第5話 再会は突然に1
「ねえ凛風、最近あの人の所によく出前に行くけど、まさか向こうで暮らしたいとか思ってる?」
「へ? ま、まさか~。ハハハ母さんったら私が普通のお嬢さんたちみたいに着飾ってしとやかに微笑するとでも? 無理無理~」
凛風が内心ぎくりとしながら本音を言えば、盛り付けの手を止めた母親白紫華は娘を見て納得したようだった。
それはそれで何か切ないが、今も男の恰好をしているのだから仕方がないのかもしれない。
「ホント凛風って我が娘ながらカッコイイわよね」
「どうも」
その辺の良家の公子たちのように煌びやかに着飾らなくても、仕種一つでカッコイイ女雷凛風は苦笑を浮かべる。
元々、点心と茶を主に提供する飲茶食堂を営んでいたのは、凛風の曾祖父母だ。
祖母白蘭は祖父楊叡と結婚し家を出て仙境に暮らしてしまったから、高齢になった曾祖父母は店を畳むつもりだったらしい。しかし色々あって母親の白紫華が店を継いだ。
店の味が大好きだと言う気持ち一つで若いうちから経営や調理に携わり、曾祖父母がいなくなってからは一人で切り盛りしてきたという。
凛風が店の味を知れたのも、こうして店の味を誰かに届けられるのも母親のおかげだ。
父親のように超難関と言われる
「じゃあ出前行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。頼んだわね」
頷き、岡持ちに完成した料理の皿を入れて蓋を閉めると、表口から出ようと小さな店内を突っ切っていく。
「阿風、阿風」
すると途中横から呼び掛けられた。
(え、この声って……)
「――若様! また来てくれたんですね!」
視線の先、衝立の向こうからひょいと顔を覗かせているのは、扇子の良く似合う美青年だ。
控えめな色合いだが仕立ては決して雑ではない着物を羽織り、彼――山憂炎はにこりとして手を振ってきた。
この店の常連で、見かけも物腰もまんまお金持ちの若様と言った青年は、結ばず背に流した真っ直ぐな黒髪を肩から払うと席を立って傍に来た。
どこでだろうと豪華な食事を食べられるだろうに、彼はよくこの店に顔を出してくれる。
やはりお目当ては伝統の肉包子らしく、よく持ち帰りを頼んでもいく。
話によればどうも皇帝のお膝元、皇都金安に居を構えているようだが、わざわざ三つも四つも街が離れたここ緑安まで足を運んでくれるのは本当に有難かった。
「今から配達だろうに引き留めて悪かったね。行ってらっしゃい」
「あの……もう帰ってしまいますか?」
「いや、阿風が戻るまでは居るよ。安心して出前に行っておいで」
「よかった!」
顔を輝かせると、凛風は駆け出すようにして店を出た。後ろから「走ると危ないよ」と声が掛かったが、それももう聞こえる距離にはいなかった。
近所までなので金兎雲は呼ばないままに走って届け、代金を受け取るや「毎度~!」と軽くなった岡持ちを手に取って返すように来た道を戻った。
山憂炎という男の口からは色々な物語が出てくる。
会う度に彼の話を聞くのが凛風の楽しみだった。
正確な歳は訊いた事はないがたぶんまだ三十前と若いだろうに、まるで長年在野で見聞を広めてきたかのように物事に詳しく、尚且つ引き込まれるような語り口で面白可笑しく話してくれる。
「――誰かあっ誰かあああっ!」
そんな時だ。
急くように裏路地を走っていると、白昼堂々悲鳴が聞こえた。
凛風が即座にその方へと駆ければ、すぐに現場に行き当たった。
「金を寄越せ!」
中年の女性から金品を奪おうと、屈強な男がその手荷物を引っ張っている所だった。発生後すぐに到着したおかげで幸いまだ貴重品は奪われていないようだったが、それも時間の問題だろう。細身の女性と頑丈そうな男とでは根本の腕力が違う。
「その手を放せ下郎が!」
考えている暇もなく声を張り上げ地面を蹴って跳躍し、その勢いのまま岡持ちを男の横っ面に叩き込んだ。
今は祖父の仙術仕様ではない普通の木製の岡持ちは、衝撃面の板が木っ端と砕け、更には骨組みからバラけて地面に散じた。
男は一撃で白目を向いて昏倒する。
岡持ちは古いものだったし手加減はしたつもりだったが、まさか死んではいないかと一応息を確かめればあったのでホッとした。
大丈夫かと震え涙を浮かべている女性を支えて立たせれば、今度は救われた安堵から感謝の言葉を繰り返した。
人通りの多い方へ行くよう促しつつ散らばった荷物を拾い手渡してやれば、女性は素直に了解して何度も頭を下げて去っていった。
「さてと、こいつをどうしようか」
腕組みした凛風は見下ろして盛大に溜息をついた。
放置はできない。
役人に突き出すにせよ処理に携われば時間を要し、その間山憂炎は帰ってしまうかもしれないが、こればかりは仕方がない。ここの住人な以上、街の治安の方が優先事項だ。周辺の治安が悪いと店の集客にも影響する。
そんなわけで渋面を作っていると、路地の向こうからバタバタバタと複数の足音が聞こえてきた。
「悲鳴はこっちの方からだったな」
「はい!」
(もしかして私以外にも誰か駆け付けて来てくれたのか)
早々に片はついてしまっていたが、悪を見過ごせないという同志にも似た誰かが近くに居たのがわかって気分が浮上する。
「あ、人が倒れてます」
「あそこだな!」
そう言って数人の供を引き連れて走って来た人物に、凛風は「えっ」と目を瞠った。
「そこの、何があった? 今さっき女性の悲鳴が聞こえたが……ってまたお前かよ、小風!」
凛風に気付いた途端に「ハハハ」と明るく太い笑みを浮かべる相手へと、凛風も「ハハハ」と男前な笑みを返した。
この国では主に親しい間柄の年長者が年少者を呼ぶ際には、名前や苗字の前に「阿」の他に「小」を付けるのも一般的だ。どちらを付けるかは地方により、逆に年少者から呼ぶ際は「老」を付けたりする。
「それはこっちの台詞だよ。それにもう私が助けたから安心して、――子豪兄さん」
兄さんと付けてはいても血縁ではない。
何だか今日は久しぶりの知人に会う日だなと内心で嬉しく思いながら、凛風は目の前で胸を張り堂々と佇む青年を見やった。
偉丈夫と称する以外にない、鍛えられ盛り上がった肩や胸、腕の太い筋肉が着流したような庶民服の上からでもわかる。太く男らしい眉と同じく堅そうな黒髪は後ろの高い位置で一括りにされている。あたかも馬の尻尾のようだった。
鎧を着れば大層見栄えするだろうまさに武人と言った風格漂う精悍な風貌の青年は、状況を理解して腰に手を当てた。
「ホント小風はいつもいい度胸してるよな~。こんなまだちっこい体で暴漢に立ち向かってくとか、頼もし過ぎるだろ」
「……子豪兄さんが大きいんだよ。背丈いくらあるのホント。豪邸の門構えくらいはあるんじゃないの?」
「ハハハひでえな、んなにねえよ! でもホントお前って初対面の時から俺の扱い泣けてくるくらいぞんざいだったよな」
「あー……その節はホントごめん」
彼と凛風は、今のようにここ緑安の路地裏で出会った。
夕刻、出前帰りに悲鳴が聞こえ、駆け付ければ薄暗い路地裏で女性を襲わんとしている暴漢がいたのだ。
女性は座り込み、その傍には一人の男性が倒れていて、そして彼らの前には険しい顔付きのこの青年がいたのだ。
――貴様何をしている!
凛風が怒りを露わにすれば、彼は目を見開いた。
直後に問答無用で攻撃を仕掛けた凛風だったが、
――あ? え!? いやちょっと待て俺は助けた方だ! 暴漢じゃねえ!
何とその攻撃をいなされた。
いとも簡単に無効化されたのは大きな驚きで、そのせいで冷静さを取り戻せたのは幸いだったかもしれない。きちんと彼の訴えを聞けた。
うっかり暴漢扱い……それが自分たちの初対面だった。
更にはどこかに縁でもあるのか、出前先の他の街でも顔を合わせた。
そこでもまた悲鳴が上がって、駆け付けた凛風が暴漢をあっさり倒した所に一足遅れて彼が駆け付けた……と言った次第だった。
――おー、少年は綺麗な顔に似合わずすごいな~! ああ因みに俺は暴漢じゃないぞ!
彼は細身の凛風が大柄な男を足蹴にしている様を目の当たりにして、尻上がりな口笛まで吹いて感心した。
しかも以前の事を根に持っていたのか、放たれた台詞から鑑みるにしっかりこちらの顔を覚えていた。
その後もちょくちょく似たような場面で遭遇し、
――なあ、俺んとこの兵団に入らないか?
とうとう勧誘されるようにもなった。
貴族や商人の中には私兵を有している家もある。
官軍の鎧は着ていないので彼もその手の人間なのだろう。勧誘はその都度断っているが、正直しつこかった……。
まあそんなような縁もあって、彼は部下を引き連れて度々白家の店に顔を出してくれるようになり、親しくなったのだ。
そんな彼の名は――肖子豪。
この国の第一皇子と同じ名前だが、きっと単なる同姓同名。
凛風は一度だって同一人物と思ったためしはなかった。全く微塵も毛ほどもだ。
そもそも一国の皇子がこんな路地裏をほっつき歩いているわけがない。
そう思っていた。
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