第二章 前哨戦
10. 作戦会議
サヤの特訓エピソードを聞きつつ、車は城浜市南区、
二時間と少しのドライブで、サヤが言う“拠点”に着く。
かつて前津は、城浜の主要な港の一つとして賑わった。
今でも港湾機能は失われていないものの、往年の活気とは程遠い。沖合が次々と埋め立てられて、物流センターや集積場は皆そこへ移された。
奥まった前津を利用するのは、地元の小さな食品会社が主だろう。
空になった倉庫、勤める者がいなくなった商業ビル、切れたままの街灯。
うら寂しくも、人の往来は多少あるという時代に取り残された雰囲気は、身を隠すのに好都合な場所だった。
前津水産臨海営業所、と茶文字のロゴが掲げられたビルの一階へ、ヒナギは車を乗り入れる。
倒産した会社の登記を
サヤが主導し、ヒナギが実行したビル入手の経緯は、車の中で教えられた。
詐欺師顔負けな手際の良さに、俺も感嘆する。
もちろん犯罪ではあろう。真っ当な方法ではないが、サヤのやり口は半端な子供騙しとは違う。
特能の訓練以上に、彼女は篠目に対抗するための裏知識を貪欲に学んできたのだ。
四階建てのビルに、電気や水道は通じており、給湯室もあればシャワーも使える。
一階に部屋は無く、三台分の駐車スペースと、小さなプール状の生け
もう水は張っておらず、割れたコンクリの継ぎ目からタンポポが首を伸ばし、綿毛を揺らせている。
ビルの二階は、事務室や会議室など一般的なオフィスビルと変わらない。
風変わりなのは三階で、やけに立派な調理場が設けてあった。入荷した魚やなんかで、試作品でも作ったのだろうか。
畳み敷きの小部屋が五つ並ぶ四階も、民宿のようで珍しい。
シャワーがあるのもこの階で、従業員がいた頃は宿泊用に利用していたようである。
なかなか快適に寝泊まりできそうな部屋の構成には、サヤが拠点に選んだのも頷けた。
エレベーターを使い、四階に案内された俺は、一番手前、階段の隣にある部屋を割り当てられる。
サヤとヒナギは最奥の二部屋を使っているようだ。
各部屋の場所を確認すると、俺たちはすぐに二階へ下りた。
大会議室まで進み、ドアノブに手を掛けたサヤは、最後尾の俺に振り返ってニヤリと口角を上げる。
「作戦ルームへようこそ」
「また御大層な名前だな……」
その感想は、部屋に踏み入った途端、訂正されることとなった。
会議室の中央には長机を六卓組んで並べ、その上にプリントアウトされた紙が隙間無く敷き詰められる。
最も目立つのは、何十枚も貼り合わせた地図だ。
城浜市を拡大したものだとすぐに分かり、サインペンでコメントやルートがビッシリと書き込まれていた。
他には人名リストや、どこかの建物の間取り図が数枚。タイムテーブルのような表もある。
コンパスに定規、メジャーに大量の筆記用具は往年の建築事務所といった雰囲気を醸していた。
アナログな資料ばかりではない。
左の壁はスクリーン代わりらしく、台に置いたプロジェクターが向けられている。
プロジェクターから出るコードを目で追うと、キューブ型のコンピューター本体へと行き着いた。
アルミ製のキーボードとモニター、そして、プリンターも大小二台が用意され、地図などはこれで刷ったみたいだ。
右の壁際には雑多な器材が集められており、何台もの汎用端末が積んである。
用途が推測できない電子機器も多い。
「ハイテクなんだか、ローテクなんだか。わざわざ刷ったのは、気分の問題か?」
「それもあるけど、ネットワークに繋いでないのよ、このビル」
「ああ、追跡対策か」
偽装した汎用端末と同様に、コンピューターも隠蔽することは出来よう。しかし、一番の隠蔽対策は、そもそもネットに繋がないことだ。
ややこしい場所に繋ぐ時は、一々外へ出て、街の公共端末からデータを得ている。そのデータをメモリにコピーして持ち帰り、ここで表示させていた。
それにしたって、全部を印刷する必要は無いはずだが、そこはサヤの趣味らしい。
紙に写された地図を見ていると、アイデアが浮かぶのだとか。
彼女は汎用端末の一つを手に取り、俺へと渡す。
「初期設定なんかは自分でやって。以前のアカウントには繋がないでね」
「了解。金は入ってるのか?」
「そこそこは。当面は困らないと思うよ」
俺が端末の注意点を説明される間、ヒナギは隅にあった機器を起動して彼女の有機メモリを差し込んだ。
メモリリーダーかと思ったが、コンピューターに繋がっている様子は無い。
俺の視線に気づいたヒナギが、行動の目的を説明してくれた。
「複写した記憶を、ブランクデータで上書きする。白塗り用のメモリだから」
「メモリの
彼女がコピーしたのは三分を三人、計九分の記憶である。
これを
作業はデリーターに任せて、俺たちは地図の周りに立つ。
「父の記憶を奪ったとして、それをどこに保管してると思う?」
「そりゃあ、人殺しも厭わない重要データなんだろ? セキュリティが万全で、他人が近寄れない場所だな」
「そう。それに、篠目は自分の手元に置きたいはず。利用するにも楽だし、警戒もしやすいでしょ」
「妥当な推理だ。とすると――」
「特能支援研究所、中央本部」
首都から車で一時間、城浜からは三時間の田園地帯を整備して、十年前、特能研究のために新たな街が作られた。
サクラザキ研究都市、そのど真ん中に特研の中央本部は在る。
篠目の本拠地であり、尋常でないセキュリティ対策が容易に想像できた。
「サクラザキには研究施設が混在していて、学生や各種企業の派遣員が入れる場所も多い」
「病院や薬品製造工場もあったよな」
「そういった多数の人間が出入りするところは、除外していいと思う」
特能を対象となった物質から研究する試料解析棟、能力者を実際に集めて発動状況を記録する実験棟など、機密情報を扱う場所はいくらでも存在する。
だが、サヤはそれらをシロと判定した。
データは極秘でも、上級権限者なら入れる施設ばかり。その権限を持つ者は、研究都市に百人は優にいる。
そんな中、特別権限を有しないと入室不可とされる場所があった。
「中央本部のさらに中央、セントラルタワー。この九階建てのタワービルは、四階以上が一般研究者でも立入禁止になってる」
「まさに本丸か。篠目もそこに?」
「七階が最高責任者のいるフロア、八階と九階の詳細は不明。篠目が住居代わりにしてるとも言われてるけど」
「不明? そりゃまた怪しい……」
各所から情報を掻き集めたサヤでも、セントラルタワー上層に関しては設計図面すら入手できなかった。
どんな構造をしているのか。
機密を封じているのはどこか。
「まずは図面、これが無いと検討もできやしない」
「で、どうすると?」
「設計を担当した
「会社のサーバーをクラッキングするわけか」
違う、とサヤは否定した。タワーの図面はサーバーに記録されておらず、極秘資料としてメモリに移し、銀行の貸し金庫に保管されているらしい。
建設当時、中巻組の代表取締役だった
「実質、隠居した扱いの遠藤は、中巻組の旧本社近くに住んでる」
「どこだ?」
「花牧市、ここからもそう遠くはない。狙う貸し金庫も、
城浜から海沿いに北上して、一時間もすれば花牧だ。イナギ・ケアセンターよりも近い。
朝の散歩を日課とする遠藤は、そこらの老人と大して変わりない生活を送る。
家には老いた妻と、手伝いの女性が一人いるそうで、防犯は一般的な警備会社と契約しているだけらしい。
この説明だと、疑問も湧く。
老人からIDチップを奪うくらい、サヤとヒナギが組めば簡単に成し遂げそうだ。
人手はいくらいても有り難いとは言え、レア物のアポーターを探し出し、必死で仲間に引き込む理由が思い当たらなかった。
「ヒナギの空白化で失神させりゃ、話は早いんじゃないのか?」
「事を荒立てると、IDを停止されるかもしれないでしょ」
「そこは上手く縛り上げてだな。身動きを封じて、銀行に向かえばいいじゃん」
「暴力は使わない。IDにしろ、その後のメモリにしろ、スマートに行きたいの」
サヤの言葉に、ヒナギも横で大きく頷く。
二人とも肉弾戦は嫌だと主張した。篠目の力は強大な上に特襲まで噛んでくるなら、戦闘では勝ち目が無い、と。
「ま、その方針が無難か。俺も喧嘩は苦手だし」
「あっ、ショウは暴れてくれていいよ」
「え?」
「私とヒナギは、殴り合いなんてしたくないってだけ。必要ならショウはこう、敵をバッタバッタと薙ぎ倒して――」
「こら、無茶言うな」
俺だってやりたかねえよ。よし、出来るだけ平和主義で行こう。チームガンジーだ。
幸い、遠藤は一人で散歩するらしいので、その間に家に忍び込み、チップを盗んで逃げればいい。
防犯システムを無効にする方法を問うと、サヤが俺の思い違いを訂正した。
「散歩中に狙うのは、遠藤本人よ。遠藤はチップを持ち歩いてるから」
「そりゃいいじゃん、簡単そうだ。アポートでスるんだな?」
「難易度は高いわよ。ターゲットは、遠藤の奥歯のどれか。彼はIDチップをマイクロ化して、歯に埋め込んだんだって」
へ、へぇ……。
極小の獲物を、相手の口腔内から抜き取る。これが俺に与えられた課題だった。
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