第11話 離宮の珍客2

「子豪兄さん、私がここに来てる事は内緒だよ?」

「あーそりゃ無断かつ不法侵入だしな。よし、包子で手を打とう!」

「ははっそれでこそ子豪兄さんだね。じゃあ次来る時に一緒に持ってくるよ」

「はあ!? 次いぃ~? そこに沢山あるだろ。俺は今食べたいんだよ、今!」

「駄目駄目。これは子偉殿下の注文分。悪いけど余分にはないの」

「ええー……食えると思ったのに……」


 消沈ぶりを見かねたのか、傍で成り行きを見守っていた弟の肖子偉がおずおずと掌で卓上の包子を示した。


「あ、兄上、その……良ければある分を全部どうぞ」

「は? 残り全部……? お前も食いたいから頼んだんだろ?」

「この事を黙っていてくれるお礼です……」

「子偉お前……」


 兄皇子は一人感動したように唇を震わせると、弟の傍に立ってその肩をバシバシ叩いた。


「全部はいい。一つで十分だ。自分を律してでもこの機会を護りたいっつーお前のその包子に懸ける心意気は伝わった。お兄ちゃんはお前の味方だから安心しろ。な!」

「……あ、ありがとうございます」


 兄的には激励のつもりだったようだが、肖子偉は結構痛そうに顔を歪めて体を引いている。ありがた迷惑な愛情表現だなと凛風が生温い目をしていると、気が済み弟から離れた肖子豪が、今度は何故かこちらの肩をいきなり抱き寄せてきた。

 あ、と肖子偉がやや尖った声を上げた。

 とは言え、傍目にはどう見ても男女ではなく男同士肩を組むような気安さだ。


「どうしたの子豪兄さん?」

「俺の弟はホントいい子で可愛いだろ!」

「ああうん、それはもう激しく同意するよ!」


 二人は揃って一度本人に視線を向け、戻し、意見の一致に互いに深く頷き合った。

 二人が同志の絆を深める傍らでは、そんな評価を下された本人が衝撃を受けている。十八にもなって同世代女子から冗談抜きにいい子で可愛いと断じられれば、大抵の男はちょっと複雑な気分になるだろう。少なくとも彼は喜ぶタイプではなかった。


「ところで小風? 俺の隊に入りたくなったか?」

「ならないよ」

「えー絶対お前強くなるって。共に武道を極めようぜ」


 第一皇子肖子豪は武を愛する皇子として知られている。

 皇帝から私兵も同然の配下を持つ事を許され、家柄ではなく実力主義の実技試験を突破し彼直属の隊に入る事は、若手武官の間では誉れだ。

 ただし、凛風に全くその気はない。

 今もそうとわかった上でこうやって食い下がってくるのは、最早社交辞令的な挨拶の一環であり親しみの表れなのだとわかるので、凛風もいちいち腹を立てない。

 しかし、ここで思わぬ咎め声が入った。


「兄上、こういうのは良くないです。雷凛風を離して下さい」


 意外や意外、肖子偉だった。

 彼は兄の前に立って多少気まずそうにしながらも、しっかりと目を見据えている。

 言われた肖子豪は普段は切れ長の目を丸くしたが、次にはにやりと笑った。


「大丈夫喧嘩じゃねえって。ただ可愛い弟分とじゃれ合ってただけだ。それともヤキモチか?」

「ヤキ……ちち違います。兄上、雷凛風は言うなれば、妹分、です」

「は?」


 不可解そうに首を傾げ、まだ肩を組んだままでいる相手――雷凛風を見やる肖子豪。

 全くわかっていない様子の兄へと弟はきっちりきっぱり告げてやる。


「雷凛風は、女性です」

「ええー……?」


 意味が理解できないのか、肖子豪はまるで生まれたてのひよ子のように可愛らしい無垢な目になった。


「女性、です」

「…………マジ?」


 無言で頷く弟皇子と、どこか気まずげな半笑いを浮かべる男装の少女。


「え…………マジなの?」


 三人の間を無駄に爽やかな夜風が吹き抜けていった。





 三者三様の沈黙がしばし夜の雪露宮に流れていた。

 虫の声がその隙を狙ったように夜の静寂しじまに強くなる。


(あー、これは私の横着が招いた結果だよねー……。面倒だからって勘違いしてるのを放置してたから……)


 凛風は自らの反省も含め、胸中で嘆息した。

 肖子豪は肖子豪で気を取り直してか、依然として肩を組んだまま顔を横向けた至近距離から、まじまじと凛風を見つめた。


「小風って女なの? ホントのホントに?」

「うん。子豪兄さんとは不思議と男装の時にしか会った事なかったからね」

「そうか。――すまん!!」


 慌てて肩に乗せていた腕を外し、肖子豪は両手を合わせ拝むようにして平謝りしてきた。


「兄上、一度も女性かもしれないと思わなかったんですか? どこからどう見ても彼女は女性にしか見えないと思いますが」

「……」


 肖子豪はまじまじと弟を見て、そして一瞬天啓でも受けたように何かを悟った顔になったかと思えば、申し訳なさそうに頭を掻いた。


「そんなのは運命の相手でもない限り見破れないって。なっ小風! 子偉はさすがだよな!」


 よくわからない同意を求められ凛風は困ったが、今更淑女扱いされてもかゆいだけだ。


「子豪兄さん、こっちもわざわざ言う必要ないかなって思って言わなかったんだし。今更変に女子扱いされてもかえって接しづらいからやめてね。今まで通りでいいから。子豪兄さんだって私に態度変えるなって言ってくれたでしょ。それと同じだよ」

「おう、そうか。あ~良かった。今更だしお前がいいってんならそうする。俺は子偉と違うしな」


 何か含みのある言い方に凛風は内心首を傾げた。

 一方、肖子豪が再び遠慮なく肩を組もうとしたところで、


「――駄目です、兄上」


 珍しく強い口調で肖子偉が間に割って入った。


「こういうところはきちんとしないと、駄目です」


 彼は出しゃばった羞恥からか頬を染め、それでも兄の前からは退かない。


「子偉……お前……ッ」


 肖子豪が急に感極まったように声を張り上げ、弟の両肩をしかと掴んだ。


「――っ、あ、兄上?」

「子偉っ……! お兄ちゃんは嬉しい! 今夜はホント何て僥倖ぎょうこうなんだ! お前逃げないし!」


(いや周り池だし、桟橋側は子豪兄さんいるし、そうしたくても無理でしょー)


 実は会う度に「すぐ下の弟がな弟がな~」と聞かされていた凛風は、温かな目で兄弟の様子を見守った。

 弟の方は完全に硬直しているようだが、兄の方は目一杯喜びを押し付けている。


(だけどちょっと驚いた。子偉皇子って貞操観念には厳しいんだ)


 老婆心から兄弟水入らずにしてやろうと、凛風は金兎雲を呼んでその場を一時離れようとして、しかし思いとどまった。

 はたと思い付いた事があったのだ。

 先程は邪魔が入ってと言うと言葉が悪いが、肖子偉との会話を中断されてしまったので妓楼に関しての有益な情報が得られなかった。

 しかも肖子偉の様子を思い返せばこれ以上訊ねるのは躊躇われる。

 だがこの場にはもう一人男性がいるではないか。


「うんそうだよ、子豪兄さんなら大丈夫。色んなところをほっつき歩いてるから知識も豊富に決まってる」

「俺なら大丈夫って何がだ?」


 独り言を聞き付け不思議そうに先を促す肖子豪とは裏腹に、意図を察した肖子偉が慌てたように息を呑む。

 そんな傍らで凛風は期待を込めた目で兄貴分を見やった。


「ねえ子豪兄さん、妓楼での良い口説き方を知らない?」

「……妓楼ってあの妓楼か?」

「そう」

「女性を買うのか? お前が?」

「まあ」

「……ふうむ、いつもの調子でいけば十中八九大丈夫だろ」

「えー」


 全く参考にならない回答に不満駄々漏れな声を出せば、ふと彼は改まった眼差しで凛風を見つめた。


「真面目な話、何の用があるんだ? 女一人で行くような場所じゃないだろ。もしや身売りした知り合いでもいるのか?」

「そうじゃあないけど、ちょっと個人的に知りたい事があって。ああ言う場所って案外情報の宝庫だし一度行ってみる価値はあるかなって思ってね」

「ほ~」


 肖子豪が何故か自身のあごに手を当てて上機嫌そうに目を眇めた。


「なら俺が一緒に行ってやるよ」

「「え」」


 重なったのは言わずもがな肖子偉の声だ。弟を一瞥し、肖子豪はにやりと口角を持ち上げた。


「可愛い妹分に付き合うくらいの甲斐性はあるぞ。色々と教えてやるから一緒に楽しもうぜ、小風?」

「あはは……」


 彼は肖子偉の兄なのだ。

 妓女ぎじょたちから話を聞くにしても、一緒に居られては聞きたい話題には触れられない。どう断ろうかと考えていると、


「――私も、行く」


 肖子偉が決意の眼差しで顔を上げた。


「おうよ、そう来なくっちゃな、弟よ!」

「え、いや。二人の気持ちは嬉しいけど、迷惑は掛けられないよ」

「迷惑じゃない。私が行きたいのだ」

「ハハハそうだぞ。行きたいから同行するんだろ。妓楼! 妓楼! ぎ・ろ・う!」


 男二人の顔付きはこの時ばかりはどうにも頑固に退かない構えを有していた。

 兄の方はともかく弟の方はかえって逆に心配だったが。


(う、断れない。これじゃ益々目的を達せそうにないわ。心配して来てくれるのは有難いけどもっ)


「……じゃあ、よろしく、お願い、します」


 苛立ちも孕んだ複雑な感情に笑みが引き攣るのを堪え、凛風は何とか言った。

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