俺と美月の宇宙日記(ダイアリィ)2

風見鶏

序文

200年前、人類は自らの進化の道筋を自身の手で決める決断を行った。以来、様々な機能を人体に組み込むための遺伝子コンポーネントが開発され、それによって人類が大きな飛躍を遂げたことは、先に述べたとおりだ。だが同時に、それは自らの将来に対して完全に責任を負うということでもある。それ以前の人類は、自らが持つ様々な不都合の責任を、偶然や、神、悪魔といった自然、超自然的なものたちに押しつけてきた。しかし、こうした要素を自らの進化過程から排除してしまった人類は、様々な失敗の責任をすべて負わなければならない。それが、200年前の決断の本質である。しかし、今になって私は思うのだ。我々は、本当にすべてを自分たちの手中に収めることができたのだろうかと。


既に全人類共通の遺伝的形質として組み込みが終わっている機能の多くが、外部の電子機器や通信網と連携して人間本来の五感や演算能力、記憶能力などを拡張するためのものである。これらはインターフェイスコンポーネントと呼ばれ、いまや生活に不可欠のものとなっている。なぜなら、すべての社会インフラは、こうした能力を前提として組み上げられているからだ。しかし、人格だけは別である。人の本質とも言える人格についてはいまだに謎だらけだ。それを司る脳神経の部位や、それを構成するための遺伝子セットはとうの昔に解析が終わっている。にもかかわらず、その部分だけが、あらゆる操作を拒絶してしまうのだ。つまり、その部分に何かの操作を加えたとたん、それは機能しなくなり、人格そのものが破壊されてしまうのである。これは人間としての死を意味し、そうした操作を加えられた細胞は自滅する。


現在の遺伝子工学は、基本的に人体や動物を使った実験は行わない。既に確立されている遺伝子モデルを使ったシミュレーションで、新しい機能コンポーネントを設計し、試験するのである。現在、このモデルを使ったシミュレーションで99.999999%まで問題を排除できる。その後、後天的形質としての臨床組み込み試験が行われるのだが、万一、いや億にひとつの問題が発生した場合でも、すぐにその遺伝子をパージできるような処置もほどこされているため、安全性は極めて高い。この臨床試験の後、正式な承認を受けて、まずオプション機能としての市販が許可される。もちろん、これは後天的形質、つまりその一代限りの機能としてのものだ。しかし、それが社会的に有益かつ、将来にわたって必要になるという判断がしかるべき機関でなされると、それは生殖細胞への組み込み、すなわち遺伝的な形質とすることが認められる。さらに、それが将来整備されるインフラと結びつくようなものである場合は、次のバージョンの基本コンポーネントに加えられ、全人類共通のものとなるのである。


この200年ほどの間に人格形成に関する操作についても様々な議論が行われてきた。犯罪はいまだなくならないし、まれではあるが、人格に異常をきたすケースも残っている。こうした部分に対して操作を加えるべきかどうかという議論は、人間の本質と深く結びつくだけに、きわめて慎重に行われてきた。今のところ、多くの識者が人格操作については否定的だ。もちろんそれ以上に先に述べたような技術的な問題が大きく立ちはだかっている。幸か不幸か、そのため、こうした議論を無視して先走った研究者の試みはすべて失敗に終わっているわけだ。おそらく、もし神もしくは創造主と呼ぶべき存在がいたのならば、それは我々がこの領域に足を踏み入れることがないように考えていたのだろう。自らの本質を変えてしまうことがないようにと。


今、我々遺伝子工学者は、この人格と、人体の機能を分離して考えている。たとえば、複数の人間つまり人格が、互いの能力を共有したり、相互利用したりできるようなインターフェイスの開発に力を注いでいるのは、こうした思想の反映でもある。最近では複数の人と電子機器、通信網が相互に協力して何かを達成できるようなモデル作りが進んでいる。人には得手不得手がある。たとえ十分な機能を持っていても、それを使いこなせないこともある。有史以来、人はそうした問題を抱えながら、協力することでそれを補ってきた。今、我々が進めようとしているのは、そうした協力のためのネットワークをより進化させることだ。情報のみならず、必要に応じて互いに機能や、必要ならば記憶や経験をも共有できる、そんな世界を目指しているのである。


(アンリ・ガブリエル著「第二創世記の始まり」より)

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