お待たせ皇子様、出前です!

まるめぐ

第1話 出前少女と布だるま

「おー来たようだの」


 風に靡く白く長い裾、長い袖。

 同じく山羊のように伸びた白い顎鬚と鼻の下からも二つに伸びた口髭を靡かせ、一人の白髪の老人が手を翳して空を見上げる。


 その青い彼方から、金色の雲が近付いてくる。


 それは兎のような長い耳を生やし赤いつぶらな瞳を有する不思議な形状の雲だ。

 天の属性のもので仙人や道士が乗るようにできている上に、自律意思を有していた。


 人はその雲を金兎雲きんとうんと呼ぶ。


 そして今、その金兎雲の上には一人の人間の少女が乗っていた。

 ただの人間の彼女が乗れるのは、生まれた時から傍で金兎雲と接してきた特異な環境にあった事と、金兎雲の方も心から彼女を受け入れているからだろう。

 或いは、彼女生来の才能も起因しているのかもしれない。

 超速で飛行しているがゆえに、うなじから一本伸びる長い三つ編が激しく風に揺さぶられ、巷でよく見かける袖や裾の短めの男性用の着衣も激しくはためく。

 しかし彼女の屹立姿勢は余裕すら感じられる安定度だった。


 少女は左手に飲食店の出前でよく見る岡持ちを提げている。


 真っ直ぐ前を見据えるその様は、いざ戦場へ、と言われてもそうなのかと納得してしまう凛々しさがあった。

 しかし、彼女は地上を見下ろして老人の存在に気付くと、途端に相好を崩してブンブンと右手を振った。

 そうすると直前までのどこか大人びて見えていた立ち姿も、十六という歳相応に見えた。


「――じい様久しぶり~!!」


 元気の良い明るい少女の声が高山の合間に響き渡る。

 ここは仙境と言われる人里離れた山深い地。

 こんな所に来るのは自らが仙人や道士となるための修練者か、はたまた余程の物好きかしかいないだろう。


 けれど少女――雷凛風はそのどれとも違う。


 彼女はただ、仙人である祖父楊叡の所に出前に来ただけだった。


 目的地のあばら家へと急降下した金兎雲からひらりと飛び下り難なく着地した彼女は、ずいっと岡持ちを手前に、つまりは祖父の方へと突き出してニッと白い歯を見せた。


「お待たせ。あ、来たついでに稽古も付けてね」

「相変わらず武芸事には熱心だの、阿風は。しかもまた男装で来たのか」


 この国では親しい間柄の年長者が年少者を呼ぶ際には、名前や苗字の中の一字の前に「阿」を付けるのが一般的だ。


「だって出前先で何があるかわからないでしょ?」

「怪しい場所への出前は断れば良いではないか」

「そうはいかないよ。どこかで誰かがうちの店の料理を所望しているのならば、たとえ山越え谷越えどこへでもお届けに行く。それが私の出前道だから!」


 握り拳を掲げ、彼女はすこぶるカッコよく言い切った。

 もしここが戦場で彼女が指揮官だったならば、兵士たちの士気はいやが上にも高まったに違いなかった。


「じい様、中に入ろう」


 祖父の何だか遠い眼差しには気付かずに、凛風は彼をあばら家に促した。

 金兎雲は彼女を下ろすや高山のどこかへと消えたが、帰る時に呼べばどこからともなくやってくるだろう。

 元はこの清浄と静寂が同居する仙境で祖父と共にいた金兎雲を、下界の凛風の所に向かわせたのは祖父自身だ。

 雲に乗って普通ではちょっと行けないような場所にも出前を届けられるのは、元を辿ればこの祖父のおかげだった。


「ねえじい様、どうせなら直接店に来たら? いちいち使役獣送って注文するよりも、飛仙ひせんなんだしひとっ飛びですぐでしょう?」

「そうしたいのはやまやまだが……うっかり知人に会いたくないでの」

「そんな嫌そうにして、どんな相手なの?」

「わしが人間だった頃からの知り合いで、向こうも仙人になった口だ。今は現皇帝の三公の一人として仕え悠々自適に暮らしておるよ」

「三公って、え!? 今はもう役職は有名無実だけど時に皇帝の助言役だったり幼少期は教育係だったりもする、あの三公!? そんな人と知り合いだなんて父さんは知ってるの?」

「言っておらんよ。真っ当に官吏の階段を上がっておる婿殿に下手な横やりが入っても困るでのう。阿風も余計な事は言うでないぞ?」

「あーなるほど。わかった。権謀術数渦巻くのが皇宮って言うしね、うんうん」

「それではさて、折角の出前の品に早速舌鼓を打たせてもらうとするかの」


 納得の孫娘に苦笑を向けると、老人は木の円卓の上に置かれた岡持ちに目をやった。

 そこからはずっと食欲をそそる匂いが漏れていて、凛風が思い出したように蓋を開け更にその中の蒸籠せいろの蓋を開けると、熱く白い湯気が香気を一気に広げた。

 気温の低い上空を飛んできたにもかかわらず湯気まで立てるくらいに温かいのは、この岡持ちに楊叡の仙術が掛けられて料理が冷めないようになっているからだ。


「はいどうぞ、召し上がれ」


 そこには凛風の実家――白家が営む食堂でも人気屈指の自慢の料理が姿を現した。

 白家伝統の味でもある肉入り包子パオズだ。

 トロトロに煮込んだ豚肉をあんとした包子は、凛風が生まれる前から祖父の好物らしく、出前と言えば必ずこれを注文する。


「では頂くかの~」


 はふはふ言いながら嬉し顔でパク付く様を見ている凛風は、そう言えば先日皇宮勤めをしている父親から妙な頼み事をされたのをふと思い出していた。


 ――凛風、ちょっと出前を届けてほしい場所があるんだ。


 彼女が父親の書斎に食事を届けた際、そう話を切り出した父親が行き先として指定してきたのは……。


(皇宮、だっけ)


 しかもそこのとある離宮へだ。

 更に、届ける際は誰にも見つからないようにとも言われた。


(父さん実は危ない橋を渡ってるんじゃあないよね?)


 出世を目論む者や権力者間での足の引っ張り合いは決して珍しくない。


(まあでも出前一つでまさかね。店の評判を聞きつけたけど、遠いし買いに行けないからって父さんに頼んだ……そんなとこよね)


 祖父に話す事でもないし、かえって下手に心配させても嫌だと、凛風はさして深くは考えずこの場はそれで思考を収めた。


 ――注文があれば、金兎雲に乗ってどこへでも。


 そんな彼女の姿勢が彼女をどこへ向かわせようとしているのか、今は知らずにいた。





「やあーーーーっと見つけましたよ、子偉殿下!」


 時刻は昼時、皇宮の一角にある離宮――雪露宮の奥まった物置きで、ガラクタが入っているずだ袋の群れに紛れ、頭からすっぽりと布を被っていた一人の青年が引っ張り出された。

 彼のさらさらとした猫っ毛質の長髪は肩に流されて、今は脱力したように項垂れる顔に掛かって表情を隠している。

 唯一見えている口元が小さな声で何事かを紡いだ。


「…………うう、今日もまた見つかってしまった。擬態の詰めが甘かった」

「擬態以前に、どうして毎日毎日隠れてるんですか?」


 怒っているというよりは呆れている中年の官吏――雷浩然からの言葉には、次のような答えが返った。


「……だって恥ずかしいではないか」

「だってではありません。大勢の前に出ろと言っているわけではないのですよ。せめて自分の現在暮らす宮でくらいは人並みにして下さい。あなたを探す手間だけで半日は無駄になっているのですからね? わかっていますか?」

「前任者たちは平均三日は見つけられなかったから誇っていいと思う」

「そういう問題ではありません」

「なら放っておいてくれていい。勝手にする」


 普段は生真面目かつテキパキと仕事をこなす官吏雷浩然は、上司からの推挙により現在皇宮敷地内の外れに位置するここ雪露宮で第二皇子――肖子偉の世話を焼いている。

 配属されてひと月足らずだが、尻が痛くなるほど座りっ放しのお堅い事務仕事がもう懐かしい。

 雷浩然は思う……左遷ではないと信じたい、と。


「とにかく、今日の分の食事をきちんと摂って下さい。それから必要な書物は寝室に運んでおきましたから、後で寝ながらでもいいので読んでおいて下さいよ」

「雷浩然、寝ていては読めない」

「言葉のあやです」

「……。国土を治める基本理念は治山治水、それさえ覚えておけばいいと思う。細々とした部分は土地によりけりだから臨機応変に対応するしかないし、大体、私がそういうものを学ぶ必要性を感じない」


 見慣れた官吏からの視線さえも耐え難いのか、いそいそと剥ぎ取られた布に再度包まり布だるまと化す皇子――肖子偉。


「またそのような事を仰る」


 雷浩然はもう諦めたのか皇子の布を引っ張る事はしなかった。


「それに、私などより兄上がいるだろう。だから…」

「いいえ。将来的に何をするにせよ、あなたは立場上一通り学ばなければなりません。皇子として賜っている領地は勿論、どこかの州府を治めるにしても、その手の知識は必要ですからね。わかりましたか?」

「……」


 布だるまのせいで顔は見えないが不満が駄々漏れなのを雷浩然はしっかりと察している。

 そんな彼はしばし黙した後、怜悧な官吏らしい切れ長の両目をすっと細めた。


「――白家の包子パオズ

「――ッ!?」


 極めて小声で呟かれた雷浩然の台詞を、布の中の肖子偉は聞き逃さなかった。

 ちょうどお腹も減っていたので余計に耳聡くなっていたのかもしれない。


「子偉殿下が諸々をきっちり学んで下されば、何とかしてここにそれを運ばせるのも出来ない事ではありませんが……?」

「部屋に戻る」

「それは何よりです。ああその前に昼餉ひるげをお運びしますからね」

「わかった」


 もそもそと動き出す布の塊を見やって雷浩然はにこりと微笑んだ。

 彼も鬼ではないので、今日はもう布を取れとは言わなかった。

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