第4話 雪露宮での出会い3
「御馳走様でした」
茶の一杯も飲まずに丸々包子一つをぺろりと完食した凛風が、席を立ち今更ながらに
すぐに咀嚼を再開し口の中の物を全て呑み込んでから行儀よく口を開く。
「食べるのが早過ぎる。食事は、ちゃんと噛んだ方がいい」
「ああ、実はよく注意されます。気を付けたいとは思ってるんですけど」
少し体裁の悪い思いで浅く笑って東屋の隅に下がろうとすると、彼は蒸籠の端を手で押した。
「……座って。まだ一つ残っている」
「いえ、私はもう結構ですよ。元々殿下の分ですし、一つでも多かったくらいです」
「やはり女性は、食が細いな」
彼が誰を基準にしているのかは知らないが、凛風はこれには訂正を入れた。
「いえいえ夕餉は済ませてますし、お腹が空いている時は男性並みに食べるので、皆からは驚かれたり呆れられたり……って、え? 私が女だってよく気付きましたね。今まで男装してて初対面の相手には気付かれた事はなかったんですけど」
凛風を顔の良い少年とは思っても、少女だと思う相手はいなかった。
「ああもしかして父から私の事を聞いてました?」
「そなたの父……? いや、誰かも知らない」
「え、そうなんですか?」
もしかしたら出前担当者の素性を告げられているのかと思ったのだが、違うようだ。
ならば案外この第二皇子は
(まあこれっきりだろうし、父さんも必要性を感じなかったから教えてなかったんだよね)
凛風は椅子には戻らずに、こほんと咳払いした。
「すっかり申し遅れましたが、私は雷浩然の娘の雷凛風と申します」
ピクリと、布だるまが震えた。
「……彼の?」
「はい」
「家の者が届けに来ると言っていたのは、使用人ではなくて本当に家人だったのか」
肖子偉は目元に掛かっていた布を少し上げて視界を確保すると、まじまじと凛風を見てくる。彼の双眸は予想外にもきらきらとしていて、正直なところ内心たじろいだ。
「あの、子偉殿下……?」
少し潤んだ目で頬を染めさえするその様は可憐で、凛風は布の隙間から零れている彼の柔らかそうな髪に花飾りでも付けてやりたくなった。
(って駄目駄目。いつもの感覚で彼に接したらきっと不敬罪だわ)
店の常連の女性や女友達からはよく「惚れちゃうからその男前ちょっと自重して」と文句を言われる。別に自分としては男前な行動を取っているつもりは全くないのだが、線引きがよくわからない。
(これはさあ、幼い頃から傍で見てきた身内や知人に、モテる男が多いのがいけないと思う)
彼らの女性に接する様を見て来て、女性相手の普通とはそういうものだとすり込まれていた凛風は、自分のせいじゃないと遠い目をしたくなったものだ。
理由はわからないが夢見心地な乙女のようにこちらを見つめる肖子偉の顔をじっと見つめ返した凛風は、ふと気付いて手を伸ばす。
「あ、殿下ここに包子の食べかすが」
遠慮も躊躇もなく青年の口元のそれをひょいと指先で抓むと、ふっと微笑んだ。
「ほら、取れた」
肖子偉が大きく両目を見開いて赤面した。
彼の手からぽろりと食べかけの包子が落ち、凛風は咄嗟に掴んでそれを差し出した。
「はいどうぞ」
「あ、ありがとう……」
返すも、彼はどうしたらいいのかわからないような顔で視線を
(え、何かまずいことした?)
少し考え、いきなり彼の顔に触れた点に思い至って自らの
「申し訳ありません。許可なくご尊顔に触れるなど、大きな無礼を働きました!」
即座にその場に
反省の意を示しじっと動かずそのままの姿勢を維持する。
しかし動くべきかと迷いが生じるくらいは沈黙が続いた。
「……また、出前を頼めるだろうか?」
「へ……出前、ですか?」
ようやく反応があったのはいいが話変わり過ぎだと内心突っ込みつつ、凛風は実は結構マイペースなのかもしれない皇子を見上げた。
やはり食べ辛かったのかもう顔は隠していない。
視線に気付いた皇子は、狼狽して少し身を引いた。
「そ、そなたが白家の店の人間なら直接訊くに限るだろう?」
「確かにそうですね」
しかも遠隔地の出前担当は自分だ。
「だ、だから近いうちにまた、包子を頼みたい。いいだろうか……?」
「それは、構いませんけど」
「本当に? 一度や二度ではなくて、常連になってもいいのか?」
「はい。この距離だと連日は厳しいですけど、四、五日に一度くらいなら。ただ時間は毎回このくらいのやや夕食には遅い時間になってしまいます。それでも良ければ」
「た、たとえ真夜中になったとしても全然支障はない」
即答した肖子偉に、凛風はちょっと目を瞠った。
「もしかして、うちの包子を気に入ってくれたんですか?」
しかも彼の食べた包子は実は凛風自身が作ったものだった。他の料理はまだ母親には及ばないが、この白家伝統の包子だけは早々に教え込まれて母親と同等のレベルを習得している。
「うん、とても」
嬉しい言葉を返されて、凛風は我知らずにこりと感謝の凛々しい笑みを浮かべていた。すると肖子偉はどうしたのか咽を詰まらせて
帰りに金兎雲を呼ぶと、食べ終え再び布だるまと化していた彼は驚いて飛び退いていたが、布の中から好奇心の塊のような目を向けてきた。
「この子は
「そういえばそなたはひらりと突然池の方から現れたな。だからすごく驚いた」
「ああそれは、見つかるといけないので……」
ここの規則は当然存じているのか、彼は「ああ」と納得した。
「触ってみます?」
少し考えそう提案してみれば、未知なる存在を前に様子を窺うように遠巻きにしていた彼は頷いて寄って来た。
この金兎雲は良からぬ性根の者は勿論だが、仙人や道士の素質の皆無な者にも触れる事は適わない。
恐る恐る指先を伸ばした肖子偉はしかし、すり抜けてしまって触れなかった。
「あー……触れない人は触れないんですよねー」
(悪い噂の通りの人物だから? それとも単に才能ナシだから?)
今の所理由は定かではないが、どちらもハッキリ告げるのは躊躇われ、凛風は緩く結論をまとめた。
彼が自分の手を見下ろししょんぼりしているのを見ていたら、抱き上げて空の旅に連れて行ってあげたくなったが、思考を切り替えて黄金色の雲に飛び乗る。
「父はまだこの宮にいますよね? 出前の件を話しておかないと」
「それならこちらで話しておくから、そなたはそのまま帰るといい」
「そうですか? じゃあお願いします。因みに次の出前はいつにします?」
「……五日後で」
「わかりました。ではまた今日くらいの時間に来ますね」
「うん、帰りの道中、気を付けて」
凛風はくすりとした。
社交辞令かもしれないが、まさか一国の皇子が自分を心配してくれるとは思わなかった。
「ありがとうございます。それではまた」
金兎雲を促すと東屋がぐんと小さくなった。
薄い灯の中、欄干からこちらを見上げる肖子偉の姿も。
「ねえ兎兎、私初めてあんな恥ずかしがり屋に会ったよ」
夜風を身に受けながら凛風が何とはなしに話を始めると、金兎雲はそよそよと風にそよがせていた長い耳を彼女へと向けた。
「何かさ、すごく可笑しな人だった」
空の岡持ちを手に今夜の出来事を思い返すと笑いが込み上げる。いやほとんど笑いしか込み上げて来ない。
「次も布だるまで来るのかもしれないけど、それはそれで楽しみだわ」
噂の件だけは引っ掛かるものの、今は胸に留めておく事にして、凛風は彼に言われた通りきちんと気を付けて帰路を辿るのだった。
次も出前に行くと予想通り布だるまは健在だったが、三度四度と会ううちに向こうも慣れてきたのか、布は手元にいつも置いてあったが包まることはなくなっていた。恥ずかしがっても顔を逸らしたり視線をズラしたりするだけだ。
「兎兎、人を警戒していた野生動物が徐々に馴れてくるって、きっとこんな感じよね!」
その夜も、肖子偉の照れた様を思い出し上機嫌に帰りの空路で問いかければ、珍しく、トン、トン、と二回腕を叩かれた。
どうも金兎雲は違う見解らしい。
「え、思わない? そう?」
凛風は一人首を傾げた。
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