押し付けると「ではな」と最後に言って窓を大きく押し開いた。次にはその窓枠に足を掛け外へとダイブ。そのまま優雅に飛翔の仙術を用いて夜空へと消える。

 今夜の月は欠け満月ではないが、それでも煌々たる月光は祖父の影を照らした。


(一体、じい様はどうしたんだろう?)


 祖父はきちんと妓楼の入口から帰るという暇がないくらい、余程切羽詰まっていたようだった。

 疑問は尽きないが、それは後に回すことにする。


「すいません、うちのじい様急用だったみたいで」


 楊叡によって開かれた戸を閉めて皆の所に戻れば、一同は青い顔をしていた。突然地上階でもない窓から人(というか仙人だが)が飛び出して行けば誰だって肝を潰す。


「ああ、じい様空飛べるからご心配なく」


 説明すると皆は安堵の息を吐き出した。


(うーん、どうせ目的の話題には持ち込めないし、じい様の言う通り私も余り長居はしないで早く帰ろう)


 そういうわけで、凛風は妓女たちとの談笑にもう少しだけ興じた後、かわやに立った。戻ったら解散を切り出すつもりでいる。

 曹依依から場所を聞いた通りに個室の並ぶ屋内廊下を一人歩いていく。

 どの部屋にも灯りが見え、中に客がいるのだと知れる。


(連日こんなに多くの人がこういう場所に来てるのね。妓楼って一つじゃないし、これは冗談抜きに人探しは骨が折れそうだなあ)


 そんなどこか鬱々とした思いを胸に進んでいると、とある部屋から大きな笑い声が聞こえてきた。まるで扉からはみ出すような大きさには些か驚いて、思わず多々良を踏み足を止めてしまった。

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