割とよくある?異世界転移もの

刺身マグロ(赤身)

第1話

頬が冷たい。青年、池上蒼太が初めに思ったのはそんなことだった。まるで石畳の上に突っ伏しているかのような感覚に、重い瞼をゆるゆると開く。

そこは何処かの路地裏のような場所だった。頬に感じた感触は実際に石畳の床のもので、彼はその場でうつ伏せの状態で倒れていたことになる。


「⋯⋯⋯あれ、ここどこ」

寝惚け眼を擦りながらむくりと起き上がり、そのまま辺りを見回してみる。四方には石造りの建物があり、丁度十字路になった細道の真ん中に自分は転がっていたらしい。


蒼太はこの場所に見覚えなど無かった。

彼自身が目覚める以前、最後の記憶として覚えているのは「ああ、明日は一限目から苦手な古典の小テストが待っている」といった、学生にありがちな鬱々とした感情と、ふわりと落ち着く匂いの漂う自室の敷布団の寝心地くらいだった。

つまりいつも通りの一日を終えて今正に就寝するところであったのに、どうしてこんな所で転がっているのか、皆目見当もつかないのだ。


「⋯⋯とりあえず、このへん みてまわるか」

一人そう呟いて起き上がろうとした時。自身の身体に感じる違和感。

何だろうかと目を身体に向けてみると、直ぐにその正体が分かった。


「ちっちゃい」

明らかに背が、いや身体全体が縮んでいた。

眠った時の格好であったTシャツと中学時代のジャージというテキトーパジャマスタイルはそのままに、しかし現在の体格には合わず方が出ていたり丈が長過ぎて引き摺ったりと、散々な状態である。

声は体格相応に高くなっており、話し方も若干舌っ足らずになっていることに気付く。


小さくなった両手を確かめるように握ったり開いたりしてみるが、その動作にも感触にも違和感がなく「ああ、この身体は自分のものなのだな」ということがよく分かった。



さて。こんな異常事態に直面すれば、多方人というものは個人差はあれどそれなりに混乱するものだろう。

しかし彼は一切動じてなどいなかった。それどころか、力の一切感じられない呑気な声で「うおお~すげえ~」などと宣っている始末。やる気も覇気もないその声はしかし、池上蒼太としては通常運転であった。


彼は普段から何事にもやる気のない男である。いや、本人的には「やる気」はそれなりにあるつもりなのだが、その言動に一切の力が篭っていないのだ。母親からはよく「そんな力っ気のない人間はあんた以外に見たことがない」と呆れられ、父親からは「もう少し気力のある男に育って欲しかった」と嘆かれたものだ。

しかし本人が自身の性格に一切の不満を持っていないのだから、どうにかなるものでもない。それにこんな調子だが、やる時は案外真面目に取り組みそつなくこなせるのも彼であった。

無気力にマイペースに、しかし決めるところはそれなりにきっちりと。池上蒼太はそんな男なのだ。



さて、そんな蒼太は現在丈の合わない服をずるずると引き摺りながら、路地裏の中をさ迷っていた。あの場にそのまま座り込んでいても何も分からないし、一先ず動いてみようと思ったからだ。

服が汚れるが気にはしない、自身の姿が幼くなったせいでどうせ暫くは着られないのだ。愛着なんてものも特に無いし、使い捨ての気分である。


歩き始めて10分ほどたった頃。身体が縮んだおかげで歩幅が小さくなり、移動するのにも一苦労だが動いたおかげで少し分かったことがある。


まず一つ目、ここまで誰にも遭遇していない。一人くらい自分以外の人間と出会うはずだと思っていたのに、人の気配がしない。

次に二つ目、この路地裏はやけに綺麗だった。普通なら汚れていたりゴミが捨てられていたりするものだが、そういったものが一切無いのだ。

そして三つ目、さしあたってはこれが一番困ったことなのだが、徐々に辺りの空気が冷え込んできていた。元々薄暗いばしょであったが日が傾き始めているようで、それに伴い気温が下がってきているのだろうと思われた。


「⋯このままじゃ、よるのうちに こごえるかもしれない。こまったことになった」

あまり悲壮感を感じさせない声音でそう呟きつつ、蒼太はのそのそと進んでいく。



彼が8つ目の曲がり角を左に進んだ時だった。

「だいいち むらびと はっけん」

石の壁にもたれ掛かり座り込む、一人の男が目に入った。

蒼太はこそこそと物陰に隠れて男を観察する。

男はフード付きのマントを目深く羽織っている。そのため顔はよく見えなかった。動作としては少々大振りなナイフを右手に持ち、時折ぼんやりと空を見つめながらそれをくるくると器用に回して遊んでいる。腕は丸太のように太く筋骨隆々で、漫画に出てくる荒くれ者といった風体であった。


蒼太は少し逡巡するも、一先ず接触を図ることにした。明らかに安全な人物とは言えない風貌の相手だ。堅気には見えないし、凶器片手に最悪何をされるか分からない。しかし彼はそれよりもまず、多少の棄権は冒してでも、自分が現在置かれている状況を理解する方が先決であると考えた。

それはこのままでは確実に凍え死ぬだろう、と理解していたからだ。先程から気温は急激に下がってきていた。自身の心許ない格好と体躯では、一晩越すことも難しいだろう。

ならば危険を覚悟してでも、目の前の男に話しかけるほうがよっぽど建設的だと考えた。


蒼太のこの考え方に、両親を始めとした周囲の人間はいつも困らされたものだ。「簡単に事が済むのなら、自身へ降かかる多少の危険も甘んじて受け入れる」。彼は自分を甘やかす一方で、自分に対して妙に厳しい男であった。



「ん?」

蒼太が近付くと、男がこちらに気付いた。

「何で餓鬼がこんなとこにいやがんだ。迷子か?」

そう言って立ち上がり、こちらへ歩いてくる。

男は身長が高かった。蒼太は自分の身体が小さくなっていたため余計に大きく見えてはいたが、実際185cm以上はあるだろうという巨躯。更にその体から発せられる妙な威圧感に、普通の子供なら怯え泣き出すか逃げ出すかに違いない。


しかし蒼太は違った。

「そう、まいご。たすけて おじさん」

迷いなくそう言って、真っ直ぐに男を見上げていた。

「ははっ、随分肝の据わった餓鬼じゃねえか。俺が怖くねえのか?」

「じゃっかん。でも、せにはらは かえられない。かなり こまってる。とうし だけは かんべん」

「⋯⋯そうかい」

一瞬立ち止まりかけた男だったが、蒼太の目の前まで来ると目線を合わせるようにしゃがんだ。


男はまじまじと蒼太を観察する。そして不意に手を伸ばしてきて彼の前髪を横に流した。

「ほう⋯⋯」

蒼太は自身の外見は別に特別整っている訳では無い、と思っている。いいところ中の上止まりだろう、という認識である。それは実際その通りで、平凡よりも若干イケメンよりかというラインの顔面をしている。

しかし現在の彼は小学校低学年ほどの外見で、更に生来のたれ目が影響して可愛らしい見た目になっていた。


「助けてやってもいいが、条件があるぜ」

「なに?」

「俺と寝ろ」

若干下卑た色を漂わせる声音で男は言った。

「⋯⋯ゆたんぽ?」

蒼太はそう聞き返す。

男の発した声音のいやらしさを理解していなかった訳では無い。寧ろ分かったからこそそう言ってみた。暗に「性的な目で見てくれるなよ?」とにおわせるために。


しかしまあ、そう都合よくいくはずもなく。

「ははっ、まあそんなもんだな!頼めるか坊主?」

楽しげに笑う男に差し出された手を、「まあ凍死よりはマシか」と大人しく握り返した。

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